第2話 白

人間界で人間として暮らし始めて三日が経とうとしていた。

今日も文披七瀬は、オレの隣で食事をしている。

「(オレといても楽しくなんかないだろうに。)」

意図せずじっと見てしまっていたせいか、文披七瀬が弁当をこちらに向け、「食べる?」と訊いてきた。

「要らない。」

「そう?⋯あのさ、僕、アリエスがその小瓶の中身飲んでるの見た事ないんだけど。」

「見たいの?別に面白いことは無いけど。」

「そうかもだけど、ちょっと気になってさ。」

「夜、一人の時に少しづつ味わって飲んでるから、アンタの前で飲むことはないかもね。」

残念そうな顔をしながら、文披七瀬はまた食事を再開した。


文披七瀬が食事を終えるのとほぼ同時に屋上の扉が開いた。

「なな。居る?」

「優一菜?!」

現れたのは松葉杖をついた早緑優一菜。

「こんなところでお昼食べてたの?」

「うん、そうだけど⋯優一菜ここまで上がってくるの大変だったでしょ?!」

「大丈夫。早くななに会いたいって思ったら辛く無かったよ。」

二人が抱きしめあったかと思うと、文披七瀬の肩越しに早緑優一菜の視線がこちらに向いた。

「(あんな目するんだ。)」

今にも人を殺しそうな目でこちらを見ている。

オレが視線を外すと、二人は体を離した。

「なな、お昼食べ終わったなら行きましょ?」

「え、でも⋯」

「オレはいいから、行きなよ。松葉杖の子を、一人階段で下まで行かせるわけには、いかないでしょ。」

「⋯ごめんね。」

文披七瀬は、短く謝ると、空になった弁当箱を持って早緑優一菜と屋上を後にした。


「謝る必要ないのに⋯。」

自分しかいなくなった屋上で、二人の入っていった扉に呟く。

なんだか虚しくなって、フェンスに凭れ掛かかってため息をつくと、忘れたい声が話しかけてきた。

「ちょっと人間に近くなったんじゃない?アリス~。」

声のした上を向くと、いつの間にかフェンスの上にソレは居た。

「スコルビウス⋯。」

「フルネームで呼ばないでよォ~。その名前嫌いなノ。ルビ君って呼んで欲しいナ。」

「断わる。」

「相変わらずだなァ。ま、いいケド。アリスと久々にお話出来て嬉しいしッ♪」

三メートル以上はあるであろうフェンスから飛び降り、オレに近付いてくる。

このネチネチした喋り方と、相手を見下す態度がオレは昔から嫌いだった。

「オレの名前は、アリエスなんだけど。」

「細かいなァ。そんなんだから、ボクに足元をすくわれるんだヨ。」

「?それはどういう⋯」

スコルビウスを問い詰めようとしたその時、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。

「ありゃりゃ。時間切れかァ。また放課後お話しようネ。ア・リ・ス♪」

鎌を出現させ、空間を裂き、スコルビウスは去っていった。

「⋯本当に嫌いだ。」


◇◇◇


教室に入ると、文披七瀬が心配そうにこちらを見つめ、早緑優一菜が鋭い目付きでこちらを睨んでいる。

「(厄介だ。何もかも。)」

席に着くと、文披七瀬が小声で話しかけてくる。

「遅かったけど、何かあった?」

心配そうにこちらを見るものだから、スコルビウスの事を伝える気になれず、オレがただ首を横に振ると、文披七瀬は、それ以上訊いて来なかった。


特に何も無く午後の授業も受け終わり、放課後。屋上へ一人向かうと、そこには既にヤツがいた。

「来た来タ。」

「「そんなんだから足元をすくわれる」と、言っていたね。どういう意味?」

「そのままの意味。⋯まさか、アリスの姿をあの子が見ることが出来たの、本当に偶然だと思ってるノ?」

「?!なんでその事を知って!」

「知ってるも何も、彼に術をかけて君たちを引き合わせたのは、ボクなんだから。」

「な⋯」

死期が近くない文披七瀬が、オレの姿を見ることが出来た事を、不思議に思わない訳じゃなかったが、同僚の仕業とは。考えも及ばなかった。

「何でそんな事を⋯⋯まさか、」

一度パズルのピースが嵌ると、周りのピースも嵌っていくように。この死神のやろうとしていた事が見えてきた。

「早緑優一菜の死因を作ったのは、お前か。」

「やだァ。アリスが珍しく怒ってル~。」

「どうなんだ。」

「そうガミガミ吠えないでヨ。⋯あの交通事故の現場一体に、アリスがこの町全体に掛けてる術と同じモノを一時的にかけたんダ。あの術がないと、現世のものを動かすことは愚か、触ることも出来ないからネ。」

