TSUTSUJI
結城 佑
第1話 紫
今朝から風が強く吹いていた。
病室の窓から見える桜が、風に煽られ散っていく。
彼女の命もこの桜のように散ってしまうのではないか。そう思うと、不安と焦燥感が俺の心を埋めつくした。
「
病室のベッドで、未だに目を覚ますことなく眠り続けている
彼女が交通事故に遭ってもう四ヶ月。その間、時々手や眉が少し動いて反応することはあっても、意識が完全に戻ってくることは無かった。手を握ってみても、握り返してはくれない。指は日に日に細くなり、彼女の命のリミットを告げているようだった。
祈るように手を握り続けていると、突然目の前がほんのりと紫色に光り出す。
「?!」
次の瞬間、光が強さを増した。眩しさに耐えきれず、手をかざして光を遮断したが、直ぐに光は収まった。
「⋯⋯。」
かざしていた手を退けると、目の前には真っ黒な服に身を包み、深くフードを被った人物が立っていた。
その人物が顔を上げると、フードが靡き、顔が見える。
「(綺麗な人⋯。)」
美しい顔の青年は、数秒優一菜を見つめたかと思うと、手に持っていた大きい鎌を、彼女に向けて振り上げた。
「待っ「早緑さーん、点滴変えに来ましたよー。」
病室に点滴のセットを持った看護師が入ってくる。
「あら、
「こ、こんにちは。」
青年が鎌を振り上げたままの姿勢で、こちらをじっと見ている。しかし、看護師は、青年に気付いていないようだった。
「毎日ありがとうね。優一菜ちゃんもきっと、喜んでるわ。」
「⋯目を覚ました時すぐに居てあげたいので。」
「良い彼氏ね~。⋯ってこれじゃおばちゃん臭いわね。笑」
点滴の交換をしている看護師の後ろで、今この場では僕以外には見えていない青年は、先程振り上げていた鎌を、体の横に立てて持つと、こちらをじっと見ている。
「じゃあまたね、七瀬君。何かあったら、ナースコール。よろしくね。」
「はい。」
交換を終えた看護師が再び青年の身体をすり抜け病室を出るや否や青年が話しかけてきた。
「ねぇ。オレが見えるの?」
俺は少し間を置いてから、ゆっくりと頷く。
「⋯うん。」
「ハッキリと?」
「ハッキリと。⋯君は、何者なの?」
青年の夜空を閉じ込めたような瞳と目が合った。
「死神。」
服装や鎌からそんな気はしていたから、僕は、そんなに驚きはしなかった。
「アンタ、名前は?」
「
青年が名前を聞くなり、革製のウエストポーチから辞書の様な本を取り出す。
「ふみ⋯ふ、ふ⋯ふみひらげ⋯。」
何やらブツブツ言いながら本をパラパラとめくっていく死神。そして、数秒の沈黙の後、大きくひとつため息をついた青年は、本を閉じた。
「⋯無い。」
「え?」
「アンタの名前。先五年まで探してみたが無かった。霊感が強いわけでもなさそうなのに、なんで⋯」
死神は、口元に手を添え、しばらく考え込んでいたが、ふと顔を上げると、こちらに向き直る。
「見えてしまっているものは仕方がない。でも、オレもこれは仕事なんだ。」
そう言うと、死神は再び鎌を振り上げた。
僕は咄嗟に優一菜に覆い被さる。
「どいて。名前の載ってない人間の魂を、狩る訳には行かないんだから。」
「優一菜は、その本に名前があるんですか?」
「ある。」
「そんな⋯。」
「悪く思わないでね。」
「まって!!連れていかないで!」
「オレに仕事を放棄しろって、そう言いたいの?」
「タダでとは言いません!でも、彼女は。⋯彼女だけは⋯。」
「何でそこまで⋯。」
分からない。と、いった表情の死神の鎌を掴もうとしたが、出来なかった為、そっと手をかざした。
「愛しているんです、彼女の事。」
「アイ?」
困惑の中に哀愁を孕んだ顔をする死神。
「⋯君には居ないの?愛する人。何を犠牲にしてでも守りたい大切な人。」
「⋯。」
僕は死神の近くに行き、土下座の体勢でおでこをこれでもかというくらい床につけた。
「僕の命を代わりに差し出したって構わない。お願いです。だから、どうか彼女だけは⋯。」
俺の懇願は、死神に届いただろうか。
ゆっくりと顔をあげると、死神は、片膝をついて俺の方をじっと見ていた。
