脳髄の底

きめら出力機

・没供養

「過ぎゆくコンドル特急」

 闇が深まり、静寂が生まれた空の下。

その廃駅では年に一度、コンドル特急が停まる。

地元の者も寄り付かない上にチケットが無ければ乗る事ができない為、コンドル特急が停まったとしてもその駅の辺りは嫌に静かだった。

ガコガコと年月と共に染み付いたサビを落とす様にドアが開くと、中から出てきた女が駅を見渡す。

ホームには老若男女の様々な人間がいて、皆一応にして際立った女の姿を逸らさず見ていた。

後ろで一本に結ばれた長い黒髪は艶やかに光り、添乗員らしいスーツを着ている事もあって体のラインがくっきりと分かる。

「今年は六人ですか。思っていたより長旅になりそうですね」

女はそう言うと鉄道内に引き返し、中で待ち構えた。まるで、「乗るのであれば、覚悟の上で」とでも言っているようだった。

一人、また一人とコンドル特急は飲み込んで行き、とうとうホームにいるのは泉田光一だけになった。

光一は浮かない顔で額の汗を拭く。その汗は暑さからではなく、これからの不安からくる物だった。


──本当に存在しているとは思わなかった。これがコンドル特急というものか。


 光一がコンドル特急を知ったのは兄が死んだ日の事であった。

去年のちょうど今頃、光一は上京していた兄に呼び出されていた。「これで最期になるだろうから」という文言が光一の重い腰を上げたのだ。

兄は光一が最も嫌う「自分が不幸な者だと思い込んでる人間」であった。

だから、辛い幼少期を支えてもらった義理があったとしても中々会おうとは思えないのだ。

「最期か、そりゃ良い。そこまで追い込まれているのなら今までの恨み辛みも冥土に持って行って貰うとするか」

血を分けた者に対して思う言葉では無かったかもしれないが、顔を突き合わせるまでは光一は本気でそう考えていた。

そして、新幹線に乗って東京まで向かい、駅前の喫茶店で兄と対面し、後はそのまま何事も無く終わるはずだったのだ。

だが、兄は酷く憔悴しきって「今までありがとう。お前が居なければ、俺は本当に……」なんて言ってくる。

ふん、いつもの如くサンドバッグにするのかよ。光一は「うん」と気の抜けた返事を繰り返した。

兄はそんな光一の反応などどうでもいい様で、延々と自身の事について語り始めた。

まだあるのか、なんて思うが最後の話なので聞いてやる。そうして暫く話を聞いていたら急に何の前触れも無くとんでもない事を言われた。

「……コレはコンドル特急のチケットだ。俺はもう希望すら要らない……せめて、お前に。コンドル特急は夢を叶えてくれるんだ」

兄はそれから涙ながらにコンドル特急についての説明を始めた。

曰く、コンドル特急は乗った者のどんな理想だって叶えられる場所まで送り届けてくれる鉄道らしい。

けれど、その辿り着いた場所からは二度と出られない。兄の最後の忠告を聞いた途端、光一は顔を歪ませたが、兄は気にも留めなかった。

「俺はこのコンドル特急に乗って、お前と母さん……幸せな家族が暮らす場所まで行こうとした。だけど、そこで出会う母さん達とやって行ける気がしないんだ。……以前の俺なら、それでも、とやれただろうが、今の俺には無理だ。もう頑張りたくないんだ……良いじゃないか、それで」

兄はうわ言のように懺悔を繰り返しながらチケットを光一に手渡す。光一は受け取りたくない気持ちを堪え、渋々受け取った。

兄はそれを見届けると心底ほっとした様にして去って行ったのだ。光一に取って、それが兄を見た最期になる。

そして今、光一の前にはそのコンドル特急のドアが鎮座していた。そのドアは光一が入るのを大口を開けて待っている。

「行くか……何も兄の為じゃない。僕の為……そう、他でもない僕の為だ」

光一にはやりがいのある仕事があった。それどころか不自由のない恋人さえ存在した。

言ってしまえば、光一は兄と違って「自分が幸福な人間だと分かっている人間」であった。しかし、それでもドアへ向かう脚は止まらない。

光一は自分が“幸福だと言われる存在”である分かっていたが、自分の幸福については見当も付かなかった。

幼少の頃、兄はいつも嬉しそうに本を開いては、光一に得た知識をひけらかしていた。

それは光一にとって冷たい家庭から離れられる唯一の瞬間であった。──あの人はいつも不幸だと口にしていた。正直鬱陶しかったよ。

しかし、彼は光一の幸福であったし、光一もまた彼の幸福だった。悔しいが、光一には自分の満たし方が分からないのだ。だから、知りたかった。

コンドル特急に乗ったら分かるのだろうか?光一は身震いしながら駅のホームに足を踏み入れた。

「あら、乗らないと思ってました」

左を向けばさっきの女が居た。胸には「鷹野」と書かれた名札を付けている。彼女の名前なのだろう。

「鷹野さんには僕がそんな恵まれた人間に見えてたんですか?」

「いえ、臆病者なのかと思いまして。……にしても、目の付け所が随分良いみたいですね」

「そりゃ、まぁ……僕も若者なんで。それじゃ、席につかせてもらいます。……えっと、四列目の……」

鷹野は光一が座るのを確認すると、こほんと咳払いをして、息を吸い込んだ。

〈発車致します〉……彼女の落ち着いた声が車内に響くと、コンドルはゆっくりと動き出した。そうしてあっという間に駅を出て行ってしまった。

「ふん、行くがいいさ。コンドル特急……僕等のふざけた願いを載せて……」

窓に映るのは深い闇だけだったが、それがかえって心地良かった。薄らと光った見知らぬ道をコンドル特急は過ぎてゆく。

もしかすると、この列車はこの世ならざる所を連れて行く列車なのかも知れない。

手を置いた窓際に反射した、向いの席の親子を見て光一は「だとすれば、非道い列車だな」と鼻で笑った。


 没理由

pixivの連載を優先していたから。

面白くなる予感があんまりしなかったから。


コレを書いていた時は見下しがちな光一が成長していく鷹野さんに惹かれるみたいな感じを想定していました。それでエンディングでは、もう一度鷹野さんに会う為に「コンドル特急が次に停まる場所」を願うみたいな感じ。



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