「どうして⋯」

「アリスが悪いんだヨ。」

「は?」

「魂の収集成績、いつもいつもトップはアリス。ボクはいつも二番目。周りからの評価も万年二位。ボクのこの屈辱が、アリスに分かル?」

死神界では半年に一度、魂を輪廻管理機関へ預けた成績を発表している。

「そんなことの為に?」

「アリスには、そんな事かもしれないけれど、ボクはとても耐えられなイ!⋯⋯だから、アリスの方からトップを降りてもらうことにしたんダ♡」

スコルビウスが、背後に立ち、オレの腰にぬるりと手を回す。そして、耳元で気味悪く呟いた。

「堕ちるところまで堕ちてネ。アリエス♡」

「ッ!!」

気持ち悪さに耐えきれず、腰に回された腕を振り払う。

「死神の仕事をなんだと思ってるんだ!」

「命を狩る仕事だけド?」

「⋯違う。命を運び、輪廻まで導く仕事だ。」

「綺麗事はいいよ。」

スコルビウスは、フェンスの支柱を詰めているブロックに腰をかけ、足を組み、尚も相手を見下すような目でこちらをみた。

「アリスもボクも死神界には知られたらまずいコト、あるでショ?」

「⋯。」

「特にアリスは、禁忌を犯してるからね。これを知ってるボクのこと、あまり邪険にしない方がいいんじゃなイ?」

「⋯。」

何も言い返せない。そんなオレの様子を楽しんでいた性悪な死神は、オレの肩を二回、ポンポンッと叩き、屋上から去っていった。

「あーーーーーーーーーー!!!!!!!」

空は同じ色のままなのに、自分一人だけが夜の闇に放り出されたようだった。



◇◇◇


翌日。文披七瀬はお昼休みになっても姿を表さなかった。

「(昨日の早緑優一菜の様子を考えれば当たり前か。)」

ポケットから空の小瓶を取り出し、昨日、スコルビウスの口から明かされた奴の罪を思い出す。

「(奴のしたことは消して許されない事だ。なら、今日までオレが文披七瀬にしてきたことは⋯?)」

声に、言葉にならない気持ちが全て小瓶を握る手に伝わり、小瓶が音を立てて割れた。

「⋯。」

手からゆっくりと血が流れると共に痛みが拡がる。

しばしそれをじっと見ていると、突然屋上の扉が開いた。

「お待たせ、アリエス!」

「文披七瀬?」

「え?!なに、ちょ、どうゆう状況?!」

パニックになるのも無理は無い。手からタラタラと血を流しながら、当の本人ほ平静を保っているのだから。

「止血しないと!」

そう言ってカバンからポーチを取りだし、テキパキと手当を始める文披七瀬とされるがままにされるオレ。

「破片刺さったりしてない?!」

「多分。」

「んー⋯僕のコンタクト、そんなに度数高くないからな⋯ちょっと見にくいからスマホでアップにしながら見てみようかな。」

そう言ってスマホを取りだし、オレの手に破片が刺さっていないかを細かくチェックしていく。

「大丈夫そうだね。良かった⋯。」

ポーチから滅菌ガーゼやら包帯を取りだして、手際よく手当を続ける。

「⋯よし、あとはここをこうして⋯」

「⋯何で。」

早緑優一菜と共にいて、来ないと思っていたのに、どうして。

