第2話 虎の尾を踏むイヌ


男たちの目的は『少女を捜す』ことだった。


少女が何者であるか、どこの部門で必要となるのか、どのような経緯で抜け出したのかなどは一切聞かされてはいなかった。


その目的は普段の任務からでは考えられないほど、拍子抜けしたものではあった。


しかし捜索に割かれた人数は50人余りと聞いた時、事の重要性が明確になった。


普段であれば5人、多くても10人程度で仕事をこなす少数精鋭の彼らにとって、人海戦術とばかりにリソースが割かれたこの任務。目標物の行動範囲が限られていながら捜索開始四日目で見つけることになったのだから、上層部からのプレッシャーは相当なものだった。


もっとも、気を緩んでいたことが災いし、たまたま遭遇した少年に日頃のストレスとばかりに痛めつけたのは最大の悪手であった……





「おい。まだ立ち上がるぞ」


「あぁ?」


少女を拘束している男の言葉に、先ほどまで痛めつけた本人が振り返る。


「チッ……おいおいおいおい、めんどうだな」


そこにはゆらゆらと重心の定まらない動きをしながら近づいてくる少年の姿。


腕と首を弛緩したように地面へだらんと伸ばしながら、まるでゾンビのように歩いてくる彼に目を向けながら、男はホルスターから対人シリンジガンを抜き出す。

それと同時に彼はある程度の距離で立ち止まった。


「……撃ってみるか」


「使っていいのか?」


「別に問題はないだろ。使うべくして渡された支給品だ」


「中身の薬剤はどんな効果なのか知ってるのか?」


「知らんが……せいぜい鎮痛程度だろう。どれほど効果があるかはわからんが……ま、撃てばわかる」


シリンジガンは注射器のようなシリンダーに入った薬液を射出することができる、名前の通り『注射銃』である。対象に触れることなく間合いを開けて撃てる特徴を持つ。


しかし十分に注入するためには射程距離が短くなりやすく、加えて一発限りなので超近距離での使用が想定されていることから、既に制圧した対象に念のために使う程度にしか出番がない代物。彼らには全く必要がないものでもあった。


