仏の部長

 ボクは営業を見ているのだけど、管理職だからどういう運営方針にするかは委ねられている。どうするかは経験から考えるのだけど前職の営業部長は鬼だったな。とにかく部下の尻を叩きまくり、ひたすら競争を煽ってた。


 世にいうブラック企業だと言われそうだけどちょっと違う。いやだいぶ違う。残業は多かったけど、あれはさせられる残業じゃなかった。その残業をしないと競争から脱落する恐怖心に追い詰められていたとすれば良いぐらいだ。ちなみに残業代はそれなりに出てた。


 恐怖心は休むことへの恐怖にも連動していた。自分が休むと置いて行かれる、逆に人が休んでいる間に働けば少しでも差を開けられることで頭が染め上げられていたぐらいだ。その代わりぐらいだけど、仕事や成果の評価はどこで見てるのかと思うぐらいシビアだった。


 あれはあれで一つのやり方だし、前職の営業部長と言っても、さらに上からの成果要求に追いまくられてたはずだ。あんなところでよく生きてられたものだ。もっとも働いている時にはランナーズハイでそんなものと思っていたのは白状しておく。


 そのやり方を踏襲するのはやめた。ボクの基本方針は残業を無くし、定刻になれば退社することだ。もちろん、ボクにだって成果は要求されている。ここなんだが、残業が発生するのは、要は仕事量に対して人手が足りないのは根本にはある。


 だからまず部下の能力と、仕事量の関係を徹底的に洗い直した。部下の能力も当たり前だが優劣がある、そこを勘案して最大限の仕事をしてもらうぐらいだ。つまり、就業時間中に懸命になって働けば定刻には終わるはずぐらいの関係ってこと。


 言うは易しで、実際にやってみると試行錯誤はあれこれあったけど、なんとか思い通りの体制になってくれてる気はする。定刻に帰れるのは部下も嬉しいみたいで付いたあだ名は、


『仏の部長』


 別に仏になった気はないけど、部下に過大な要求をしないぐらいに過ぎないのだけどな。それと怒らないのも仏の理由のようだ。部下の育成と言うか、操縦術として罵倒したり、わざと追い込む手法を用いる人も知っている。そうしておいて、


『なにくそ』


 この反発心を呼び覚ますそうだけど、やる気もない。この辺は所帯が小さいから、前職のように、


『代わりはいくらでもいる』


 これじゃないのも確実にある。せっかく育てた部下に逃げられたら、代わりを育てる手間の方がメンドクサイんだよ。言ったら悪いが、星雷社の人材の質は良いとは言えない上に、補充だって容易じゃない。


 素人をここまで育てるのにどれだけ手間がかかっていることか。だから能力の下限を低くとっているぐらいに思ってもらえれば良いかな。これじゃあ、わかりにくいか。前職では社員の質の最低ラインを設けて、それ以下の者は切り捨てていた。


 さらにその最低ラインの底上げに尻を叩きまくっていた。その手法を否定する気もないけど、そんな事をすれば社員がいなくなってしまう。だから社員の能力以上の要求をしないと割り切ってるぐらいだ。


 そう言いながら、やっていることの基本は前職の鬼の部長と一緒なんだよな。その辺の機微は説明したってわからないだろうし、わかる社員もいないだろ。あいつらが見えているのは残業が殆どない事だけだ。


 あれだって残業がないニンジンをぶら下げて、そこに向かって走らせているだけなんだよな。ついでに残業代の節減にもなるし。サービス残業もやりすぎると、コンプライアンスがうるさく言われる時代になっているのもある。


 ここだって、前職の会社なら褒賞とか、昇給で釣ってたのだけど、あははは、神雷社にそんな金があるものか。カネの代わりに残業をニンジンにしているだけに過ぎないってこと。見ようによっては冷たくてドライのはずだけど、部下から見れば、


『残業しないで良い』

『怒られない』


 こっちの方ばかり目に付くみたいで、だから仏って思うわれるのだから、人ってホントにわからないものだ。



 それとこれはボクの都合もあったから、プライベートの付き合いは一切していない。まずこれは会社ならよくある部下を引き連れての飲ミニケーションはしない。飲ミニケーションの効用を全否定する気もないけど、ボクは好きじゃない。


 何が悲しくてオフタイムにまで仕事関係を持ち込んで気を遣うなきゃならんのかだ。もちろん気の合う社員同士が連れ立って飲みに行くのに関与は一切しない。要はボクがしないだけの話。


 その延長線上で部署での飲み会も廃止した。歓送迎会かとか、忘年会の類だけど、あくまでもやりたい人が自主的にやってくれで、ボクはカンパするだけで顔を出さないし、出席はしない。その手の飲み会も好きじゃなかったんだ。ああいう会でしばしば言われるのは、