「?あー、これはね、優一菜がよく怪我してたから、持ち歩くようにし「違う。」

文披七瀬が首を傾げる。

「何で来たんだ。早緑優一菜は?」

「あー、そっちか。⋯はい。手当終わり。」

「⋯ありがとう。」

「優一菜のことは、アリエスに今日まで記憶を渡してきても、大切に思ってることに変わりは無い。けど、それよりも僕はここに来る事の方が大事だと思ったから。」

「え?」

「だって、優一菜が今こうして学校生活を送れているのも、僕が彼女と今を生きられているのも、君のおかげだから。アリエスには、本当に感謝しているんだ。だから、ちゃんとその恩に報いたい。」

「(なんで、そんな真っ直ぐオレの事を見れるんだ⋯?オレは、お前達の日常を壊した犯人と同じ死神なのに⋯。)」

「⋯⋯アリエス、泣いてるの?」

「ーっ!?泣いてなんか、」

口から言葉を出した途端、泪が溢れて止まらくなってしまった。

「(やめてくれ⋯!優しくしないで⋯!)」

罪の意識が、オレの心を蝕んでいく。

それなのに、何故か文披七瀬が気まずそうにオレの背中を擦る。

「こういう時にこそ、小瓶に記憶を入れて渡してあげたらいいのかもしれないけど⋯割れちゃったんだよね⋯?新しいのある?」

我慢の限界だった。短く「大丈夫。」とだけ言って立ち上がる。

「アリエス?」

「今日はいい。わざわざ来てもらったのにごめん。」

オレは逃げるように屋上の出入口向かった。

「アリエス!!」

後ろからオレを呼び止める声に振り返ることなく。オレは屋上から、文披七瀬の元から走り去ったのだった。


ここならば誰も来ないだろう。と、校舎裏で一息つく。

「あれ?春惜さん?」

「??!!」

誰も来ないと思っていたのに、声をかけられて、心臓が飛び出るかと思った。

「早緑優一菜⋯さん?こんなところで何を?」

「春惜さんが走っていくのが見えて、どうしたのかなーって思って。」

「⋯そう。」

早緑優一菜が、オレの近くまで来て、顔を覗いてくる。

「泣いてるの?」

「別に。⋯それより、何か用がないなら、1人にして欲しいんだけど。」

「⋯用って程のことじゃないだけど、春惜さんとお話がしたくて。」

「話?」

「うん。あのね、転校してきたばかりだから知らないと思うんだけど、ゆいと七瀬くんは付き合ってるの。」

「⋯そう、なんだ。」

下手に刺激しないために話を合わせる。

「だから、昼休み二人っきりで過ごすのやめて貰えないかなーと思って。」

「⋯オレから頼んだことじゃない。」

「うん。でも、ななは、優しいから。一人でいる春惜さんを放っておけないんだよ。だから、春惜さんの方から、ななにお昼一人でいいって言って欲しいの。」

オレは最初からそう言っていた。⋯と、声に出したいのに、それは叶わなかった。いつの間にか、生まれていた気持ちが邪魔をして。

今日、お昼休み文披七瀬が来なかった時、オレは何を思った?仕方ない。そう思った。本当にそれだけ?文披七瀬が現れた時、オレは何を感じた?

