変身のヴェール
和音
人に堕ち、空を晴らす
雨から抜け出し、傘代わりにしたスクールバッグを頭上から降ろす。学校からの帰り道、急に振り出した雨から逃げるように広い軒の下に入り込む。服に乗った水滴を払いながら息を整えていると、ある店の前で雨宿りをしていることに気が付いた。
『OPEN』と書かれた看板が立っているだけで何の店か分からない。窓を覗いても雨に濡れた私が反射されるだけで中が見えなかった。少し迷ったが、止む気配のない雨を背に扉を開く。店に足を踏み入れた瞬間、空気が変わるのを感じた。店内に目をやると、見たことのないようなものが所狭しと置いてある。棚には何かの
視界の端に何かが動いたのでそちらのほうを見上げると、光の玉が空中に浮かんでいた。重力を感じさせない様子で店の中を自由に飛び回り、奥に座っている人の真上に留まる。
紫のラインがいくつか入った黒い外套を羽織り、魔女のような恰好をした店員はこちらを一瞥もせずに、持ち上げるのも大変そうな本を読んでいた。店内は様々なものが置いてあってごちゃごちゃしているが、何故か纏まった感じがある。店員の恰好もあわせて、小さな世界がこの店の中に収まっているように見えた。
外からやってきた邪魔者の私はその世界をかき回しながらゆっくりと歩く。ついてくるように空に浮く光は黄金の指輪や燃えているように揺らめく赤い宝石を鈍く光らせる。その中でもとりわけ輝いているように見えたものを瞳がとらえた。金と銀の刺繍がはいった白い薄手の布。それは花嫁が結婚式の時に身に着けるようなヴェールだった。
それを瞳が映した瞬間、心臓が跳ねた。今まで感じたことのない熱が身体中を巡り、暴れ始めていた。値札も見当たらないので商品をほとんど駆け足でカウンターまで持っていく。私が急に動き出してびっくりしたのか、光の玉がどこかへ隠れて店の中が少し暗くなる。
「すみません、これっていくらですか?」
「あー、悪いが人間には売ってないんだ。あきらめて帰ってくれ」
店員は本をめくりながらそっけなく言うが、私の心のどこかから感情があふれて止まらない。今を逃したら次の機会は絶対にない。その確信めいた焦燥感が私から諦めるという選択肢を奪った。かといって何か考えがあるわけでもないので、しばらくカウンターの前で立ち尽くしていると店員はため息をつきながら本を閉じる。
「君がそこにいると暗くて本が読めないのだ…が………」
魔女の恰好をした店員の目線が今までで一番といってもいいくらい真剣な私の瞳を捉えると、黒い帽子から覗く瞳が驚いたように大きく見開かれる。
「なるほど、面白いじゃないか」
危険な笑みを浮かべた魔女の瞳が赤黒く染まっていく。ワインが注がれたように揺れる瞳から目が離せない。身体の奥から何かが吸われる感覚があるが、身体が動かない。ゆっくりと伸びた魔女の手が私の頬に触れようとした瞬間、意識の外で強く握りしめていた純白のヴェールから飛び出た静電気のような何かがそれを阻む。
それを確認した魔女は満足したように座りなおして、軽々と大きな本をどかすと、夕焼けの淵みたいな黄色が差した紙のようなものに夜空のインクで魔法陣を書き始める。もはや私の事は眼中にないようだが、思い出したように言う。
「それは好きに持っていくがいい。うちは儲けのために商いをやっているわけじゃないからね。あー、それから最終的に人間でありたいと思ったならまた来ることだ。扉は開けておくよ」
そうして私は店を出た。手の中にあるヴェールを見ながら小さく笑う。もう必要のないスクールバックを放り投げ、舞うように全身を白で覆う。刹那、雷が空を昇る。龍の姿に変わった私は背中に雨を感じながら空を駆ける。
思い出したのだ、全部。かつて天空の支配者として名を馳せたことも、人間に騙され人の身に堕ちたことも。心の中で小娘が騒いでいるが、問題ない。生を受けた時間も魂の格も違うのだ。いずれ溶け合い、一つになるだろう。
「さあ、悔いを晴らそうか」
亢る竜は人に堕ち、悔い有り空を晴らす。
変身のヴェール 和音 @waon_IA
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