03 聖女の力【6/7】

「——何をしている」


 勢いよく飛び降りたミラが着地する前に、誰かがミラの両腰を掴んで受け止めた。

 声の主を確認すれば、その人物はアレクサンドロスだった。ミラは軽々と抱き上げられる形でアレクサンドロスと顔を合わせていた。


「シエラに向かって飛び降りるなど…どういうつもりだ?」


 怖い…。そう本能が訴えている。

 ミラはアレクサンドロスが苦手だ。この情のかけらも無さそうな金の瞳が苦手だ。


 一瞬怯むミラだったが、アレクサンドロスの向こう側でシエラが今まさに飲み物に口を付けようとしているのを見た。


「シ、シエラ様ぁ!」


 ミラは思い切り体を捩って暴れ、アレクサンドロスの手から抜け出す。

 アレクサンドロスは驚きを隠せないようで、少し固まった隙にシエラの元まで走った。


 何て言う?あれは本当に毒なのだろうか、もしかしたら自分の聞き間違いだったのかもしれない。

 でも、本当に毒だったら、犯人を捕まえるために自分がやるべきことは…シエラの身の安全とあの飲み物が毒物だという証明だ!


 ミラは頭をフル回転させて、シエラからグラスを荒々しく奪うと、中身を一気に飲み干した。


「ミ、ミラ…?」


 突然のことに、シエラは呆けた顔で目をぱちくりさせている。


「なぜここに…」


 驚くシエラを見つめ、もしかしたら毒じゃなかったかもしれないとミラは思った。

 そんな恐ろしい事をシエラに対して考える人なんていないと…。


「……アーサー様に伝えてください。シエラ様が狙われて、毒を…」


 胸が苦しくなって、喉が焼けるように熱い。

 ミラはゴフッと血を吐いた。


「………」


 ミラは自分の腕や鎖骨の血管が浮き出てきていることに気付いた。これなら、全身の血管が浮き出ているに違いない。

 なんでこんな事をしているのだろうと、給料分の仕事をすれば良いと思っていたのに。


(私、何をしているんだろう…)


 目の前でシエラが何か叫んでいる。音が遠い、頭の中が鈍くて、視界が暗くなっていく。


 そんな中、ミラは逃げていく給仕係の男を指差した。

 鼻血も出始めて、ポタポタと床が血で汚れていく。気を失いそうになりながらも、ミラは指差し続けた。

 卑しい身分の自分を信じてくれた人を守りたい一心で。


 しかしミラは力尽きてその場に崩れ落ちた。


 シエラは自分の目を疑った。

 さっきまで笑って話していた自分の侍女が目の前で目や鼻口から血を流して気を失っている。ビクビクと痙攣を起こし、口の端から泡を吹いている。


「シエラ!」


 アレクサンドロスがシエラを庇うようにミラから離した。


(…あれはもう駄目だ)


 戦場でいくつもの死を見届けてきたアレクサンドロスの判断は正しかった。

 ミラは致死量の猛毒を摂取しており、治療するにも時間が足りない。それよりもこれ以上、無惨な光景をシエラに見せたくなかった。


「…ミラ…」


 アレクサンドロスの胸の中で、シエラが放心状態にミラの名前を呼んでいた。


 ヴィンセントが一人の給仕係を連れてアレクサンドロスの元へやって来た。

 その給仕係はシエラに毒を盛り逃げていた男で…勢い余ってかヴィンセントは男の腕を折ったらしく、給仕係の男は苦しむ表情で床に転がっていた。


 ヴィンセントはミラを見た。

 痙攣も次第におさまりつつある。命の灯火が消えようとしているのだ。

 給仕係が隙を見て逃げ出そうとしたので、ヴィンセントは男のすねを踏み付けて、今度は足の骨を折った。


(あんなに喜んでいたのに…)


 アレクサンドロスと共に戦争へ出征してきたヴィンセントは、人の死をいくつも目の当たりにしてきた。

 慣れているはず、なのに…ヴィンセントを感情の波が襲う。口が震えて、ミラの名も呼べなかった。


「ジェフリー。兵を呼んで、ミラを丁重に運べ」

「…かしこまりました」


 アレクサンドロスとジェフリーの会話を聞いて悟ったのか、シエラはアレクサンドロスの腕の中から抜け出しミラの元へと駆けて行った。


「うわぁああん!」


 大泣きしながら、ミラの名前を呼ぶシエラ。

 アレクサンドロスがいくら声をかけてもきかなかった。


「ミラぁあ、起きてよぉおお!」


 痙攣すらなくなったミラの体を、手が血だらけになりながらも激しく揺さぶり続けるシエラ。


「やめろ、シエラ!」


 アレクサンドロスはシエラの手を掴んだ。


「お前を救って死んだんだ、敬意を払え!」


 シエラは一瞬固まって、すぐに顔をくしゃりと歪ませて泣いた。


「まだミラは死んでないっ」

「シエラ、いい加減にしろ!」


 シエラは駄々をこねて、ミラの体に抱き付いた。


「まだここにいるもん!私には見えるもん!」


 アレクサンドロスの手が止まる。

 すぐに動いたのは、ヴィンセントだった。


「シエラ様っ…いえ、聖女様。ミラは、ミラは助かりますか…!?」


 ミラたちのところまで駆けて、縋るようにシエラの前で膝をつくヴィンセント。

 シエラは涙に濡れた目でニコッと笑って頷いた。


「もう分かるよ。頑張るね」


 シエラは小さな腕を伸ばしてミラの体の上で何かを掴む仕草を見せた。

 周りから見れば空気を掴むような、滑稽な様子に映る。


「ミラ、行っちゃだめ」


 シエラがそう言うと、ミラの体が光った。

 シエラの髪色と同じ、淡い黄金の光がミラを中心に会場全体を包みこんだ——。

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