飛び立て青年

小欅 サムエ

飛び立てよ青年

 都心部からは少し外れた古い歓楽街にある、十階ほどのビルの屋上。

 秋の夜風に吹かれながら、一人の青年が煙草を吸っていた。

 それなりに高さのある柵を越えていながらも、彼はビルの縁に座って瞬く星を眺める。何をするでもなく、ただぼんやりと。


 ふと、屋上の古びたドアが開き、軋んだ音が夜の静寂しじまを裂いた。

 それに続いて、中年男性の野太い声が夜空に響く。


「おい、そこで何をしている!」


 熊のような大柄な男は懐中電灯を青年へと向け、駆け足で近づく。一方で青年はというと、眩しそうな顔はしつつもその場から動こうとしない。

 動じることなく煙草を吹かす青年に、男は大きく溜息を吐きながら声を掛けた。


「聞こえてんのか? そんなところにいたら危ないぞ」

「……」


 青年は男の問いに答える代わりに、煙草の火を消して振り向いて見せた。

 懐中電灯に照らされた青年の顔は涼しげでありながらも、その目は死んでいた。

 まるで地獄を目の当たりにしたかのような様相に、男は思わず立ち竦む。

 しかし、そんなことで職務を放棄するほど、男の精神はやわでは無かった。「あー」と言葉を詰まらせ、濃い髭を掻きながらも、身を引くことなくさらに歩み寄る。


「何があったのかは知らんが、早く離れなさい。迷惑だからさ」

「……迷惑なのは分かっています。だから困ってるんですよ」

「あ? どういうことだ」


 思いがけない言葉に、男は戸惑う。そんな彼の様子を受け、青年は冷たく笑い返す。


「そのままの意味ですよ。死のうとして来たのに、なぜか死ねなかった。でも、生きるつもりもない。死のうと死ぬまいと、僕は迷惑をかけてしまうんです」

「はあ? そんなことは無いだろうよ。生きて欲しいと思う人だっているだろ。ほら、両親とか友達とか、あとは……」

「いえ、僕にはいないんです。両親も友達も。……ああ、失礼」


 そこまで言うと、青年は何かを思い出したように振り返り、はるか眼下を見つめる。


「ついさっきまで友達だった五人は、ここから飛び降りました。僕を見捨てて」

「……集団自殺ってことか」

「まあ、そういうことになります、ね」


 淡々と、しかし先ほどよりも明らかに感情をこめた声で、青年は話を続ける。


「僕たちは、いわゆる『受け子』ってやつだったんです。知ってますか?」

「受け子……ああ、アレだろ? オレオレ詐欺かなんかの、なんだっけ。金を受け取るヤツ、だっけか」

「そうです。もちろん、僕たちは暴力団やヤクザとは関係ありません。割のいいバイトがある、としか聞いてませんでしたから。でも……」

「それがどっかしらでバレて、逮捕さパクられる寸前だった、ってことか」

「……」


 青年は黙って頷いた。

 受け子であれば刑法における詐欺罪に該当する。このまま逮捕されれば、少なくとも十年以下の懲役刑が科せられる。

 年老いた身であれば諦めもつくだろうが、二十歳そこそこで前歴も付いてしまうとなると、この先の人生が明るくなる可能性は非常に低い。


「つまり、だ」


 男は俯く青年に、改めて問う。


「いつの間にか詐欺の片棒を担がされてたんで、一緒に死のうとしたってことか」

「端的に言えば、そうなります」

「なるほど、そりゃあ自業自得ってもんだ。それなら猶更、なんで死ねないんだよ。しかもお友達が先に死んでるってのに。薄情すぎやしねぇか?」

「……一緒に飛び降りるって、約束してたんです」


 男の問いに、青年は唇を強く噛みながら答える。


「一瞬のことだったんです。僕が目を離した時に、みんな……手を繋いで、僕に笑顔を向けながら、仰向けに倒れて、それで……」

「最期の最期に仲間外れにされた、ってわけか。なら、今すぐ飛び降りればいいじゃねぇか」

「そんなこと出来ませんよ! あんな……あんな友達の姿を見たら、怖くて、恐ろしくて……!」

「見たのか。落ちた後のザマを」

「……はい」


 ついさっきまで涼しげな表情だった青年は、その面影もなく顔色を青白く染め上げ、ブルブル震えながら語る。


「悪夢のようでした。友達が、一瞬で人形みたいになって。あんな姿を見て、飛び込める人なんていません。それも、ひとりでなんて……絶対に無理です。でも、生きていたっていいことは無い。どうしたって、僕には地獄しか待っていないんです」

「なるほどな。でも、これだけは言えるぞ」

「え?」


 そう言って、男は柵をひょいと飛び越え、青年の肩を掴んで笑顔を向けた。


「結果的に、お前さんは生きてたんだ。だったら、次に死ぬ機会が来るまで生きたらいい」

「……話、聞いてましたか? 僕には、もう――――」

「未来は、自分で創るものだぞ」


 顔を背けようとする青年に、男は語気を強める。


「いいか。お前がこれから受けるであろう罰は、お前の罪だ。それはちゃんと生きて償え。でもな、ここで死んだら罪は償えない。どうやったって償うことが出来ないんだ」

「そんなの、生きてても同じことでしょう?」

「分からねぇだろ。未来なんか誰も知らねぇんだから。いつか許される時代が来るかも知れねぇ。一発逆転できるかも知れねぇんだ。それを、こんなところで捨てるんじゃねぇよ」

「……詭弁ですよ。どうせ、僕なんか……」

「分かんねぇだろって。俺だって昔は色々やって来たけど、今はこうしてどうにか生きてる。こういっちゃ何だが、それなりに幸せだ。だからさ、そんな若いうちに諦めんなよ。他の五人の分まで、精一杯生きて、償って、幸せになれば良い」

「そう、でしょうか」

「ああ。立派に産んでもらった両親に顔向けできるように、ここから巻き返せ。ビリッケツからテッペン取ったら、カッコいいぜ?」

「……そう、ですね」


 男の励ましに、ようやく顔を上げた青年はぎこちない笑顔で、彼に言う。


「頑張って、みようかな。生きて、生き抜いて、償って……幸せを、つかみ取る。僕を守ってくれた、みんなの分まで!」

「よく言った! それでこそ漢ってもんだ」

「そ、そうかな。へへっ」


 男に肩をバシバシと叩かれ、青年は照れ臭そうに、涙を拭いながら頬を赤く染める。

 ただ、豪快に笑った男は彼の肩を叩くのをやめ、笑顔のまま彼の両肩を掴んだ。

 そして、男は言い放った。


「ま、普通ならここでハッピーエンドなんだろうけど……残念だったな」

「え?」

「さようなら」


 戸惑う青年の両肩を握り、男は力任せに彼をビルの外へと放り投げた。

 落ちてゆく彼は、驚きと恐怖の入り混じった表情のまま、数秒もしないうちに地面へと叩きつけられ、すぐに動かなくなった。

 一方、屋上の男は落ちていった青年を冷たい目で見下ろし、抑揚のない声で呟く。


「悪いな、坊主。受け子がちゃんと死ぬよう監視しろって言われてんだ。恨むんなら、俺を恨め。それで気が済むなら、それでいいさ」

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