ツーリング日和22

Yosyan

結婚式の悲劇

 今日は由衣との結婚式だ。男と女が愛し合って一つのゴールが結婚式になるのだけど、ここまで来るのは大変な道のりだった。告白して、交際して、プロポーズして、親への挨拶をして、結婚式の準備に走り回って・・・


 誰でも通ってきた道だし、そういう手順を踏むこと自体は知ってはいたけど、実際に経験すると細かいところでわからない事がテンコモリで、ひたすら振り回された。とくに結婚式の準備なんてそうだった。


 あんなもの、今どきの事だからパックで一丁上がりと舐めてたら、こんなところまで決めないといけないのかと思ったものな。なんというか、大筋はパックであっても、そこに無限のオプションがあると思い知らされた。


 誰かが、それだけ大変な目に遭わされるから、二度と繰り返したくなくなるのが値打ちだって言ってたな。ココロはだから離婚しないようにするモチベーションになるとか。冗談のように話していたけど、今日は妙に実感してる。もっとも、こんなに大変なのに離婚するのもいるし、またこれをやり直して・・・再婚するのもいるんだよな。


 そんな事はともかく時間の問題でついに挙式だ。由衣の希望でチャペル式だけど、今頃はウェディングドレスに身を包んでるはずだ。控室がノックされて式場の人が入ってきて、


「お時間ですので、ご案内させて頂きます」


 チャペル式だからまず新郎入場になる。祭壇の前でスタンバイして花嫁の由衣がヴァージンロードを歩いて来るのを待ち受けるスタイルだ。しばしの時が過ぎチャペルの扉が開きベールを被った由衣が入ってきた。


 BGMを合図に父親にエスコートされて一歩、また一歩と由衣が歩いてくる。結婚式の見せ場みたいなものだ。ここを歩くのが女の夢とも言うものな。やっとここまで来たかの感慨にボクも耽っていたのだけど、その時にチャペルの扉が開かれ一人の男が現れた。


「ちょっと待った」


 誰だこいつは。ボクは知らんぞ。それと何を待てと言っているのだ。なにかのサプライズか。それにしたら悪ふざけの度が過ぎてるぞ。そしたらそいつはヴァージンロードを歩いて来て由衣の手を掴み、


「ボクと結婚しよう」


 こいつの声はやけに良く通るな。まるで舞台俳優みたいな声だ。そんな事はどうでも良い。ここはボクと由衣の結婚式場で、お前がプロポーズするってなんのつもりだ。由衣はボクのプロポーズを受けてここにいるのだぞ。


「嬉しい」


 はぁ、由衣も何を言ってるんだ。由衣は父親に手を取られてヴァージンロードを歩いて来てたのだけど、さっと父親に手を振り払い、そいつと一緒にヴァージンロードを逆走して扉に向かって駆け出した。そしてあれよ、あれよと言う間に扉の向こうに消えて行った。


 あまりに一瞬の出来事に何が目の前で起こったのかわからなくなっていた。これはボクだけでなく会場の全員がそうだった。なにかのサプライズとか、度の過ぎた余興だとか、これも式の演出の一つぐらいに思ってたぐらいだと思う。ボクもそうだったからな。


 由衣と男が消え去って、なんとも言えない間が空いた後にようやく我に返った感じだ。あれは白昼夢じゃなく現実だってやっと認識した感じで良いと思う。ボクもそうだった。そりゃ、そうなるわ。


 こういうのって映画とか、マンガとか、小説でこそあるものの現実に起こるなんて誰も考えもするものか。でも起こってしまったから、そこから蜂の巣を突くような大騒ぎになったのは言うまでもない。


 ボクはあまりのショックに自分の事じゃない気がしてた。後から思えば現実逃避してたはずだ。ボクの両親とか、由衣の両親とか、親戚の人とかが集まって来たけど、誰もがパニック状態で思考停止していた気がする。式場の人が、


「披露宴はどうなさいますか?」


 この状況で何を言っているのだと思ったけど、そうだこれは結婚式で、式が終われば披露宴だった。とはいえ花嫁の由衣が消えてしまった。いや、逃げやがった。披露宴なんか出来るはずがない。だったら、だったら、


「お食事会に変更でよろしいでしょうか」


 お食事会? ああ食事も会場も用意されてるから、メシだけ食べる会にするのか。他に何も思いつくはずもなくその言葉に従うしかなかった。その後も悪夢のようなものだった。花嫁が逃げたから結婚式は中止になると話し、まるでお通夜のような披露宴会場ならぬ、お食事会会場に行き。そこでまた頭を下げて謝罪。


