親愛なる不毛の地

@uyuris

第1話

灰色の空が果てしなく広がる。まるで巨大な灰皿の中に落とされたみたいだ。ああ、タバコなんてVRでしか体験したことがない。何十世紀も前に根絶された「アンティーク」だ。今の私には、灰皿の存在すら贅沢な思い出でしかない。


しかし、現実とはなんて皮肉なものだろう。つい数日前まで、私は地下文明で快適な生活を送っていた。朝はVR観光で古代エジプトのピラミッドを訪れ、午後は人工培養された牛肉のステーキを楽しみ、夜は友人たちとホログラム映画を観る...そんな日々が、今では遠い過去のように感じる。


「おめでとう、市民ID-47X29B。あなたは幸運にも地上体験プログラムに選ばれました」


人工知能の滑らかな声が、まるでついさっきのことのように頭の中で響く。そうさ、「幸運」だとも。まるでディストピア小説のパロディみたいな台詞だ。でも、現実はフィクションより皮肉屋らしい。


足を踏み出すたびに、火山灰が靴の下でサクサクと音を立てる。この音が、今や私の人生のサウンドトラックだ。壮大な交響曲とはかけ離れているが、少なくとも単調ではない。時々、風が吹くと灰が舞い上がり、即興のダンスを披露してくれる。ほら、エンターテイメントだってちゃんとある。


「ありがとう、親愛なるAI様。こんな素敵なプレゼント、期待してなかったよ」


皮肉を込めて呟く。でも、本当に予想外だったわけじゃない。最近、私の思想スコアが急降下していたことは分かっていた。管理社会への「建設的な批判」が度を越したんだろう。


追放プロセスは驚くほどスムーズだった。まるで週末の小旅行に出かけるみたいに。「はい、こちらがあなたの生存キットです。取扱説明書をよくお読みください。それではよい地上ライフを」


最後に渡された「生存キット」。


「生存キット? まるで、おもちゃの救急セットみたいな名前だな」と、背中に背負った装備を確認しながら呟く。装備が背中に心地よく収まっている。皮肉なものだ。追放した連中が、生きる手段をくれるなんて。しかし、この「おもちゃ」だけが今や私の命綱だ。


装備を確認する。ボディスーツは体温調節機能付き。ヘルメットには有害物質フィルター。そして、最も重要なのが、エネルギー変換ユニット。これがあれば、この荒野に生息する硫黄代謝生物からカロリーを抽出できる。つまり、飢え死にはしない...はずだ。


数歩進んだところで、足元に何かが動くのを感じた。見下ろすと、小さな生き物が慌てて逃げていく。おそらく、硫黄代謝を行う新種の生物だろう。ああ、新しい隣人だ。名前をつけようか。ソルフィーはどうだろう。ちょっとお洒落すぎるかな。まあ、彼らは私の主食になるんだから、親しみを込めて呼んでもいいだろう。


「ごめんね、ソルフィー。私も生きたいんだ」


装備から取り出した捕獲器を手に取る。この小さな命が、私のカロリー源になる。地下にいた頃は、こんなことを想像もしなかった。人工培養された完璧な栄養食。贅沢な特別食。全て過去の遺物だ。


思わず笑みがこぼれる。ここでも階級社会は健在らしい。私はソルフィーの上位捕食者として、新たな生態系のトップに君臨している。まあ、彼らにだって私を襲う権利はある。公平な社会じゃないか。


遠くに、灰色の丘が見える。その向こうには何があるんだろう。きっと、もっと多くの灰色の丘だ。なんて退屈な風景だろう。でも、退屈こそが贅沢なのかもしれない。ここでは、退屈している暇すらないんだから。


風が強くなってきた。装備のゴーグル部分は目を保護してくれる。こんな過酷な環境で、なぜ私たちに生きる術を与えたのだろう。罪悪感?それとも、単なる実験か?我々は、彼らの生存可能性調査のモルモットなのかもしれない。


しかし、考えても仕方ない。今はただ、前に進むだけだ。


「歩け、歩け、また歩け」


昔読んだ本の一節を思い出す。まるで私のために書かれたかのようだ。ここでは、それ以外の選択肢はない。


灰色の空の下、私は歩み続ける。時々、地下文明での生活が走馬灯のように蘇る。清潔な空気、快適な温度、豊富な食事。全てが夢のように遠い。


でも、あの管理された生活に、本当の自由はあったのだろうか。スコアによって全てが決められ、監視され続ける日々。少なくとも今の私には、誰にも邪魔されない自由がある。皮肉なものだ。追放されて初めて、自由を手に入れたような気がする。


