迷宮のレオーネ
朽木真文
第一階層 大喰い姫
第1話 迷宮都市カリメア
窓外には茜色に染まり始めた空と、天高く
大して広い店ではないが、この都市でも人気な酒場に数えられるここは笑う狼亭。迷宮に近く、市場とも近いこの場所は探索者の集合場所として最適なのである。夕方と言う事もあり、人は少ないがそれでも夕方の酒場にしては人が入っている方だ。
談笑は響き、カードゲームに興じる席からはアガリを宣言する声が上がっている。そんな、楽しげで陽気さ満ちる店内の空気とは裏腹に、酒場の隅の隅の席。そこにはどんよりと暗く重い空気が流れていた。
豊満な女性の身体に合わせた革鎧。その胸部や、肩だけを金属が覆い隠しているのはコストと機能性を両立するためである。
皮のズボンには、装備を腰から下げるための太いベルトが巻かれている。佩いた剣は両刃の長剣。ポーチには
その上からは、露わになっている太ももを隠すように腰巻きが。皮のブーツは分厚く、地形的な障害を弾く実用的なものだ。
飴色の髪はポニーテールに。赤いヘアバンドは最早役割を果たしておらず、ただのファッションになり果てている。化粧はしていないが肌は驚くほど白く、唇は瑞々しい。
暗く湿っぽい空気を発しているのは、そんな一目見れば探索者だと分かるような装備に身を包む少女だ。
いや、私だ。
「はぁ……」
私は手中の紙を眺めながら、周囲の者が思わず目線を向けてしまうほどの大きなため息を漏らす。
契約破棄を示す書類だ。その書類の半ばには、確かに私が先日まで所属していた探索者のチームの名前と、私自身の、テルミニ・テセス・ローレンライトの名前があった。
そう。私にとってはこれで何回目かも分からない、探索者チームとの契約破棄であった。
今までは、たまたま彼らと馬が合わなかっただけだ。私はそう自身に言い聞かせていた。しかしながら、こうも解雇が続くと理由は分かる。そして、私の渾名の理由も。
「なぁ嬢ちゃん。昼間っからそんな落ち込むのは勘弁してくれねぇか? 辛気臭くて敵わねぇ」
酒場のマスターが料理と追加の酒を運んでくる。
丸太のような筋肉から提供される料理は、店主の見た目にそぐわず繊細な味付けで癖になるとこの辺りでも有名だ。私も、彼と彼の料理に何度もお世話になっている。
嫌なことがあった時しか来ていない筈なのに、彼に顔を覚えられてしまうほどに。
「しっかしこの時間から大したもんだな探索者ってのは。いや、嬢ちゃんは案内人だっけか?」
「あぁそうですよ! 案内人です! 死出の道の、とか言われてますけど!?」
「おぉ怖い怖い。探索者ってのは只でさえ寿命が短いのに、気も短いと来たもんだ。人間、こうはなりたくないね」
「ぐぬぬ……」
悪態を突くがひらりと躱され、料理を置いた店主は店の奥に消えていった。
危険な魔物が
案内人には二つの素養が求められる。
一つは簡単。的確なガイドとしての能力。
迷宮は目まぐるしく変化する。だが不規則ではない。変化には規則性や、階層ごとに決まった周期があるのだ。その規則性、周期を案内人たちは門外不出の商売道具として、探索者たちを案内する訳だ。
とはいえ知識だけでは務まらない。
各階層の魔物の種類と、それぞれの特徴や対処法、食物連鎖。迷宮のシステムについてもしっかりと把握していないといけない。
これらに関しては私は問題ない。
実の所案内人を名乗るには特殊な技術を要する。私はギルドから一人前と認められているし、師匠の教育方針のお陰で経験もある程度積んでいる。ちょっとした隠し芸もある。
問題は二つ目、敵を避ける能力。
「おい見ろよ、あれ
「へぇー実物初めて見た。なんか思ってたのと違うな」
「……」
まずい。大声で話したせいで存在が知られ始めた。まさかこの時間から呑んでいる探索者が私を知っているとは。
こそこそ話が起こり始めたので、美味しい料理を愉しむ事無くさっさと平らげ、私はとぼとぼと重い足取りで酒場を後にする。
「笑う狼亭」とはよく言ったものだ。狼の遠吠えのように、店主の笑い声が酒場の外にまで聞こえてくる。それに伴って、私の気分はさらに下がっていくのだが。
探索者チームから追い出されたとて、宿屋の宿泊代が無くなるわけではない。現時点での貯蓄で少しは泊まり続けることが出来るが、永遠ではない。私は、明日を生きるために稼がねばならない。
少し遅すぎる昼食を済ませ、鈍く重い足取りで向かうは探索者ギルドだ。迷宮を攻略する探索者たちが集まるギルド。
探索者のギルドは大きく分けて三つ。探索者、案内人、魔法師だ。その中でも探索者ギルドは迷宮の管理も担っており、他ギルドと提携することで案内人にはそこで、案内人を欲している探索者チームを融通してくれるのだ。
「はぁ……」
チリンチリンと、ギルドのドアに付けられた鈴が鳴り、私は再び溜息を漏らす。
それは、またここに同じ目的で来てしまったのかという感情と、次こそは契約を維持できるだろうかという感情が混じったせいだ。
「あら、テルミニさん」
窓口に立つ受付嬢が苦い顔をする。最早友人となるまでもう何度も会っているからだろう。
そして再び一人で会うという事は、そういう事である。
「何があら、だよ。いや、私も来たくなかったけどね?」
「でしたら頼みますから契約の維持をお願いしますね。何度も同じ契約書を書く身にもなってください。もう専用の様式集作りますか? 契約と契約破棄の。転写できるようにしておきます?」