 訳のわからないままに一人で高砂席に座っていた。異様な光景だ。披露宴だから会場の飾りつけも、出席者の服装だってそれ用の華やかなものになっている。あははは、高砂席の横にはウェディングケーキまであるじゃないか。


 やたらと気まずい時間が過ぎて参列者一人一人に、またまた頭を下げてお祝儀を返し、やっとさらし者にされたお食事会が終わってくれた。でも終わったのはお食事会だけだ。両家の親族が集まってこれからどうするかの話合いになった。


 由衣の両親も憔悴しきっていた。誰が見たって逃げやがった由衣が悪いのだけど、由衣がいないから残された両親がこの場の全責任を負わざるを得ないよな。もちろん悪いのは由衣であって、両親には責任はないとは言え連帯責任みたいなものになるみたいだ。


 結婚式の費用だとか、慰謝料の話まではボクは耐えられず家に帰らせてもらった。もう心はズタボロ状態だった。ここまで良くいられたものだと他人事のように思っていたのを覚えてる。


 ようやく現実逃避感から戻ってきたら泣くだけ泣いた。他に何が出来るって言うんだ。どうして由衣は逃げたんだ。答えは簡単だ、ボクよりあの連れ去り野郎を選んだってことだ。だがな、ここまで来てるのだぞ。


 ここまでどころか、ヴァージンロードまで来てたじゃないか。それも半分ぐらいは進んでたんだぞ。あそこから逃げるかよ。ボクを結婚相手として選ばなかったのはまだ許そう。それならそれで、結婚式の前にどうして言わなかったんだよ。


 こんなもの最悪のシチュエーションでの裏切りで、これ以上はない恥をかかされたようなものだ。そこまで嫌っているなら、どうしてもっと早くに別れ話を持ち出さなかったのだよ。婚約だって解消は出来るんだぞ。


 いつまでも仕事も休めないから傷心を抱えたまま出社したのだけど、ここでも世の中ってそういうところだと思い知らされた。ボクはどう考えても被害者のはずじゃないか。そんなボクに同情し慰めてくれるのはいた。


 けどな、悪口、陰口を叩くのもわんさかと湧いてきた。どっちが多いかなんてわからなかったけど悪口、陰口はよく聞こえるんだよな。あれは良く聞こえると言うより、わざわざ聞こえるように言ってるとしか思えなかった。


『ヴァージンロードまで来ている花嫁に逃げられた間抜け男』


 そこまで言うか。他人の悲劇ってそんなにおもしろいのか。心が削られてボロボロにされるってのが良く分かった。後はお決まりのコースみたいなもので実家の部屋に引きこもり、仕事も辞めた。他に何が出来るって言うんだ。


 もうどうでも良くなっていた。メシを食うどころか、生きる事さえ億劫になっていた。そんなボクを両親は引きずるように精神科を受診させた。そこでめでたくも鬱病の診断を頂いた。そりゃ、そうなるだろう。


 あの頃はなんて言うか体のパワーというパワーが根こそぎ抜け落ちて、すっからかんになっていたと思う。きっと他人から見れば廃人に見えたのじゃないかな。ただ生きているだけだったし、死にたいは頭にはあったが、死ぬ気力さえなかった感じだ。


 そこから長い治療が始まった。ああいうものは相性もあると思うが、精神科の医者は良くやってくれたと思う。すっからかんになっていた体にパワーが徐々に回復して行ってくれた。


 もっともそんな簡単なものじゃなかった。パワーが少し溜まるとやらかした。鬱病は自殺したくなる病気だけど、一番危ないのは中途半端にパワーが回復した時なんだ。つまりは死ぬ気力が回復したってことだ。ボクもそうだった。気が付くと手首を切って血まみれになり、救急車で病院に担ぎ込まれていた。


 あそこで死ななかったのは、両親が危ない時期と医者から聞かされていて、ずっと注意をしていたらしい。かなりザックリやったみたいで、もう少し発見が遅れていたら危なかったとかなんとか。


 そんな危険な時期も過ぎ、部屋から出られるようになり、さらに家からも出られるようになっていった。家から出た時に日の光が妙に眩しかったのを覚えてる。そんな時に乗りたくなったのがバイクだ。


 バイクは学生の時に乗っていた。イキがって中型免許を取り、バイトに精出して400CCの中古バイクを購入して乗り回していた。けど、やっちまったんだよな。急停車しやがった前のクルマにドカンだ。