「⋯⋯死神食事って、アンタはなんだと思う?」
「へ?」
唐突な問いかけに俺は間の抜けた声を出してしまう。死神は、俺のそんな声気にも止めず、やはりこちらをじっと見ている。
「⋯魂、かな?」
俺が答えると、軽い溜息をつかれた。
「違う。魂は狩って、輪廻の輪を管理している機関へ連れていくだけ。食べたりはしない。」
「そうなんだ⋯。」
死神は、すくっと立ち上がると、優一菜の方に視線を向けた。
「オレらが食べるのは、生前の記憶だよ。」
「記憶⋯?」
「尤も、必ず食べないとならないものでは無いから、娯楽。とも言えるけど。」
「⋯つまり、何が言いたいの?」
僕の問いかけに、再び死神はこちらを向く。。
「アンタのその“アイ”の記憶をくれるなら、“ココ”に書かれてる、早緑 優一菜の死期を書き換えてあげる。」
つまり、彼女を助けたいなら、その彼女との掛け替えの無い思い出を差し出せ。と、言うことらしい。それでも構わない。それ以外に方法は無いのだろうし、それで彼女の命をまだここに繋いでおくことが出来るのなら、喜んで差し出そう。
「⋯分かった。」
「取引成立。」
死神が鎌をクルクルと器用に回し始める。
次第に鎌の残像は小さくなり、そして、彼が現れた時と同じ光を放ったかと思うと、次の瞬間鎌が消えた。
「鎌は?!」
「ココ。」
死神が、チェーンのブレスレットを見せてくる。
そこには、十字架と鎌の形をしたチャームがついていた。
「可愛い⋯。」
「バカにしてる?」
「し、してないよ!」
「⋯じゃ、早速だけど。」
そう言って、本が入っていたウエストポーチの脇のポケットから小瓶を取りす。
コルク栓を外し、小瓶をこちらに向けてきた。
小瓶からは、不快では無いが、なんとも言い表せない香りがする。
「不思議な香り。」
スンスンと香りを嗅ぐと、他に何もしていないのに突然小瓶に梅重色の液体が突然湧き始め、一分もしない内に小瓶いっぱいになった。
「とりあえず、今回はこれだけ。」
「え?」
彼女との思い出は、まだ鮮明に思い出せる。
「⋯彼女との出会いを思い出してみなよ。」
僕は言われるまま、思い出そうと目を瞑った。
「⋯⋯あれ?」
戦慄が走る。何度も何度も、思い返しては幸せを噛み締めていた出会いの思い出が全く思い出せない。
「今日はそれだけ。これは、あくまで娯楽。そんな大量摂取出来ないし、持ち歩けもしないからね。」
「そ、そっか⋯」
「⋯今日この日までの記憶を、こうして小分けで貰ってく形になる訳だけど。後悔はないね?」
僕は拳を強く握り、立ち上がる。
「⋯寂しいけれど、これで彼女が助かるのなら、それでいい。」
まっすぐ死神の目を見て応えた。
「そう。」
短くそれだけ言うと、死神は先程の本を広げ、とあるページを開き、何やら呪文を唱え、そのページの中段を指でゆっくりとなぞり始める。
指が進む度に、何かがジリジリとやけるような音がする。
なぞり終えると、本をパタリと閉じてウエストポーチへ仕舞った。
「これで早緑優一菜はこの事故が死因ではなくなった。」
「本当?!」
「くだらない嘘はつかない。」
「ありがとう。ありがとう⋯!」
僕は何度も何度も死神に頭を下げた。
「⋯不老不死になった訳でもないのに。」
「それでも、彼女に未来への希望が戻ったのならそれでいいんだ。」
「そう。オレの名前は、アリエス。これからよろしく、文披。」
「七瀬でいいよ。僕の頼みを聞いてくれてありがとう、ありえす。これからしばらくよろしくね。」
アリエスと僕は、二人だけの秘密の契約を交わした。
「⋯じゃあ、まだ仕事があるから、オレは行く。」
「うん。またね。アリエス。」
アリエスが呪文を唱えると、先程小さくした鎌が再び大きくなる。
鎌を振り下ろすと空間が裂け、そこにアリエスが飛び込み、直後、空間の裂け目もアリエスも綺麗に消えた。
「(死神ってああやって移動するのか⋯。)」
そんなことを考えながら、アリエスの消えた場所を見ていると、ベッドの方から懐かしい声が聞こえた。
「ん⋯。な、な?」