灰の中から、何かが光る。慎重に近づいてみると、それは古い機械の一部のようだ。錆びついているが、まだ形を留めている。かつてここにあった文明の名残だろうか。それとも、私と同じ追放者が落としていったものか。


拾い上げてみる。意外に重い。これを持っていけば、何かの役に立つかもしれない。少なくとも、武器にはなるだろう。ここでは、あらゆるものが武器になり得るのだ。


「悪いね、先人たち。君たちの遺産を勝手に使わせてもらうよ」


空に向かって呟く。返事はない。ただ、風が少し強くなっただけだ。


歩みを進めながら、ふと考える。この荒れ果てた世界で、他の追放者たちはどうしているのだろう。彼らも私と同じように、ただ歩き続けているのか。それとも、もう...


いや、考えるのはよそう。今は、自分の生存に集中しなければ。


装備のディスプレイを確認する。バッテリー残量は75%。まだ余裕はあるが、さっきのソルフィーは取り逃してしまった。補給の当てがない中、貴重なバッテリー残量を使ってグルコース変換をすることはできない。何か見つけられなければ、今夜は空腹を抱えて眠ることになりそうだ。


「美食家になるには最高の環境だな」


自嘲気味に呟く。以前なら見向きもしなかったものが、今や最高の御馳走だ。人生は面白い。


歩きながら、ふと思い出す。追放が決まった日、同僚たちの反応を。


「お気をつけて」「頑張ってね」「また会えるといいね」


彼らの言葉に、どれほどの真実味があったのだろう。きっと、彼らにとって私はもう存在しないも同然なのだ。統計上の一つの数字。減少した人口の一部。


それでも、彼らの顔を思い出すと、胸が締め付けられる。二度と会えない。それが、最も辛い現実かもしれない。


「結局、見送りには誰も来なかったな」


苦笑いしながら呟く。でも、それも当然か。私との関わりが、彼らのスコアに影響を与えるかもしれないのだから。


丘に近づくにつれ、風が強くなってくる。装備が自動的に調整を行い、体温を維持してくれる。


「ありがとう、相棒」


装備に語りかける。返事がないのは当然だが、それでも話しかけずにはいられない。ここでは、この装備こそが私の唯一の友人なのだから。


足元を見ると、灰色の地面の上を小さな生き物が這っている。硫黄を代謝する新種の生物だ。火山の噴火で地下に追いやられた私たちとは違い、彼らにとってはこの環境こそが楽園なのだろう。羨ましい限りだ。


「おーい、美味しそうな硫黄ちゃん。ちょっと君のエネルギーを分けてもらっていいかな?」


冗談めかして声をかけながら、私は装備を使ってその生物を捕獲し、エネルギー抽出を始める。これが今や私の「食事」なのだ。美味しいステーキの代わりに、硫黄臭い粘液から抽出したエネルギー。素晴らしい栄養バランスじゃないか。


装備が背中でわずかに振動する。エネルギー変換の音だ。この音が、今や私の心臓の鼓動のようなものだ。


「ねえ、誰か聞いてる?」と、誰もいない荒野に向かって問いかける。「この話のオチを知りたがってる人、いる?」 沈黙が返ってくる。当然だ。


「まあいいさ」と肩をすくめる。「どうせオチなんてないんだろうから」


丘の頂上に到達する。そこからの眺めは...まあ、期待通りだ。灰色の荒野が、果てしなく広がっている。


「壮大なワンシーンだな。映画のラストで使えそうだ」


遠くの地平線の近く、人工物らしきものが見える。


「あれは...」


装備のズーム機能を使って確認する。間違いない。あれは人工の構造物だ。


「はは、面白い。追放された人間が作ったのか?それとも...」


私は考えを巡らせる。地下文明の別の入り口?それとも、まったく別の何か?好奇心が湧いてくる。


「よし、決めた。あそこを目指そう」


新たな目標ができた喜びで、疲れが少し和らぐ。私は丘を降り始める。


「さあ、行こうか。素晴らしい冒険の旅に」


自嘲気味に言いながら、私は歩を進める。この過酷な世界で、どんな展開が待っているのか。それは誰にも分からない。


でも、それがある意味、面白いのかもしれない。管理された地下社会では味わえなかった、予測不可能な未来。


「まあ、生きてさえいれば、何かが起こるさ」


そう言い聞かせながら、私は歩み続ける。灰色の空の下、未知の目的地に向かって。未知の世界へ。未知の運命へ。そして、おそらく数え切れないほどの苦難と...できればいくつかの笑い話へ。

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