彼女は笑えない冗談を呟きながら探索者チームのリストを取り出し、机に並べ始める。それはどれも案内人を必要とし、ギルドに申し込んでいるチームだ。
案内人は、高い技能を要する。だからこそ、契約は維持できなくとも、契約するチームが無いという事はあまり無い。
私はそれらに詳しく目を通す。
「ゼクレ、このチームは?」
私は並べられたリストの中から、一つのチームの名前を指差す。
チーム名の下に記されたメンバーのそれぞれの情報を見、中々に良さそうだと思ったのだが、ゼクレ・メクシールは私の選択を褒めるでもなく、苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる。
「あぁ、あまりお勧めしません。ここのリーダーは女癖が悪いんです。テルミニさんは性格がまぁ……あれですから。大喧嘩からのパーティー脱退の未来が見えます」
「そんな正確に予知しなくていいから。ここは?」
「そこはテルミニさんに言わせるとヘタレですね。探索者チーム結成からかなり経ちますが、まだ第二階層で燻っています」
「言ったこと無いけど」
探索者の力量を語るのならば、そもそも迷宮と言う物を語らねばならないだろう。
端的に表すならばそれは、文字通り人を迷わす宮。
迷宮は全く環境の違う幾つもの層で構成された建造物だ。いつ建造されて、何の為に存在しているかは一切不明。それでも人々が探索者と名乗り、迷宮の頂へと昇らんとするのには理由があるのだ。
それは富。迷宮には、数えきれない程の富が眠っている。
例えば第四階層で採取された薬草は、現在市場に出回っている物の数倍高い薬効を発揮し、どこぞの貴族の手に渡ったという。第六階層の地下深くには溶けない氷があると言われており、大昔に実際採取されたそれがどこかの王国の氷室に献上されたという。
最近では、第三階層で産出された遺物が迷宮の研究機関により目が飛び出る程の金額で買い取られたという事もある。この話を聞いてしまえば、迷宮の頂では願いが叶うという噂も納得してしまうだろう。
そんな迷宮に挑む存在が探索者。
迷宮は非常に過酷な環境で構成されている。
第一階層は光の存在しない冷たき洞窟。第二階層は打って変わって、巨木聳え草葉生い茂る森林。屋内であるにも関わらず、暴力的なまでの大自然が襲い掛かって来る。
それだけなら確かに脅威ではあるが、それ程恐れるようなものでもないと侮る者は多いだろう。だがそんな者らを尻込みさせるのが、迷宮に巣食う人間では無い存在、魔物だ。
例えば竜。堅牢な鱗を有し刃を通さず、だのにその鋭い爪や牙は人間の加工した金属を容易に切り裂き、魔法により炎を吹く。
例えば巨人。圧倒的な巨躯から繰り出される肉体の躍動は、人間であれば等しく脅威になる。そんな魔物と戦う存在もまた、探索者と呼ばれるものなのだ。
一般的なパーティーの平均到達階層は、第三から四階層になる。それ以降の階層へ行けるのは、ある程度経験を積んだベテラン達だ。ただ、それでも常人の限界は第五階層までと言われている。
上に登るにつれ環境は過酷に。魔物は強大になる。記録によると人類の最高到達点は、伝説とも謳われる探索者チーム、「頂の暁光」の第七階層という記録である。
だが彼らはその後再び迷宮に挑戦したが、十年経った今でも彼らを迷宮の外で見た者はいない。
その行方として最も有力な説は、その後第八階層へ挑み全滅した。というもの。
「うーん、なんかぴんと来ないんだよねぇ」
「はぁ……」
多弁で少し毒舌な受付嬢は大きなため息を漏らす。その表情は、あからさまに面倒がるようなものだ。
「貴女はただでさえ出来ることが少ないのですから、もっと我慢しないと」
「って言ってもなぁ……。っておーい! 何だよ出来ることが少ないって!」
さりげなく悪口を言われても、気心の知れた仲だ。本気で怒っている訳では無い。
それに、彼女の言葉は事実である。私自身それは、分かっていることなのだから。
「……とりあえず奥から他のリスト持ってきますので、お掛けになってお待ちください」
「りょーかい」
顔を見せたくは無いが、待ち時間にカウンターに立ち続けるのも不自然だ。私はロビーの長椅子に乱雑に腰を落とす。脚を組み、両腕を背もたれに広げる。
周りの探索者が私の存在を知り捌け始める。そして一部の者は好奇心からか少しずつ歩み寄って来るが、いつものことである。大した問題ではない。
だからこそ私は、迷いなく近付いてくる足音に気付けなかった。
「お前がテルミニなのか?」
私の窓口でのやり取りを見ていたのだろう。太い男の声が私の背から掛けられる。たまにある。私を揶揄うつもりだろう。
さて彼はどちらだろうか。精一杯の威圧するつもりで振り返るが、私はすぐに顔を引きつらせることになった。
「ん、魂視のテルミニでいいんだよな? やっと見つけた、探してたんだ」
声の主は、私の太腿よりも太いのではないかという腕を組みながら静かにそう零す。
そこには私の二倍はあろう背丈に、顔には激しい傷痕が複数刻まれ、ボロボロの道着の隙間からその引き締まった肉体を晒した、強面な大男が立っていたのだ。
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