「邪魔さえしなければこんなことにはならなかったのによ……やさしさが無駄になったな」


距離にして3歩分ほど。この程度ならシリンジガンの有効射程距離。男は両手で狙う必要などないという自信があるのか、片手で狙いを定める。


雨降る中、相対する男と少年。


一方は銃を構え、もう一方は幽き存在のように表情はうかがい知れない。


外野にいる少女ともう一人の黒服は2人の行く末に注視していた。


「……っ」


そして男が引き金を絞りつくす───


「ハハっ!」


「!?」


───直前、少年は縮地の目に留まらぬ速さで男の懐に潜り込み、全体重の勢いそのまま猛烈な肘打ちを打ち込んだ。


「うっ、ぶ……グおぉっ!!」


「なに!?」


「え……?」


男は手中のシリンジガン落とし、堪らず胃液をまき散らながら、膝をつく。


「な、なにがあった……?まったく見えなかった……」


あまりの展開に仲間の男は困惑するが、打ち込まれた方は状況を察し、手で口元を拭いながら立ちあがる。


「く、クソガキ……っ!」


「さっきはよくもやってくれたね」


少年は濡れた髪をかき上げる。


街灯に照らされるその顔には、おおよそ凶悪と呼ぶに相応しい笑顔を張り付かせていた。


「ははっ、これが君に対する”報い”だ。」


「野郎っ……!」


「まだまだこんなものじゃない……次もこっちの番だ!」


攻撃を予期した男は崩れながらも構え、素早くパンチを繰り出す。


しかし少年は男の一手を堂々と迎え撃ち、その手を掴む。


そしてカウンターとばかりに男の肘を外から殴る。


「ぁ、がぁあぁぁぁぁ!!!」


内側。


あらぬ方向へ折れた左肘をかばうように手首を持ち、地面へ膝をつける男。痛みのあまりにうめき声を漏らす。


少年は追い打ちをかけるようにその背中を蹴飛ばし、泥のついた靴でフットスタンプをつける。


「立ちなよ。まだ終わってないんだから」


「っ、なら……その足を、どけろよ……クソ野郎」


「ははっ!」


「ぐ……っ!」


強く押し付ける少年。


「おい待ってろ!いまこいつを拘束する!」


この状況に見かねた仲間の男は少女の自由を縛り、加勢に向かおうとする。


しかし───


「構うな……任務優先だ……はやく合流するんだ」


「だが」


「こいつは……一般人なんかじゃない!」


「……どういうことだ?」


疑問を口にする仲間に対して、確信を持った様子で男はこう語る。


「───同業者だ」


「っ!」


同業者。


その言葉を聞いた男は、すぐさま少女を連れてその場を離れた。


「ふっ、悪いな。お目当ての物は俺ら『エデンの園』がいただいていく。どうやら、お前は一人のようだからな。他の仲間が合流さえすれば、数で劣るお前に勝ち目はない」


自身を犠牲にして時間を稼ごうとする男に対して、少年は───


「うるさい」


「ぅぐっ」


──足蹴にする。


「同業者って?」


「とぼけるな……先ほどの身のこなし、躊躇のない動きと咄嗟の状況判断力。どれをとっても貴様は一流の……いや、みなまで言う必要はないか」


「まぁいいや。それで、あの女の子どこ行ったの?ぼく、あの子に用事があるんだけど」


「言うわけ……ないだろう」


「そう……じゃあここでお別れだ」


そういった少年の言葉を最後に、男の意識は途切れる。



△▲△


▼▽▼


「あぁ!誰でもいいから今すぐ応援をよこしてくれ!…………だから!パッケージは確保してると言っただろ!」


仲間の犠牲の甲斐もあり、現場から少し離れたヴィークルまで移動した男は少女を助手席に詰め、本部へ連絡をしていた。


彼は至急の応援を求めていた。だが本部の答えは『追跡対象はどうした』というあまりにも悠長なものだった。


「融通の利かない背広どもが……!」


切るか切らないかの直前にそう愚痴りながら、濡れたジャケットを後部座席に放り深くため息を吐いた。


「なんだってこんなことに……」


こめかみを掴むようにして頭を抱える男は隣に座る少女を見る。


「くそ……」


どんな状況であれ、任務を遂行するのがプロフェッショナル───男は自分にそう言い聞かせ、イグニッションスイッチを押しハンドルを握る。


「いやー、雨だと寒くてまいっちゃうね。あ、暖房つけて」


「!?」


男は少年の声に驚く。急ブレーキをかけたせいで車内が勢いよく前の方へ倒れかかった。


「なっ、なぜここにいるっ!?」


「鼻がいたい……運転手さんよ、安全運転はどうしたわけ?」


──そもそもどうやって──いつ入った?──残ったあいつはどうなったんだ?


言葉に出せない疑問はいくつも出てくる。


「そんなことよりその子、返してくれる?」


後ろに堂々と座る少年は「いや、ぼくのものってわけじゃないけど」と小さくあとにつけた。


先手必勝。男は腰のシリンジガンに手を伸ばし───


「ちょっと待って。できればその手はやめてほしい」


「っ!」


先ほどとは違った声音。気取られたことに驚き手を止める。


しかし少年からは攻撃してくる様子はおろか殺意すらも感じない。怪訝に思い振り返れば、悠々とリラックスしていた。少年はエアコンの風向きを自分の方へ変えながら、話を続ける。


「その中身が何か知ってる?」


「……知らない」


馬鹿正直に答えるのはどうかとも思ったが、自分をの力量をはるかに凌ぐ相手だと察し無抵抗の意を添えて答える。


「さっきそれを君の仲間に撃ったら、どうなったと思う?」


足を組む少年にルームミラー越しに目線で答える。


知るはずがない、と。


そして彼は言う。


「ぼくも知らないんだよね!ははっ」


あっけらかんとした様子で笑う少年に眉間を深くする男。


「まぁそう怒らないで。心配なら見に行けばいいんじゃない?その子はもらうけど」


「お前も……」


「ん?」


「お前も我々と同じなら……わかるだろ」


苦々しく男は続ける。


「任務を遂行できなければ俺たち木っ端に、意味なんてなくなる。食うことはおろか、安全に住む……いや、生きることすらままならなくなる。いまさら普通に戻りたいなんてことは口が裂けても言えないが……俺たちは仮にもプロ。ここでは生きるか死ぬか。それだけだ」


「……人攫いのくせに随分と大仰なこと言うんだ、見上げたプロ根性だね」


「それは、お前もだろ」


「え?全然違うよ?大体、君たちと同業者とかよくわかんないよ。ぼくはただの学生だし」


「そうか……なら大人しく死んで───」


男がシリンジガンを抜き取ろうとした直前、プシュッという射出音と共に首に針が刺さるような感覚を覚えた。


「あ、ぁが……」


「悪いね。どうしてもその子が必要なんだ。どこかでまた会ったら今度は───」


少年の言葉を最後まで聞き取ることなく、男は意識を手放した。


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