惚気
ケイの実家は老舗の呉服屋だ。
絹織物などの高品質な素材をたっぷりと使った衣服を販売し、利益を上げている。
また、商品はオーダーメイドが基本であるため、衣服はドレスやスーツといったフォーマルな物から普段使い用のジャケットや部屋着などカジュアルな物まで実に様々である。
基本的な顧客は富裕層で、貴族や資産家など上流階級の人間から注文を受けることが多い。
時に王族の衣装すら作ることのある呉服屋は、富裕層の間で憧れのブランドとして名が通っている。
呉服屋は元々ケイを含む当主の三人息子が家業を手伝って運営が成り立っていたのだが、五年前に当主が亡くなってからは長男が家督を継ぎ、事業の経営を担っていた。
また、長男が当主となってからは次男が彼の補佐を行っている。
建前上、事業での決定権は基本的に長男の方にあるのだが、実際には二人で相談しながら仕事を進めているため、実質的な権利は同程度らしい。
まあ、だからと言って経営方針で揉めないというわけではないようだが、それでも何だかんだ協力して働いているようだ。
一方、ケイは先代がいた頃から二人とは別角度の仕事を行っており、直接運営にはかかわらずに職人として商品のデザインや製作を行っていた。
ケイが経営にほとんど携わっていないのは兄弟から嫌われ、
「お前のような馬鹿に経営のことは任せられない」
と、みそっかす扱いされているからではなく、本人が裁縫等において高い技術を持っており、かつ製作側に回りたいと自ら志願したからである。
人々を魅了する美しい意匠を考え、作品を生み出すケイの腕前は文句なしに一流だ。
長らく老舗から衣服を買っていた顧客の中にもケイの作品のファンが少なくないことから彼は事業の主力として扱われており、給与などの待遇もかなり良かった。
なお、呉服屋は実家である屋敷の一部を使って運営されており、彼の職場も屋敷内にある。
ケイは今日も未完成品の衣服や材料である絹織物に生糸、リボン、フリル、ボタンなどが大量に詰め込まれた部屋の中で黙々と仕事を行っていた。
平坦だった布の塊を丁寧に縫い合わせ、装飾していくことで、自分の脳内にしかなかった美しい衣服を具現化するという行為を愛しているケイだが、流石に何時間も連続で作業を続ければ疲れてしまう。
少し休憩しようかと作りかけの衣服をテーブルの上に置く。
長い糸で布と繋がったままの針を針山に突き刺すとケイは大きく伸びをした。
自分一人しかいない室内でフカフカの椅子に背をもたれさせ、瞳を閉じて疲れ目を休ませていると軽くドアをノックする音が聞こえてきた。
「ケイ、今いいか?」
気楽な雰囲気の声は次男であるカイのものだ。
眠りかけの体を起こしたケイがドア越しに、
「大丈夫だよ、どうぞ」
と、声をかけるとカイが室内へ入ってきたのだが、何やら不穏な量の書類を抱えている。
「相変わらず、凄い量だな。追加で依頼を持って来たんだが……こなせるか?」
ケイの作業部屋はたった一人でしか利用していないにもかかわらず、足の踏み場もないほどに裁縫の材料や書類、作りかけの服を着せられたマネキンが並んでいる。
大切な商品になる材料たちなので、決して雑に汚らしく置かれているわけではないが、それでもケイの作業部屋に慣れていない人間は色彩と情報量が多すぎる室内に圧倒されてギョッと固まってしまう。
何度か部屋に入ったことがあるカイも室内の光景にギョッとしてしまって、目を丸くしながら周囲を見回していた。
これに対し、ケイの方はカイの抱えた分厚い書類に苦笑いを送る。
「こういうのは時間がかかるってお客さんも分かってくれてるし、急ぎの仕事もないから前みたいに何日も徹夜する羽目にはならないと思う。でも、それ、多分ベリー家のお嬢さんからの依頼だよね? あそこのお嬢さん、こだわりが強いからなぁ……」
受け取った書類にパラパラと目を通し、「やっぱり……」と落ち込んだように目線を下げる。
すると、カイが慰めるようにポンと沈むケイの頭に手をやった。
「まあ、そう文句を言ってやるなって。ベリー家は先々代から付き合いがある、ご贔屓さんなんだから」
カイはケイとの血縁を思わせる柔らかい苦笑いを浮かべている。
ケイも兄の言葉にコクリと頷いた。
「うん。兄さんたちがベリー家を大切にしているのは知ってるよ。それにこだわりがあって注文も多くなる分、俺も手の込んだドレスとか物珍しい衣服を作れることになるから楽しいんだ。だから、毎年ベリーさんの依頼はけっこう楽しみにしてたんだけど、でも、今年からは家にセレーネさんがいるからさ。帰るのが遅くなっちゃうなと思って」
「セレーネさん……ああ! この間ケイが買ったって言ってた子か。なんだ? もしかして、最近、仕事場に泊まらなくなったのも奴隷の影響か?」
ニヤニヤと品なく笑ってからかうカイにケイがムッと口角を下げる。
「セレーネさんだよ」
ケイは確かにセレーネを購入したわけだが、それでも彼女をあからさまに奴隷扱いすることが嫌だった。
親しくなって彼女への恋心が芽生えている最近は特にそうで、カイの言葉にブスッと口をとがらせている。
だが、ハッキリと怒りを示すケイにカイの方はキョトンとしている。
「そんなに怒らなくてもいいだろ。だって所詮は奴隷だぞ? むきになるような相手じゃねぇって」
「それでも俺は嫌なの! 奴隷じゃなくて、俺のお嫁さんだし。いいから、セレーネさんを奴隷ってよばないで!」
フン! とそっぽを向くケイにカイはポリポリと後頭部をかいて苦笑いを浮かべた。
「相変わらず子供っぽいな、ケイは。それにしても、へぇ、前に性奴隷を買って妻にするって言ってたやつ、実行したのか。どんな子なんだ?」
「えっと、すごく優しい人だよ。一生懸命に家事をしてくれるし、元気がないと気を遣ってくれて、ギュって抱っこしてくれるんだ。寝る時もキュッて抱き着いてきて、けっこう甘えん坊でかわいいんだよ。それに、夜は俺が帰るの待っててくれて、一緒にご飯食べてくれるんだ。だから俺、最近は特に早く帰りたいなって思うんだよ」
友人、知人が少なく、あまり惚気る機会のないケイだ。
カイに問われて堂々とセレーネの話ができるのが楽しいようで、彼女と絵本を読んだ話や一緒に買い物に出かけてぬいぐるみを買ってきた話、台所に発生した虫を捻り潰した姿が格好良かった話などをした。
セレーネを語るケイの瞳はキラキラと純粋な輝きを放っていて、奥の方にほんのりと恋情を揺らめかせる。
「俺さ、実はセレーネさんのこと、本当に好きなんだ」
たくさん話し終えて満足したらしいケイが最後にボソッと呟いた。
目元をほんのり染めて、小さく内心を吐露したケイは非常に照れくさそうだが幸せそうだ。
「馬鹿が」
純粋に恋を楽しんでいるだろうケイに対して忌々しそうに吐き捨てると大きく舌打ちをする。
「え?」
虚を突かれたケイがギョッと目を丸くして顔を上げた。
聞き違いかとカイの姿を確認してみる。
だが、視界に入ったカイの顔は憤怒で染め上げられており、自分を酷く冷酷な目つきで睨みつけているのが分かっただけだった。
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