顔だけ吹っ飛んで行ってしまうんじゃないか。と、いうくらい勢い良く優一菜の方を見る。
「ゆ、いな⋯?」
「な、な。」
僕は、気持ちが溢れて、涙を大量に流しながら、優一菜を力一杯抱きしめた
「な、な。あた、た、かいね。」
「うん⋯。」
アリエス、ありがとう。
気持ちの波が少し穏やかになった頃、ナースコールを鳴らすと、先程来た看護師が来て、その後、先生やほかの看護師たちも集まって来た。
毎日見舞いに来ていたからか、沢山の人に「七瀬君良かったね。」と声をかけられる。
優一菜はと言うと、四ヶ月も眠っていた為、起き上がることも危うく、耳もまだ聞こえにくい状態とのことだった。
「これから一緒にリハビリ頑張ろうね。優一菜。」
◇◇◇
あれから二週間。
優一菜は、血のにじむような努力で辛いリハビリに取り組み、少しづつ前と同じように動けるようになってきた。
まだ車椅子は必須だが、退院を許され、今日から学校に通う予定だ。
優一菜の座る車椅子を押しながら、一緒に通学路にある桜並木を歩いていると、優一菜が懐かしむように桜を眺めながら呟いた。
「こうして一緒に歩いてると、出会った時のことを思い出すね。」
「⋯。」
どう答えるべきか悩んでいると、優一菜の膝に花ぴらがヒラヒラと舞い降りる。
それを手に取り、こちらの様子に気づいていないのか、優一菜が言葉を続けた。
「ゆいが落としたハンカチを、ななが拾ってくれたんだよね。」
「⋯そうだったね。」
もうそのハンカチがどんな色でどんな柄だったかも、どんな風に渡したのかも、その時の優一菜の顔も何一つ思い出せない。
「ゆい、まだあのハンカチ大事に持ってるんだよ。」
そう言って膝の上に載せていたカバンから白地に梅の花が刺繍のされたハンカチを取りだした。
「⋯ありがとう。」
「ゆい、嬉しかったから。」
もうこの気持ちを共感出来ないのか。と、分かっていたことなのに、とても心が締め付けられる。
車椅子の押し手を強く握り、泣きそうになるのを必死に抑えた。
学校に着くと、校門で級友達が待っていた。
「優一菜ちゃん、良かった!目が覚めたんだね!」
「優一菜ちゃん本当に良かった!」
「困ったことがあったら、なんでも言ってね!」
あっという間に、優一菜が女子達に囲まれてしまう。
「みんなありがとう。」
優一菜は、みんな一人一人にあいさつをした。まるでアイドルの握手会を見ているような気分になる。
一通り再会の挨拶を済ませた級友達と教室へ向かう。その道中で級友達から、学校側の配慮で、優一菜は行けなかった高校一年の三学期分は、放課後補習授業を受けることで、みんなと一緒に進級を許されたということを聞かされた。
教室へ入ると、丁度本令のチャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「皆さんおはようございます。そして、まず、早緑さん。退院おめでとう。そしておかえり!」
クラス中に拍手が鳴り響く。
「それから、今日は、転校生を紹介します。入ってきて。」
担任の教師に手招かれ、入ってきた女の子に、皆、釘付けになる。
少し紫がかったロングヘアを高い位置で二つに結っている。
「(なんかどこかで見たような⋯。)」
僕は、初めて見るはずの彼女に、何故か転校生に既視感を覚えた。
「
「よろしくお願いします。」
「席は、あそこ。文披君の隣ね。」
「はい。」
教師に言われるまま、隣席に座る転校生。
「よろしく。」
「よ、よろしく。」
それ以外は何も話すことなく、時間だけが過ぎ、あっという間に昼休みになった。
すると、突然、転校生に話しかけられる。
「ねぇ。ちょっと一緒に来てくれる?」
「え?あ、う、うん。」
屋上に着くと、転校生が、制服上着のポケットから、見覚えのある小瓶を取り出して見せてきた。中身は空だ。
「ま、まさか、ア、アリエス?!え?でも、だって⋯。」
「何をそんなに驚いてるの?」
「だって、二週間前と姿格好が違うし⋯。」
「死神のまま学校には来れないでしょ。」
「そ、それに、皆にも見えてるし!」
