第3話 存在していた娘、彼女の言葉

 修一とサヤ子には、三人の娘がいたと話をした。


 長女のきみ子、次女の優子。そして、もう一人、きみ子と優子の間には、優子の一つ上である、お姉さんがいた。


 ここでは、優子さんのことを、三女として表現したほうがわかりやすいだろう。年子として、次女と、三女の優子さんがいたのだ。


 では、なぜ、次女が存在していたのに、存在していないことになってのか。




 次女が生まれた日、サヤ子さんの母親である、みやこさんだけが、その存在を知っているのだ。サヤ子さんが、そのことがわかったのはもう少し後になる。


 次女が授かったとき、サヤ子さんと、お腹の中にいる次女の両方の命が危なかった。そのため、みやこさんと修一さんは、母子のことについて話し合ったという。


 母体を優先するのか、子を優先するか。そんな話が行われた。


 修一さんにとっては、とてもつらい選択で、それは、みやこさんも、同じだ。愛するサヤ子さん、そしてお腹の中にいる次女。どちらかを選ぶというのは、無理な話に違いない。サヤ子さんの母親、みやこさんも同じ気持ちだろう。




 出産というのは、死と隣り合わせ。だからこそ、出産はどんな状況下でも慎重になる。


 みやこさんと修一さんは、『母子ともに救いたい』という決断を下した。その結果、出産予定日よりも二ヵ月も早く出産することを決意した。


 サヤ子は出産する日まで、集中治療室へ隔離された。面談、面会は、家族であったとしても出来なかった。心配をする、修一さんと、みやこ。眠れない日々が続いた。


 このような状態でも、隣にいたいと、支えてあげたいと、強く願う修一さん。でも、それが出来ない苦しみ。一番、愛する人の隣にさえいられない。言葉にはできない思いだっただろう。




 二ヵ月も出産日が近づいてきた。


 別室で待機をする修一さんと、みやこさん。


 『(お願いします。どうか無事で。神様。サヤ子と、生まれてくる次女を助けてください!)』


 二人は、同じ思いをしていたに、違いないだろう。


 サヤ子は、


 「(この子だけでも、どうか、無事でお願いします。私は、死んでしまったっていい。だけど、この子だけは元気で生まれてきてください。)」


 そう願った。


 親というのは、血がつながっていても、つながっていなかったとしても、子供を守る。これは、親の本能というものだろう。だから、サヤ子は、そのように願ったんだと。




 出産当日。二ヵ月も早い出産の日だ。


 みやこさんと、修一さんは別室で待機している中、集中治療室では、サヤ子は次女の出産が行われた。


 両手を握りながら、願う修一さん。それを見守る、みやこさん。


 サヤ子の出産は、緊迫する中、行われた。それは、とても長い戦いとなるだろう。いや、なっていた。それは、死と隣り合わせで、細い糸が一本で繋がっているようだ。


 長い時間は終わりを迎え、皆の祈りが届いたのか、次女は誕生した。予定よりも二ヵ月も早い出産だから当たり前だ。


 次女は元気な声で泣き叫んだ。その後、サヤ子とは対面しないまま、次女は集中治療室に運ばれた。


 「一目でもいいからと、実の母親、みやこさんに見せてあげてください」


 サヤ子は、先生にお願いをした。それを、聞き入れてくれたのか、みやこさんは、次女に会うことができた。修一さんは、会うことはなかった。


 元気な声で泣き叫んだと思った瞬間の出来事だ。事態は変わった。


 誰も予想もしなかったことだ。先ほどまで、元気な声で泣き叫んでいた次女が、突如として泣き叫ぶのをやめたのだ。一瞬にして、空気が変わり、冷めきったような雰囲気になったと同時に、緊迫した雰囲気にもなっていた。


 それを見た先生たちは、次女の容体が危ないとわかった今、緊急治療が行われた。それは、みやこさん、修一さんも状況を悟った。次女が命に係わる事態に。




 ただ一人、サヤ子さんだけは、そのことに気づいていない。次女が誕生した時、母体にも負担があったのか、その後は眠りについてしまった。サヤ子が、この事態に気づくのは、少し先になってから知らされた。


 


 次女は、泣き叫ぶのをやめてしまった今、先生たちの必死の治療が長い時間行われた。行われたが、それは誰も予想もしないまま、終わりを迎えることになった。


 次女は、必死に生きようと、頑張ってこの世に生まれてきた。それは、サヤ子や修一さん、みやこさん、そして先生たちも頑張って、その望みを全力で叶えようとした。


 でも、その望みは叶うことはなかった。


 次女は、泣き止んでしまったときには、亡くなっていた。亡くなったことを知らされた、修一さんと、みやこさんは、頭が真っ白になり、言葉が出てこなかった。いや、出せなかったのだ。衝撃のあまりにだ。


 みやこさんは、その場に崩れ落ちた。修一さんは、座り込んだ。


 先生はこのように言った。


 「出生届けはしないで、死亡届として処理しますか?」


 本来は、出生届をだすのだが、すでに亡くなっていたということで、話を進めようとなったのだ。そのことに、みやこさん、修一さんは了承して出生届をせず、死亡届を提出したのだ。




 実際には次女は存在していた。だけど、この世には存在しない人として処理されたのだ。いわば水子(みずこ)だ。いわば、生まれて間もなくして亡くなってしまった、もしくは流産、中絶などに使われる。


 ただこれだけは言わせほしい。出生届はなくとも次女はこの世に生まれてきた。そして、彼女は生きようをもがいたのだ。もがき、もがき続けた。だけど、体が弱いがために、彼女の意志は届かなかったのだ。




 『ママ、パパ、おばあちゃん、そして、お姉ちゃん、私は頑張って生まれてきたよ。会うために、私は生まれてきたんだよ。でも、からだがもう、もたないんだ。いつも、お腹の中でみんなの声が聞こえていたよ。最後に会えてよかった。ありがとう。』




 彼女の泣き声は、そう言っていたのかもしれない。


 この解釈は幻想なのかもしれない。でも、私には彼女の泣き声は、きっとそうに違いないと。

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