上靴は勝手に汚れない

田谷波 赤

第1話

  Tall trees catch much wind.


 出る杭は打たれる、という諺がある。こんなこと今更言う必要もないが、冒頭に挙げた英文は直訳すると「高い木はより多くの風を受ける」——出る杭は打たれるの同意語として知られる文だ。

 It’s no use crying over spilt milk——覆水盆に返らず、のようには適した英文がないと聞くが、何事も周囲と同じことが正義と考える日本人とそうではない西洋人の違いがよく出た面白い話だと思う。日本では目立たないことが美とされているのだ、基本的には。


 そう考えてみると、自ら目立とうとする陽の人間はある意味凄いのかもしれないと、賛美の拍手を贈りたくなる。喜んで、西洋への留学をお勧めしよう。

 しかし、彼らが自らの意思を持って目立つのはどうぞご自由に、だが、僕たちを巻き込むのはやめて頂きたい。普段は名前を知っているかどうかも怪しいレベルの癖して、文化祭なり体育祭なりとクラス単位の行事となった途端に謎としか言いようのない団結力を発揮して僕らに構ってくるあのは陽キャの要らない気遣いとしか言いようがないし、甚だ迷惑なだけだ。

 僕たちは自分の意思を持って目立たないのである。


 さて、ご覧の通り、目立つことを——まるで女子が床に現れたあのGを見るが如く——嫌う僕、速水弥はやみわたるは今、今日の授業を受け終わった後、所謂放課後という時間に突入していた。特段学校を好くわけでも、部活があって学校に用がある訳でもない僕は迅速にこの場を去るべきだが、かえってその行動が変に目立つことを僕は知っている。

 帰宅部一軍がすっかり帰って、二軍が帰る準備を終えたくらいに帰るのがベストだ。


 有言実行——その言葉通りに僕はカバンを背負ってさっさと教室を出る。


「ねえ、今日この後どっか行かない?」

「あーごめん今日テニス部があってぇ〜」


 そんなよくある女子の声が聞こえてくる。

 誰かを誘うのであれば、どこに行くかを決めておけ、と思うが僕には小指の爪ほども縁のない話だ。

 僕にも駄弁られる友人はいるが、その付き合いは学校内で終わる程度だ。それ以上はない。


「お、お疲れー」

 と言うのは、その友人の1人、羽合はあい

「ハワイもお疲れ」

 と簡素に返事。こんなところで、時間を潰す気はない。が、「おいおい」と突っかかってくる。

「俺はアメリカ合衆国50番目の州じゃなくて、はあい、だ。間違えんな」

 はあい、って言うと返事をしてるみたいになるんだけどな、と呟くが、当の羽合はさっさといなくなっていた。

 全く勝手なやつである。




 校門を出て、少し歩くと目的地に着いた。

 別に家がない訳ではないが、訳あって一人暮らしをしているので光熱費の節約云々を考えた結果、この隠れ家的な場所に通うようになってしまった。

 隠れ家的な場所——かのフィリップ・マーロウの台詞、『ギムレットには早すぎる』を言えるようなバーの前であるなら格好がつくのだが——それは市立図書館である。


 誠に遺憾なことであるが、僕の通う高校の形ばかりの図書館は揃えがいいとは当然言えないし、ベクトルを間違えた流行りのものも頑張って入れているようだが、残念ながら僕の趣味とは合わない。それに対してどうだろう。この図書館は僕の好む推理小説も幅広く取り揃えていて、実に僕と気が合う。財布の紐を緩めないとなれば、この図書館に来るのは必然的と言えるだろう。


 今となっては、顔馴染みとなった司書のササキさんが一生懸命になってパソコンに何かを打ち込むのを尻目にいつもの席に向かう。ここの読書コーナーの横は一面がガラス張りと洒落ていて、周りに植えられた木の隙間からは小さな池も見える。

 横が公園となっているためだが、そちらでは人影が見えるのにこちらでは見えないのはどうしたものか。餓鬼どもが騒ぐのは好ましくないが、市の財政管理などで図書館がよくて縮小、悪くて閉館となることもあると聞く。ここが閉まるのは由々しき事態だ。きっとササキさんも同じ気持ちだと思う。


 カバンをいつものように横の席に座らせるが、問題になることはない。理由は言うまでもなくガラガラだから。

 ちょいちょい、と文庫コーナーや新刊の並んだ本棚を見て今日の獲物を決める。獲物と言えば、僕がまるでそれをぐちゃぐちゃにしてしまうように聞こえるが、これから読む本を決めたに過ぎない。

 さぁ、ゲーム開始だ——獲物ゲーム遊戯ゲームを掛けたかっただけなので気にする勿れ。


 そう、僕にとって推理小説を読することはある種のゲームなのである。僕らにフェアプレイを誓ったものならなお良し。犯人、トリック、作者の敷いた伏線を読みながら解くことに勝る遊戯を僕は見つけたことがない。


 ドン。


 そうそう、こうやって僕の遊戯の邪魔をするやつ。本当に気に入らない。

 まず、こういう音をたてるやつは僕の知っている中にはいない。

 大前提として、ササキさんはこんな音を立てるような真似はしない。本への愛情が深い人だ。となれば、僕の知らない誰かが、僕が本を読んでいると判っていながらその僕の前で不必要であるだろう音を立てて僕の邪魔をした。

 これは由々しき事態である。

 最近の政治家の『記憶にございません』に変わる流行りの言葉を使うなら——


 ——誠に遺憾である。


 それはさておき、問題は僕の邪魔をしたのが誰かという話である。


 顔を上げた。


 目の前の人物と目が合った。


 それは女子だった、パッと見ただけでも可愛い部類に入ると判る。


 しかも知っている顔の。


 同じクラスの、樋口ひぐちさんの顔がそこにはあった。



 

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