『今日は無礼講だ』


 そうなるわけないだろうが。どこまで行っても会社の上下関係は厳然としてあり、本気で信じればエライ目に遭うのは社会人の常識みたいなものだ。あれは無礼講を宣言した上司の考える範囲の無礼講ルールを守るぐらいの意味しかない。


 厄介なのはその無礼講ルールが不文律なんだよな。要するに上司によって変わる。さらに言えば上司の無礼講ルールと、部下の無礼講ルールも当然だけど違う。さらに言えば上司の無礼講ルールも不文律だから気分で変わる。


 部下は上司のその日の顔色や機嫌をうかがいながら、上司が望む無礼講を演出しなければならない。無礼講まで行かなくても酒席とか宴会のルールと言い換えても良い。その上司の立場になったけど、気を遣うのも遣われるのも好きじゃない。だからボクは参加しない。


 これも今のボクの生き方みたいなもので、仕事は仕事、オフはオフにするのを徹底させてもらってる。仕事の延長線上でプライベートまで馴れ合いたくないからだ。前職ではやってたけど、結果として大変な目に遭ったのは今でもトラウマなんだよな。



 もう会うことがあるかどうかはわからないけど、前職の頃のボクを知ってる人が見たら驚くだろうな。当時のボクがどう呼ばれていたかなんて、今となっては黒歴史みたいなものだ。それこそ、


『企業戦士に休息は無い』


 二十四時間戦って当然で、それについて来れないものは無能とか、軟弱者としか見てなかったものな。プライベートの付き合いもすべて仕事のため、いや出世のために必要不可欠と思い込んでいた。


 とにかく競争は激烈だった。足の引っ張り合いなんて日常茶飯事で、弱っていると見たら叩き落としに行くのが正義みたいな世界だった。ボクもやってたよ。お人よしでは生きていけない世界だったからね。


 ずっと叩く立場にいたのだけど、叩かれる側に回らされるとシビアと言うより苛酷だった。それこそ息の根を止めるまで袋叩きにされまくった。因果応報と言えばそれまでだけど、半殺しにされて会社から放り捨てられた。


 もっともあの世界だってありとは思う。でも、あの世界をすべてとするのはもうゴメンだ。それがわからされたのが廃人時代だってことかな。今の管理方針だって温いとか、甘いの批判はどこかで出て来る可能性は余裕である。


 経営者と言うか、経営ってそんなもので、社員をトコトン搾り上げて利益を出そうとするところだからだ。その類型がブラック企業だろ。誰だってブラック企業よりホワイト企業の方が良いと思うのはわかる。


 だけど会社の根本的な役割の考え方の一つとし、従業員を雇い、給料を払うと言うのはある。ホワイトでございで優雅にやって倒産したら経営者として無能と世間から罵られ、職を失った従業員からは恨まれる。


 ブラックよりホワイトの方が良いぐらいは経営者だって知ってるはずだけど、その前に会社を潰さないのが優先されるのが企業論理だ。ホワイトとされてるところだって、あれは良心でやっているのじゃない。


 経営余力を計算し尽くしてホワイト風味を演出してるだけで良いと思う。そう思われるメリットが美味しいとしても良い。あくまでもちなみにだけど、ボクの前職も世間的にはホワイトに分類されてたよ。


 今のところ、ボクの管理方針で問題は出ていないが、どこかで経営方針の転換が出て来るのもまた企業だ。そうなれば辞めるさ。そこまでしてしがみつきたくないからな。それはそれで、食えなくなるかもしれないけど、その時はその時だ。


 それと仏をやって実感したのは、仏でも鬼でも成果ってあんまり変わらないのじゃないかって。怒鳴りまくって人を使おうが、ニコニコしながら人を使おうが、人がやれることに変わりはないぐらいかな。


 これも本当は何が正解かはわかるはずもないけど、今のボクにはこれで合ってるよ。人はね、パンのみに生きるにあらずだ。仕事だけが人生のすべてじゃない。その言葉の使い方は間違ってるってか? 大きなお世話だ。


 正解なんて結果論が会社経営みたいなものだ。成功したビジネスモデルは礼賛されるし、それを真似ようとするのは雨後のタケノコみたいに湧いてくる。けどな、必ず成功するビジネスモデルなんて無いんだよ。


 誰もがやれば共倒れだ。そこに新たなビジネスモデルが救世主のように現れ淘汰される。その無限の繰り返しがビジネスだ。もっともそこまでタッチする立場じゃないし、する気もない。見えている範囲で支障が無ければ、それで良しだ。



 そうそうボクも家を出た。この歳になってと言われそうだけど、あんな事情があったから家に戻っていたからな。これは前職の時に最後に住んでいたマンションは由衣との新居になるはずだったけど、あんなところに住めるものかもあった。


 部長と言っても会社の規模がこれぐらいだから、お手当もそれなり。それでももうちょっと広いところも借りられたけど気持ち広い目の1LDKだよ。こっちは当分予定がないと言うか、このまま独身は余裕でありだから十分だろ。

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