夫婦ごっこ

「セレーネさん、一つ、お願いがあるんだ」

 眠気に負けそうになって大きな欠伸をしていたセレーネにケイが身じろぎをしながら問いかける。

「何でしょうか、ご主人様?」

 ムニャムニャと口を動かし、瞼を擦りながら問い返せば、自分の顔を覗き込むセレーネにケイは言いづらそうに口籠った。

 しかし、すぐに閉じかけた口を開くと真っ赤に緊張した様子で、

「あの、俺のお嫁さんになってください」

 と言葉を出した。

 まるでプロポーズでもするかのような口ぶりであり、恥ずかしそうにしながらセレーネの返事を待っている。

 これに対してセレーネの方は全く予想していなかった頼みごとにキョトンと目を丸くした。

「お嫁さん。そういえば、そんなことを言って購入なさいましたね」

「うん、そうなんだ。俺、その、ずっと昔から自分を愛してくれるお嫁さんが欲しくて」

「はい」

「セレーネさんのこと、好きだなって思ったし、その……愛されたい」

「なるほど」

「でも、いきなりは無理だと思うし、時間をかけてもセレーネさん、俺のこと嫌いだと思う」

「はい。じゃなかった! 違いますよ! 好きですよ!! すみません、間違えました!」

 一つ言葉を出すごとに少し止まってしまうケイに淡々と相槌を打つ。

 そうしていると、うっかり肯定してはいけないことにまで「はい」と答えてしまい、セレーネは慌てて首を横にブンブンと振った。

 しかし、必死に弁明する彼女にケイは怒ることなく、ただ苦笑いを浮かべた。

「大丈夫だよ、本当は分かってるから。今日も、さっそく愛想を良くしてくれてありがとうね、キスをしてくれたり、こうして抱きついたままでいてくれたりして」

 ニコリと微笑んで丁寧に礼を言うケイの笑顔が妙に寂しい。

 彼の姿を見ていると何だか妙に胸が締め付けられて苦しくなった。

「いや、本当に嫌いってほどではないですよ」

 フォローのように出した言葉は嘘ではない。

 好きではないと思うが、少なくとも嫌いではないというのが紛れもないセレーネの本心だった。

 だが、やや真面目なトーンで出されたセレーネの言葉に対し、ケイは相変わらず困ったような表情を浮かべている。

「そっか。まあ、いいや。それでね、俺は自分の現状が分かっていても、どうしても、俺のことを心から愛してくれる奥さんって存在を諦められないんだ。ほしいんだ。だから、せめてセレーネさんにはお嫁さんのふりをしてほしい。ちょっとでもいいから演技をして欲しいんだ」

 具体的には好き合って婚姻を結んだ新婚の妻のように振舞い、愛妻弁当を作ったり、家事を行ったり、定期的にデレてキスをしたり、抱き合ったりといった行為をしてほしいらしい。

 また、自身が奴隷であることを前提とした行動、言動も避けてほしいとのことだった。

「ただ、まるっきりお嫁さんみたいにって言われてもセレーネさんも困っちゃうだろうし俺も変な風に混同しちゃうから、あくまでも演技をしてるって認識できるように、セレーネさんは敬語を使って、『ご主人様』呼びをしてくれると嬉しい。俺も、家事とか精神的な部分で度を越えて甘えないように気を付けるし、セレーネさんが上手く演技できてないなと思ったら、その都度、声をかけるから」

 そもそも、ケイに頼まれようと頼まれないと、セレーネは彼に対して好意があるような振る舞いをするつもりだった。

 セレーネたち奴隷にとって主人は自身の命綱であり、今後を左右する重要な存在だ。

 捨てられにくくするためにも、自身への扱いをよくするためにも、媚を売っておいて損はない。

 むしろ、媚を売るなど浅ましい下劣な行為だと高潔がって最低限の愛想を振りまくことすらできなければ、酷い待遇を受け、捨てられたりしてしまうし最悪の場合には殺されてしまう。

 どちらかというと不器用であり、身内以外の人間を嫌悪する潔癖なセレーネであるから実際にどの程度、媚を売ることができたのかは不明だが、それでも最低限は売っておこうと決めていた。

 それが、ケイの方から演技を依頼されることとなったため、セレーネとしても割り切った指示が飛んで来る方が逆に面倒が少なくていいなと感じた。

 また、家事についてだが、セレーネは元々、家政婦的な奴隷を志願していた。

 理由は簡単で、家政婦的な奴隷が奴隷の中では一番負荷が少なく、仕事も自分向きだろうと考えていたからだ。

 加えて、セレーネは暇が嫌いだ。

 夜以外は自由に待機と命令された場合、最初の一週間くらいはバカンス気分でゴロ寝できるかもしれないが、すぐに飽きがきて体を動かしたくなってしまう。

 それに、仕事をして金をもらう人生が体に染みついているから、何もしないままで与えられるという日々にはソワソワしてしまう。

 こういった感覚は人によりけりだろうが、少なくともセレーネは仕事がないよりあった方が良い派で、おんぶにだっこをされることが苦手な人間だった。

 そのため、セレーネにとってケイからの提案は基本的に悪いものではない。

 ただ、頼んでいる時に申し訳なさそうに顔を俯かせていたケイには、

『なんで、この人はこんなに腰が低いんだろう? 命令じゃないだけ随分とマシだし、別に悪辣な頼み事をしているわけじゃないのに』

 と、内心で首を傾げていたが。

 ともかく、セレーネが、

「かしこまりました。それなら今からご主人様のお嫁さんとしてふるまいますね」

 と頷くと、ケイは顔を上げてパァッと表情を明るくし、

「ありがとう!」

 と、嬉しそうに笑った。

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