M県の某ホテル
森野樽児
M県の某ホテル
今から3年ほど前のことです。
包材メーカーの営業マンをしている私は、先輩社員と一緒にM県へ出張に来ていました。とある食品工場へ早朝から訪問する為、前日の内に近くに泊まろうとなったんです。
ただその工場があるのが物凄いど田舎の辺鄙な場所で、近くには碌な宿泊施設がありませんでした。私が仕方なく車で40分ほどかかる全国チェーンのビジネスホテルを取ろうとすると、先輩が
「俺、いい穴場のホテル知ってるから任せとけよ」
と言ってきたのです。それじゃあと私は宿の手配を先輩に任せました。
宿に着いたのは18時過ぎ。まだ夕暮れだというのに街灯も無く黒々とした田舎道を車で走ると、そのホテルは現れました。
正直、初見で「やっちまったなぁ……」と思いました。
施設のほとんどの灯りが消え、ロビーと食堂の一部だけがぼんやり明るいそのホテルはとても元気に営業してるようには見えませんでした。建屋自体は立派にデカいだけに、鬱蒼とした雑木林をバックにしてやたら不気味に見えたのを覚えてます。
先輩は、あれ〜?前はこんなんじゃなかったのになぁ〜?なんて言ってましたが、私のテンションは既に地の底まで落ちてました。
「流行病もあってすっかり利用客も減りまして……」
支配人であろう小柄な老人は鍵を渡しながらそう語ってくれました。
私は同情したい気持ちもありましたが、「利用客が少ない為大浴場は閉めております」「お夕飯は仕出弁当を用意致します」「部屋にWi-Fiはありません」の説明を聞き、もういっそ休業しといてくれよ、と思わずにはいられませんでした。
客室も当然ながら相当な年季の入り様で、レトロと言えば聞こえはいいですが、単純にぼろぼろで薄暗い、気味の悪い部屋でした。
余談ですが、私はテレビ横のボックスにお金を入れて見るタイプの有料放送をここで初めて見ましたね。
もしかしたらその手の趣味の人からしたら結構いい部屋かもしれませんが、私は半分の広さでも綺麗なビジネスホテルがよかったな……と思いましたが後の祭り。
「まさかこの部屋、なんか出ないよな……?」
そう思って部屋のあちこちを探しましたが、お札の様なものはありませんでした。
ホッとするやら悲しいやらで、何もする事がない私は早々にシャワーをして休む事にしました。
弱々しい水流でさっぱりした私は明日の準備を終えてベッドに入ろうとしましたが、そこで部屋の違和感に気づきました。
何か、いる。
部屋の中に、自分以外の気配を感じました。微かに、本当に微かですが、何かが動く音が聞こえたんです。
私が緊張しながら部屋を見回していると――ソイツは突如床の上に現れました。
虫です。
いや、分かりますよ。30後半の大の大人が虫程度でって。分かります。それに私もど田舎の出身ですし、実家は農家だったんでそんじょそこらの虫では驚いたりしません。またゴ●ブリだって、自慢じゃ無いですが大学自体は長らく同居していた間柄なので今更驚く相手では無いです。
そいつは、種類としてはバッタやカマドウマ、またはコオロギのような脚の長いタイプのやつでした。どこにでもいる、ありふれた虫です。
でも、サイズが。
サイズがやばい。
デカい。とにかくデカかったんです。
プラレールくらい、と言えば伝わるでしょうか。もしくはコンビニに売ってるたまごサラダを挟んだコッペパン。アレくらい。
とにかくデカかったんです。
田舎を舐めてました。流石は最果ての地、M県。
しかし、確かにサイズ感にビビりましたが、所詮相手は虫。私は館内案内の冊子を構えて振りかぶり、ヤツに狙いを定めました。デカい図体なんで狙うのは簡単。一撃で仕留める――と考えた所で、私の手が止まりました。
小さい虫なら殺しても後始末は簡単、単にゴミとしてティッシュなりに包んで捨てるだけですが、アイツは……あのサイズの死骸はどうしたらいいんだ?急に怖くなりました。
あのデカさが潰れた時、どれだけの体液が出て、どれだけ身体がバラバラになるのか。想像しただけでゾッとします。おまけに小さな虫ですら身体がバラバラになってもピクピク動いたりするもんです。もし仕留め損ねてアイツがそんな風にゾンビ化したら……もう恐ろしい想像が止まらず、私は手を下ろしました。
ヂッ
そんな私の姿を見てアイツは、嘲笑うかの様に羽根を鳴らしました。
もうその音が心底気持ち悪くて。
私は咄嗟に近くにあった空のゴミ箱を掴んで振りかぶると、勢いよくアイツの頭上から被せました。そしてその上からポットとか雑誌とかリモコンとか、とにかく色んなものを載せて重石をしました。
封印、それがあの時できる自分の最善策でした。
そこまでやった私はひどく疲れ、そのままベッドで休みたかったのですが、アイツが一匹だけという確証が無かった為、結局ソファに座ったまま眠れぬ夜を過ごしました。
ヤツを封じたゴミ箱からはたまに
ヂッ
ヂッ
という羽音が微かに聞こえ、その度に私はビクッと飛び起きるのでした。
もう最悪の夜でした。
翌朝、殆ど眠れぬまま身支度をして私は部屋を出ました。
アイツの封印をどうするか少し迷いましたが、このままにしとくのも悪い気がして、私はダッシュで部屋から出られる準備をして――アイツが飛びかかってきてもすぐ逃げられるように――意を決して封印を解きました。
そしたら
中には、何もいなかったんです。
一晩中、ゴミ箱の中から鳴るアイツの羽音を聞いてたはずなんですけど、目の前のゴミ箱、空っぽだったんです。
いくらアイツがデカくても、流石にあの重石をどかして出られる訳ありません。
でも、いなかったんです。中に。
アイツ、ずっとどこにいたんですかね。
ちなみにホテルは去年潰れてました。
<了>
M県の某ホテル 森野樽児 @tulugey_woood
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