黒衣の巫女

ziolin(詩織)

零_聖女は存在しない

――五年前。



 激しい雨が降る中、俺は濡れた石段を駆ける。


「姫!」


 焦りからか、日に何度も往復して、雪の日でも絶対に踏み外さない自信がある石段を、幾度も踏み外し、脛を打ち付けた。


「姫巫女様!」


 痛む脛を押さえながら、朱の鳥居をくぐり玉砂利の境内を走り、賽銭箱を飛び越えて拝殿の軋む戸をこじ開け放つ。


「姫巫女……さ、ま……?」


 不気味な笑みを浮かべて御神札を手に載せた仏像の前、幽かな蝋燭の灯りに照らされて、拝殿の中央に一人の幼女が立っていた。


「耕雨……」


 どこか悲しげで、そして無邪気でありながら邪悪さを孕む微笑。

 足元には、雨漏りでは決してあり得ない赤黒い水溜まり。

 それが血であることを否応なし証明する、微動だにしない男女の屍。

 右手に握った短刀を中心に、両手と巫女服は、朱袴の色とは全く違う赤に染まっている。


 彼女は鮮血で染まった巫女服の袖で短刀を拭い、懐に収めると、二つの屍を踏みにじるようにして越え、血の海をぴちゃり、ぴちゃりと音を立てながら、俺の方へゆっくり歩を進めてくる。


 怖さは、ない。

 今まで見てきた姫とは全く違う。

 何か、とてもおぞましい、幼女とは、あるいは人とは思えない存在に思える。


 それでも、怖さはない。


「耕雨……!」


 紅く染まった手で俺を抱き締め、

 彼女は、今までに見たことがないほどの満面の笑みを浮かべた。




「己の為に他者を殺すのは当然のこと。生きとし生けるもの全てに課せられた業よ……。そう、鬱陶しい蚊を叩き殺すのと、一人の少女を贄に邪術を行使するのは、何も変わりはしない」


 その言葉が、自分に向けたものなのか、俺に向けたものなのか、それとも目の前に倒れる屍に向けた物なのかは分からない。


「桑織の為に犠牲になれ? 冗談じゃない。綻びかけた異世界の神の呪いを相殺するための、綻びかけの呪術。この私がそんなくだらないものの犠牲になる方が、よっぽど桑織にとって損失になることくらい分からないのか?」


 ただ、ぽつりぽつりと、呟く。


「私は、私のやり方でこの地を治め……いや、違う。私は私の為だけに生きる。素戔嗚が見初めた娘を娶る為に八岐大蛇を倒したように、三百五十年前の陰陽師が名誉欲の為に桑織の救世主となったように。ええ、文句があるならかかってきなさい……」


 血で汚れた病的に青白い肌。薄紅色の唇が不敵な笑み湛えて歪み、八岐大蛇のような朱の瞳は、まさしく獲物を狙う蛇のように、遠くを睨み付けている。



「んー……」


 そのまま、一瞬の逡巡の後に、



「ねぇ、耕雨。私の初めて、貰って……」


「……は?」


 ……なぜ、この流れで急にそういう話になる!?


「お前……幾つだよ」

「数えで七つ」

「完全にアウトだ!!」


 しかも体格が一般的なそれよりかなり幼い。精神は異常に大人びているのだが。

 それでも彼女は、その美しい朱の瞳で俺を見詰めて言う。


「誰かのために身を捧げる聖女処女なんて嫌なの。誰かに私を捧げるのは、これが最初で最後……」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「すぐに気をやっちゃってあんまり覚えてないんだけど、もう『ひぎぃぃ……♡』とか、そういうかわいい声出せるようなレベルじゃなくって、苦悩の梨でもぶち込まれてるんじゃないかってくらいに痛かっ……」

「お前はもう黙れ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る