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第1話への応援コメント
私も割引使います。
旦那は単に悪口、残念としか言い様がない。デリカシー無し🤣
今回の言葉に現れた奥の感情を私なりに推測してみました。
奥様
「1000円で見れるんだ」
(いいなあと羨ましく思ったのでしょう。ポイント還元とかかな?いいなあ。若しくは、障害者割引かな、いいなあ、かもしれませんね。但し、生活や就労などに於いてハンデキャップを抱えた障害者が、羨ましくおもわれる存在でもありませんけどね)
旦那
「それだけお金ないんだろ」
(羨ましいな、悔し紛れの悪口でしかありませんね)
こんな風景ですかね。
そして、見ている子供の思い
→(他人に思ったこと、聞こえるように話してもいいんだな、誤学習)
(お金ないって悪口なんじゃないのかなあ。他人に金ないとか、貧乏とか言って良いんだ、誤学習)
(こんなデリカシーのない大人になりたくないな。反発。反面教師)
こんなんかなあ。一番最後に捉えてくれることを祈ります。
蛇足なんですが、
権利保護を行使しているだけなのに、巷には、「あの人だけずるい、障害者は得している、高齢者は保護を受けすぎてる」
そんな、思いで溢れている。
余裕がない、殺伐とした世の中。
国ってものが何故あるのかを考えて欲しいと常々、思います。国は税金を再分配するために、あります。病気、失業、事故、介護、高齢などなど。あらゆる誰にでも起きうる人生の局面において、全体でカバーするシステムを近代国家は歴史のなかで、作り上げ到達したわけです。
全くね😣
すみません。堅苦しい文章
作者からの返信
コメントありがとうございます。
本当に、思ったからパッと声に出した、みたいな会話でした。
その中にもその思惑を言語化すると木村れい様のコメントのようなそれぞれの立場の捉え方、受け取り方があるのかもしれません。
お子さんが大きくなって「ぱっと」発言した言葉やデリカシーのない大人から言われた言葉で人を傷つけたり傷ついたりしないことを願います。
まだ小学生くらいの男の子でした。
障がい者でも、障がい者だけど、みたいな思いで生きてますが。
自分なりの落とし所を見つけて胸を張っていきたいです。
障がい者以外にいままでを薄めてくれるようなユニバーサル? な言葉を考えてほしい。
天才がジーニアスとかギフテッド? みたいな表現を受けるような、軽くて心象的に呼びやすい新しい呼称があれば良いな、と思います。
国は守ってくれるけれど、障(さわり)、がい、者。
どうにかならないものかな。
たくさん説明をしてくださったのにうまくお返事ができなくてすみません。
第1話への応援コメント
こういう事を言う人って一定数いますが毎回思うのがそんな考えの親に育てられる子どもが可哀相ということです。
あとはそういう考えの人には何を言っても無駄なので聴かなかった事にしましょう。
明鏡止水さんは何も悪い事をしていません。
でもほんと嫌な気分になりますよね(# ゚Д゚)
作者からの返信
個人的には前は映画料金自体が二千円近くするの高いなあ、と思ってました。
払う金額が千円になり、ずるそうで、勝手に作品の出来栄えに感動して勝手に涙ぐんたりして、その間も障がい者割引ってなんだろう……、て改めて考えました。
でも、いろんなイベントや美術館、公共の乗り物とかでも割引ってしてもらえるみたいだし。
私はやっと映画に使わせてもらえるようになったから。
自分の障害と症状と相談しながら人生と。社会で懸命に生きるすべの一つとして捉えていこうと思います。
私もそういう見解をパッと言う親御さんのもとのお子さんのことを考えました。
極端なものではなく博く世界を知ってもらいたいです。
第1話への応援コメント
デリカシーのない発言に対して、気にする必要は一ミリもありませんよ。あなたは何も間違っていません。
でもこういう何気ない無理解な発言が結構尾を引いたりするんですよね。
作者からの返信
「好き」になれそうなもの、生きる糧になる素晴らしい作品や展示に出会うのに割引が使える。
ずるい、とは違うとは言ってもらえるけれど考えちゃいました。
映画は千円で見たけどその分その映画のパンフレットを買わせていただいたので、作品を作り出してくれた映画会社や漫画家さんや出版社とか。
潤うと良いなあ。
と思ったり。
世界は還元されていけば良い。
でも、あの発言をした男の人の見方は世界にどう還元されていくんだろう、とも思います。
第1話への応援コメント
障害者手帳見せるときが嫌です。私は手帳をとりたくはなかったです。旦那が作ったらといわれたからでも障害者と言ってるみたいです。
作者からの返信
「私、障害者なんだ」
と言う気持ちは手帳を取得? した当時は、なんていうんだろうなあ。
言い表せないものはありましたね。
私の場合年下で仕事のできる人の嫌がらせで障害者になったので怨みもありましたし。
ある日
電車の中で知的障害のありそうな青年を連れた女性が車両を移動した後、乗車口付近でたむろしていた若者の男性が
「障害者とか人間じゃ無いw」
と言っていました。
偏見と言えば偏見でしょう。
でも、私自身、怒られるかもしれないけど、思うんです。海外では個性として受け入れてもらえる地域や活動がたくさんあるかもしれないけれど。
日本じゃ、いや、国は関係なく私の考えかもしれない。
正直、重度の障害者は、「普通」には生きられない。誰かに四六時中ついていてもらわなくちゃならない。それは一人では無理で複数か交代でなければ参ってしまう。
介護を学ぶ際障がい者についてもいくつか講義を受けましたが、
同じ人間だとしても、区別なく、接しられるとしても、決定的に心が拒絶する時があります。
精神疾患を持つ人を嫌悪する人がいれば、身体的障害者の歩行を目障りに感じる人がいるかもしれない。
そんななかで、手帳を取得して何年か経った私は思います。
これは、憎しみと証明と恩恵と、身分証明の表れたカタチだと。
上手く言えなくて長文ですみませんが、障害者手帳を得ることなどがあるいは堕とされると感じるか。嵌め込まれると感じるか。
複雑ですが、必要なければ取得しなくてもよいのでは、と思います。