「⋯。」

「春惜さん?」

「⋯⋯オレじゃなくて、文披七瀬本人に言うべきなんじゃないの?」

これが精一杯のオレが返せる言葉だった。

「言ったよ。でも、「優一菜のお願いでもそれは聞けない」って言われたの。」

「え⋯?」

「ねぇ、ななに何をしたの?ゆいのお願いをあんな風に断ったことないのに。ななを返してよ!」

早緑優一菜に両肩を捕まれる。

華奢な手からとは思えない力で。

「っ痛⋯」

痛みに耐えられず、目を瞑る。

しかし、目を瞑ってすぐに、痛みがひいた。

「?」

恐る恐る目を開けると、早緑優一菜の手を掴み、肩で荒く呼吸をしている文披七瀬がいるでは無いか。

「なな⋯?」

「優一菜、何してるの?」

「ええっと⋯」

返答に困る早緑優一菜とオレが初めて見る文披七瀬の顔。

「文披七瀬⋯怒ってるの?」

「当たり前!」

「初めて見た。怒ってる顔。」

「へ?!」

気の抜けた声を発し、文披七瀬は早緑優一菜の手を離した。

「文披七瀬、早緑優一菜に怒っての?」

「まぁ⋯。」

改めて聞かれたことが気まずいのか、首に手を当てながら答えてくる。

「⋯なら、怒る必要は無いよ。早緑優一菜の行動は当然のことなのだから。」

「え⋯?」

「ごめんなさい。早緑優一菜さん。」

オレは早緑優一菜に向き直り、精一杯の誠意で謝罪をした。文披七瀬と昼を過ごすことを、いつの間にか楽しみにしていたことと、スコルビウスが彼女にしたことを。

「春惜さん⋯」

「じゃ。」

今日のオレは逃げてばかりだ。そう自覚しながらもその場を立ち去ろうとするオレの腕を文披七瀬が掴んだ。

「逃げないで。ちゃんと話をしよう?」

「文披七瀬⋯」

「優一菜、ごめん、二人で話をさせて?」

「なな⋯⋯。わかった。春惜さん、肩ごめんね。」

早緑優一菜が居なくなると、文披七瀬に強く手を引かれ、校舎裏の日陰に連れていかれた。

「⋯文披七瀬?」

「⋯。」

文披七瀬は、何をどう話始めるか悩んでいるのか、黙ったまま、下を向いている。

そうこうしているうちに昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。

「昼休み、終わったね。」

「うん。」

「教室、戻らなくていいの?」

「アリエス。」

「何?」

「なんで泣いてたの?」

今度はオレが黙る番だった。

何をどう説明するべきなのか、そもそも教えるべきなのか。

「アリエス?」

「⋯アンタには関係ない。この話は終わり。早く授業に行きなよ。」

オレは突き放したつもりだったのに、文披七瀬は、オレを抱きしめた。

「な?!」

「アリエス、どんな事でも、僕は受け止めてみせるから、関係ないなんて言わないで。自分の殻に篭って一人で泣かないで。」

漸く止まった涙が再び溢れだしてくる。

「なんなんだよ⋯お前⋯」

「あはは⋯。なんでだろうね。でも、アリエスが辛そうにしてると、僕も辛いんだ。」

「馬鹿なヤツ。⋯きっと聞いた事を後悔するよ。」

オレは観念して全てを話すことにした。

死神のスコルビウスがあの事故を起こしたこと、それなのにオレはお前から記憶を対価に受けとってしまったこと。

文披七瀬は、黙って只オレの話に耳を傾けていた。

「謝って許されることでは無い事は、充分わかっている。それでも謝らせて欲しい。ごめん。」

「アリエス、顔を上げて。」

オレは、促されるまま、恐る恐る顔を上げる。

顔を上げた先には、穏やかに笑う文披七瀬がいた。

「話してくれて、ありがとう。真実を知る事が出来て良かった。」

「⋯なんで、笑っていられるんだ。お前達の日常を壊したのに。」

「それはスコルビウス?っていう死神で、アリエスじゃない。」

「でも、オレは、あいつと同じ死神で⋯」

「アリエスは、ソイツとは違う。俺の願いを聞いて、彼女の未来を繋げてくれた。きっとアリエスじゃなかったら、僕の願いは聞き届けられず、今こうして僕も優一菜もここにはいなかった。」

軽蔑されると思っていた。顔も見たくないと言われても仕方無いとさえ思っていた。

なのにーーー。

「なんで優しくするだよ⋯バカ。」

「それだけ感謝してるってことだよ。」

「(ああ、またこの真っ直ぐな目に惹き付けられる。⋯これが好きになるって事、なのかな。)」


校舎裏の日陰はいつの間にか陽向になり、オレ達の周りを明るく照らしていたが、俺達の足元は木陰になっていて、暗いままだった。

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