「それは、ここ何日かかけてこの街全体に術をかけたからね。」
「術?」
アリエスは、フェンスにそっと手を添えて、屋上から街を見下ろした。
「オレの姿を認識できるようにする、一種の催眠術みたいなもの。」
「そんな術も使えるのか⋯。」
「普通は使うメリットが無いから、死神の中でもマイナーな術だけどね。」
「じゃあなんでアリエスは使ってるの?」
「⋯わざわざ死神界とこっちを、行ったり来たりするのは、面倒だからね。」
「そ、そっか。」
淡々と僕が投げかける質問に答えていたアリエスだったが、ふと、思い出したようにこちらに振り返った。
「⋯彼女、元気そうだね。」
「お陰様で。」
「後悔してる?」
「野暮なこと聞くね。⋯まぁ、今朝、早速アリエスに渡した記憶の事聞かれた時は、参っちゃったよ。⋯でも、後悔はしてない。一ミリも。」
アリエスの目をしっかりと見て、ハッキリと答える。
すると、アリエスは、まだコルクを開けていない小瓶をこちらに向けてきた。
「なら、おかわりといこうかな。」
「開けてからこっちに向ければ手っ取り早いのに、律儀だよね。」
そう言って僕が、自らコルクを開けると、前回と同じように小瓶の中に突然液体が湧き始める。
「あれ?前回と色が違う。」
「そりゃ、思い出に持つイメージの色が違えば変わるに決まってるでしょ。」
「そういうものなんだ?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「言ってないよ。」
アリエスが石竹色の液体の入った小瓶のコルクを閉め、上着のポケットに入れた。その時。
「あ!!」
上着の袖口から時計が見え、思わず声を上げてしまった。
「な、何?!」
「昼休みが終わっちゃから、お昼ご飯食べないと!教室戻ろう!」
急いで教室に戻ろうとする僕と、全く動く様子のないアリエス。
「アリエス?」
「ご飯なんて持ってないし、食べないから、オレはここにいる。」
「お腹空かないの?」
「死神だから。」
「そうなのか⋯。」
少し考えて、いい考えを思いついた。
「僕、ここでご飯食べるから、持ってくる!」
それだけ言い残して教室に急いで戻り、お弁当を持って屋上に戻ると、アリエスは、屋上のフェンスに凭れ掛かって高い位置で結んだツインテールと制服のスカートを風に靡かせながら、何処か遠くを見つめていた。
「お待たせ。」
「本当に持ってきたの?」
「?うん。そう言ったでしょ?」
「それは、そうだけど。アンタ、級友達と一緒に食事しなくていいの?」
「うん。だって、アリエスが一人になっちゃうし。」
「馬鹿だね。」
僕にはこの時、アリエスが少し笑ったような気がした。
「アリエスは、死神になってどれくらい経つの??」
「まぁ、100年くらい?」
「それって、ながいの?」
「全然。1000年やってるってのもいる。」
「千?!」
「オレらには寿命は無いからね。」
アリエスは、こちらが食べている物には目もくれず、先程の小瓶を手で弄んでいる。
「アリエスは、死神の時は男で、人間の姿の時は女なの?」
「アンタにはそう見えるの?」
「え?うん。」
ツインテールに女性との制服と黒タイツ。これでそう見えない。という方が無理があると思う。
「オレ達死神に性別なんてないよ。」
「え?!そうなの?!」
「あの姿なのは、仕事をするのに楽だから。今のこの姿は、アンタの目の前に出ても、咄嗟に名前を呼ばれないようにする為。」
「確かに、直ぐに誰だか分からなかったもんなぁ。」
「この世界の雑誌とかを見て、真似たんだよ。」
「(どの雑誌を見てこうなったんだろ⋯。顔が整ってるから、似合ってはいるけど。)」
そんなことを思っていると、昼休みの終了を知らせる予鈴が鳴り響いた。
「教室戻ろうか、アリエス。」
「芙三香。」
「え、あ、そっか。ごめん。」
「まったく。」
春の陽気のせいなのか、とても心がポカポカ心地よかったあの時間に後ろ髪を引かれながら教室に戻ったのだった。
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