箱女

壱原 一

 

ある女が事故死しました。単身者用アパートの一室です。浴室の洗い場で首の骨を折り、動けず助けを呼べないまま亡くなったと見られています。


見立ては当たっています。女はとても綺麗な髪を誇り大切に手入れしていました。


手入れの要は仕上げです。湯桶へぬるま湯を溜めてトリートメントを溶かし、ゆったり髪を浸して満遍なく成分を行き渡らせるのが女の美髪の秘訣でした。


洗い場の床に正座して粛々と背中を丸め、日中に凝り固まった後ろ首をそっとストレッチしつつ深く俯いて毛先から湯桶に浸します。


徐々に腰を浮かせて頭を垂直に立て、更に顎を引いて前方へ乗り出し、後頭部まですっぽり湯桶に収められるよう首を山折りにしてゆくのです。


察しの良い方はお気付きでしょう。当日おんなはこの過程で力の入れ加減を誤り首の骨を折りました。


手狭な洗い場で正座して頭を内巻きに小さく折り畳まった女は、今にも箱へ収められんとする何やらの物品のようでした。


生物としての息苦しさをふつふつと感じさせながら、それを物ともせず完璧に静止する様は、見る人の感性によってはある種の芸術的感銘を齎したかもしれません。


とにかく女は事故死しました。紆余曲折を経て発見、通報され、適切に解明され恙なく処理されました。


死亡時の姿勢が特徴的だった為か、現場を再現した簡易なCGを添えた報道記事が公開されました。


記事を見た内の1人が何とも配慮に欠ける可笑しみを催し、赴くままの軽口をCGと共にSNSへ投稿しました。


投稿を見た内の1人が昔ほぼ同じ姿勢で浴室へ居たおり無頼な恋人に乱入され暴力を受け死にかけた経験を回想し投稿しました。


投稿を見た内の1人がこのような例があるなら故人も恋人などに殺害された可能性が皆無ではないと思い付いて投稿しました。


投稿を見た内の1人が故人の姿勢はまるで故人を殺害した恋人が遺体を運搬用具に収めやすい形へ折り畳んだようだと投稿しました。


投稿を見た内の1人がもし故人が恋人に殺害され事故死と処理されたなら化けて出るほど恨めしいだろうと投稿しました。


一連の投稿を真実と誤認した人はごく僅かでした。しかしほぼ全ての人が恋人に殺害され箱状の入れ物に詰められ闇へ葬られた無念の女のイメージを千差万別に脳裏へ過ぎらせました。


この内の1人が自らのイメージを創作物に表現して公開しました。創作物はオカルトホラーの短編小説でした。


平凡な女が非情な恋人に惨殺され、運搬の箱に収まるよう損壊されて詰められいずこかに遺棄されます。


女は深い憤激を抱え、己の遺体を見付けて真実を暴き弔って貰おうと彷徨う内に怨霊と化して人々を無差別に襲い始めます。罪業を負い、恐怖と忌避の対象として流布され怪異へと変貌します。


生前自慢だった美髪が纏わり付く青白い身体を箱型に折り畳まれ、己を害した恋人と己の遺体を探し求めて己が味わった理不尽と辛苦を撒き散らす狂暴な怪異を箱女と言います。


箱女は入浴中の洗い場に箱状の遺体として現れます。反応してはいけません。顔を俯けてはいけません。顔を俯けると箱女の苦境と共鳴して己の辛さを伝えんとする箱女に首の骨を折られてしまいます。


箱女と遭遇したら顔を仰向けておくことです。ずっと天井を向いて箱女に気付く可能性が低いと箱女に示すのです。


顔を水平にしたままではいずれ俯いて気付く可能性が保たれるので箱女が去りません。箱女が去るまで天井と向かい合うくらい首を仰け反らせて顔を仰向かせ続ければ大丈夫です。


投稿を読んだ人の多くが箱女をイメージしました。


イメージは各人がこれまでに蓄積した種々のイメージと様々に結び付けられ、箱女が創り出された時と同じように多種多様に表現され伝播してゆきました。


特に箱女を構成する要素に思い当たる節のある人のイメージは箱女をより具体的に肉付けしました。身に覚えのある人のイメージに至っては箱女に強力な骨子を与えました。


例えば粗末に扱った元恋人の容姿や住まいです。あの浴室で俯きシャワーを浴びる首に手を伸ばすイメージ。あるいはあの歪んだ形相で両手を伸ばし襲い来るイメージ。


もちろん箱女なんていません。箱女は創作です。けれど人々が想起する人や物事、憎しみや後ろめたさ。感情。記憶。思い出。そうしたあらゆる非実在の膨大な思考や想念の中で、箱女は成立しつつあります。


察しの良い方はお気付きでしょう。


事故死です。誰も怨んでいません。


首から発した異音にどっと汗を掻き、遅れてやってきた熱感に怯えふうふう息を切らしながらどうしても動けませんでした。


とても怖かった。後悔が尽きません。見付かってからは恥ずかしくて辛く、でもどなたにも非のないことです。身勝手に怒ったり憎んだりしませんでした。


それなのに、それでも、後から紐づけられたイメージを振り解けません。既に途絶え、更新されず、ただただ恣意的に解釈されては任意のイメージと繋ぎ合わされてゆくばかりだからです。


そのように想像され、そのように理解されたら、そのように成るしかありません。大部分が置き去りで、ほんの断片に骨子を通され、肉付けされ、無数のイメージと連なって、強固に絡み合ってゆきます。


成立しつつあります。でも誰も怨んでいません。イメージを振り解く為に、証拠が要ると思います。


お気付きでしょう。


お願いがあります。


行くので俯いてください。俯いていてください。水平でも構いません。どうか仰向かないでください。


誰も怨んでいません。怨んでいないので大丈夫です。箱女は創作です。証明するので俯いていてください。


首から濁った異音がしてどっと汗を掻きます。


誰も怨んでいません。大丈夫です。俯いていてください。


どうして私なんですか。


行きますが大丈夫です。


事故死です。証明します。


行くので俯いていてください。


仰向きでも構いません。



終.

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箱女 壱原 一 @Hajime1HARA

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