無能力と最凶王子
ティー
#1
物心ついた時から、彼はこの暗い部屋に一人だった。
一日二回持ってこられるものが食事だと知ったのはいつだったか。
読み書きも話も出来ない彼に勉強道具を渡されたのは、彼が生まれた十回目の誕生日の記念品で、自分の名前を知ったのもその時だった。
何日かに一回、風呂と呼ばれるものに連れていかれるのは好きじゃなかった。
自分が他の人と違う存在だと、認識させられるから。
そんなある日、彼は突然部屋から連れ出された。
「アンジュ、君には嫁に出てもらう。今日から一ヶ月でマナーを叩き込む。あちらに不手を働くなよ」
「……」
「返事は」
「へんじ…」
「聞かれたら、はい、と答えなさい。返事は?」
「はい」
それからアンジュは、マナーというものを教えられた。
手を使わずにご飯を食べるのに苦労したし、自分のことを私と呼ぶように矯正され、毎日風呂に入る事に嫌悪感を感じた。
でも読み書きを覚えるのは楽しかったし、ふかふかの床で眠れる事に感動した。
「アンジュ、起きなさい」
「ん……」
父の従者に髪の毛を整えられ、化粧を施され、宝石の散りばめられたドレスを着させられ、馬車に乗せられる。
(あそこよりは暗くないけど、お父様と二人だけで、何を話せばいいか分からない…)
アンジュは見たこともない外の景色をずっと眺めていた。
雪が降っていた地面は白く、木々には沢山の鳥が囀り《さえずり》を、道には色々な人間が歩いている。
あの部屋以外にこんな世界があるなど知らなかったアンジュには、全てが新鮮に見えた。
***
馬車を数時間走らせると、目的に着いた。
大きな城に、先程よりも沢山の人々に、アンジュは思わず声をあげた。
「わぁ…!」
「着いたぞ、降りなさい」
父に促され、馬車を降りる。
「いいかアンジュ、お前はこれから女性として生きていくんだ。返事は?」
「はい」
父に言われたことを復唱する。
自分が女性であるということ、下半身は必ず隠すように言われたこと。
アンジュにはその理由は分からなかったが、言う事を聞かねば何度もむち打ちされたので、それがいけないことだということは理解している。
城の前に着くと、門兵が門を開き、城から従者がやってきた。
その従者と共に、城に入りひとつの扉の前に立つ。
「どうぞ」
扉が開くと、足元にはレッドカーペットが敷かれており、正面には王座には1人の男と、その周りには8人の男女が片膝をついてアンジュたちの方を見た。
「テレサ王国の者よ、遠方よりご苦労だった。来い」
「は」
アンジュは父の後ろを、ヒールでドレスを踏まぬようにゆっくりと歩いた。
「これが君の差し出せる【モノ】か」
「は。名をアンジュと申します。挨拶なさい」
「アンジュ・テレサです。よろしくお願いいたします」
名前を伝え、一礼する。
「さてアンジュよ、君の夫になる男を紹介しよう。ノラ、来なさい」
「はい、父上」
立ち上がったのは背の高い男。
「ノラ、彼女が君の妻になるアンジュだ」
「はじめまして、アンジュ。よろしくお願いいたします」
「………」
「アンジュ、返事は」
ノラ、と呼ばれた男に思わず見とれてしまい返事も忘れていた。
父に声を掛けられて、アンジュは我に返った。
「はい、よろしくお願いいたします」
「よろしく」
「さてテレサ国王よ。これで君の国は寿命が伸びたと思って良いぞ。まあ、また何かしようものなら、その寿命は縮む事になるが」
「ありがたき幸せ」
父とリーヴェ王国の国王は話していたが、アンジュはよく分かっておらず、ただノラを見つめていた。
「アンジュ、これからはノラ王子の言うことを聞いて生きるんだ、わかったね。返事は?」
「はい、お父様」
「ノラ王子、彼女は世間知らずなので色々とご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
「……わかりました。アンジュ、と言ったな。俺の屋敷に案内する」
「?」
「来い、と言っているんだ」
たいした言葉を知らないアンジュは、ノラの言っている事が理解できず、首を傾げた。
「アンジュ、ついて行きなさい」
「わかりました、お父様」
(ここでも叩かれたりするのかな。そうじゃなかったらいいなぁ)
ここでアンジュは父と別れ、これからの生活に不安を抱きながらも、ノラの手を取って屋敷へ向かった。
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