 車間距離を取ってなかったボクが悪いのだけど、バイクはオシャカ、ボクも打撲と骨折でエライ目に遭った。両親にもこっぴどく叱られてバイクとはオサラバしていた。そんなバイクにまた乗りたいと言ったら反対されるかと思っていたのだけど、


「それで気が晴れるなら・・・」


 買ったのはモンキーだ。さすがに歳だし、今さらぶん回す気もなかったぐらいだ。学生の時以来だから、十五年ぶりぐらいになる。ブランクが少々不安だったのだけど、ああいうものって体が覚えているようですぐに乗れた。


 モンキーは・・・やっぱり非力だ。この辺は十五年前とは言え、乗ってたのが400CCだったのもあるとは思う。急な坂道には苦戦するし、ダッシュだってスクーターに負ける。それでも乗っていると楽しい。


 若い時は抜かされただけで、この野郎って思ったものだけど、今ならお先にどうぞだ。それだけ人間も丸くなった部分もあるけど、正直なところ抜き返そうにも非力過ぎてどうしようもないのは確実にある。


 モンキーを転がしながら思ってたのだけど、ずっと競争していたなって。学生時代は成績だし、社会人になってからは出世だ。前に誰かがいればなんとか追い抜こうとし、追い抜かされようものなら、血相変えて追い抜き返そうとしてた。


 それがボクに見えていたすべての風景だった。その挙句がこのザマだ。哀れ落伍者様になってしまったって事だ。由衣との結婚もそうだったのかもしれない。仕事と出世競争に明け暮れて三十代に入っていた。


 同僚たちも次々と結婚しているのを見て、負けられないと思ってしまったんだ。どうせ結婚するなら誰もが羨むような相手にしようとして選んだのが由衣だ。結婚もボクにとっては競争だったのだと今ならわかる。


 モンキーで走りながら見える風景は、今までとまったく違う。その風景が楽しいんだよ。ボクが今まで見ようともせず、あんな風景などなんの値打ちもないと切り捨ててていたものが今は心に沁みる。


 もうあの世界の脱落者になってしまったから、そう見えるのだと思うけど、この風景を見ながら生きて行くのも人生だとも思い始めている。モンキーは非力だし、はっきり言わなくても遅い。


 けどな、デカいバイクで駆け抜けるだけが人生じゃないはず。モンキーだって走り続けていたら目的地には着くって事だ。そうだよな、ボクはどこを目的地としてこれまで走り続けていたのだろう。


 モンキーで走れる範囲の目的地だって良いじゃないか。その方が目的までの風景も楽しめるし、その目的地だって満足するかどうかはボクだけの価値観だ。これまでボクは他人が羨む目的地をひたすら走っていたのだろう。これはボクだけじゃない、殆どの人間がそうのはずだ。


 あれはあれで人生の走り方だと思うけど、そうでない走り方だってあるのを見つけたのかもしれない。どっちにしても、もう落伍者になってしまっているから、あの道は二度と走れない。あの道は一度脱落したら二度と戻れるものか。


 モンキーと一緒だな。こいつは小型バイクだから高速も自動車専用道路も走れない。ボクは大型バイクで高速をひた走り目的地に最短で行き着こうとしてた。けどな、走れる道は高速だけじゃない。下道だって立派な道だ。


 世の中は高速より下道の方が多いんだよ。高速では行けないところはあるけど、下道で行けないところは無い。ツーリングの本道は下道にこそあるんだよ。この辺はモンキーが下道しか走れないから強がりが思いっきり入ってるけどな。


 それはともかく、モンキーで下道を走るのは楽しいんだよ。これは理屈抜きでそう感じるし、そう思う。高速が走れないのが不便とか、制約に感じるのじゃなく、あそこは関係ないところと自然に思わせてくれるぐらいかな。もっとも、モンキーじゃ高速はシンドすぎるのだけどね。


 リハビリの一環としてモンキーでツーリングをしてたのだけど、なんとなくこれからはどう生きようが見えてきた気になっていた。高速をぶっ飛ばしてきて人生は終わり、下道を楽しむ人生に切り替えようって。


 これは妥協じゃないぞ。そういう生き方をモンキーが見せてくれたんだ。モンキーだって走り続ければ目的に着くし、その道のりは楽しいんだよ。そういう生き方もあるし、ボクにはそっちが合ってると思う。

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