第3話 しっかり者は学校で

 5月になり、放課後の学校の廊下を晴河は歩いていた。窓の外は青空が広がり、水が降ってきそうな気配は見えなかった。


「おい、天使あまつか!」

「なんですか、生徒会長……?」


 眼鏡を掛けた短髪の男子高校生が、晴河に声を掛けた。笑顔で人が良さそうである。晴河は少々顔を顰めつつ、振り返った。

 快活そうであり、真面目にも見えるこの男子高校生は、暁烏あけがらす黒磨こくまといい、晴河が通う西入生高校の生徒会長を務めている。圧倒的支持率によって、会長の座を勝ち取ったやり手である。


 しかしながら、人当たりのよい晴河はこの人に出会うと顔を顰める。基本的に彼がこうして笑って晴河を呼ぶ時は、仕事を押し付ける時という相場が決まっている。

 ただでさえ晴河は天気雨の日だけに会う友達がいるというのに、たまにこの仕事のせいで会えなかったりもする。

 要するに、かなり恨みが溜まっていた。


「いや、例の如く……」

「帰ります」

「待て待て待て!」


 黒磨が声を掛けるなり、晴河は身を翻してさっさと歩き出した。しかし、眼鏡の彼はいつの間にか晴河の進行方向に先回りして晴河の動きを止めた。

 晴河の眉間のシワは益々深くなっていた。


「いやな、俺もお前に仕事を押し付けて悪いとは思ってるんだぞ?! 俺にだって仕事はあるんだ! しょうがないだろう?!」


 その顔で更に黒磨は焦ったように弁解を始めた。

 晴河は表情をピクリとも動かさずに、それを聞いていた。寧ろ顔の黒い部分は増えていっているようで、黒磨の顔を伝う汗の量はそれに比例していった。


「い、いや……あのな? ……」

「僕もね、会長の仕事の多さはわかってますよ? でもね、限度があるんですよ。他の委員会の仕事、回してこないでもらえます? 僕もね、委員長なんですよ、実は。二年なのに、委員長してるんです。僕よりも下の立場に先輩がいるんです。分かります?」

「は、はい……」


 晴河は言い訳を試みる様な黒磨に言い聞かせるように畳み掛けた。立板に水と言わんばかりの言葉の物量に、黒磨は必死で耐えた。


「なのに、他の委員会の仕事が生徒会で一番年が低い僕に回ってくるんですよ? 不思議じゃないですか?」


「も、申し訳ございません……」


 黒磨はいつの間にか廊下の上で正座をしている。


「僕ね、おかしいなって思うんです。生徒会の執行部って結構人、いますよね? なのに一委員会のトップの僕に回ってくるのって、どう思います?」


「面目次第もございません……」


「いやいや、全然そんなことを聞いているわけじゃないんですよ。欲しいのは謝罪の言葉じゃなくて、このことについての反応なんですよ」


「そ、それは……酷いことだと、思います……」


「ですよねぇ! ――それで、どうします?」


「何とか、他の人を探します……」


 晴河の圧に黒磨は押し負けた。この半年、晴河によって生徒会は支えられているということを、生徒会長である黒磨が最もよく分かっていた。

 であると同時に、黒磨は分かっていた――


「――それで、頼むはあるんですか? 無いですよね」

「……その通りだ……っ!」


 晴河から飛んできた言葉に、ぐぅっと顔を歪めて黒磨は返した。

 そんな様子の黒磨に、一つ息を吐くと、晴河は黒磨に近寄った。


「良いですよ、やりますよ」

「い、いいのか?!」

「このままだと、会長が過労死しそうなので」

「た、助かるぞぉ……」


 黒磨は泣きそうになりながら、ひとつ下の後輩に感謝した。


 この学校の生徒会は、会長や副会長、会計等が所属する執行部と複数の委員会から成り立っている。委員会は委員長と副委員長によってそれぞれ纏められている。そしてその委員長達が生徒会と密に連携することで成り立っていた。

 

 それ故に、生徒会執行部の仕事の出来なさは身に沁みて知っていた。

 副会長は二人いるが、片方は弓道部で全国に出場しており生徒会どころではなかった。更に二年のほうの副会長は遊び人で、碌に仕事はしていなかった。

 他に会計と監査、庶務がいるが、どれもやる気が感じられなかった。


 他の委員会のトップもどれも似たようなものである。

 したがって、この黒磨と晴河によって数多の仕事は回されていた。


 どちらも気苦労が絶えず、彼等の周りの友達は少し同情していた。


 二人は生徒会室に移動していた。複数のデスクとそれぞれにノートパソコンが置かれていた。すぐそこには延長ケーブルが置かれ、いつでも充電出来るようにされている。


「それで、何をするんですか?」

「すまんがこっちの書類をデータ化してくれるか? 今度の生徒総会でスクリーンに映すらしい」

「それじゃ、スライドを作れば良いんですね」

「理解が早くて助かる……」


 黒磨は目頭を押さえて染み染みと呟いた。対する晴河の目は一層冷たくなっていた。


「要点さえ押さえればいいですよね」

「全部移せとは言わんよ」

「分かりました」


 晴河の確認に、黒磨は目を瞑って答えた。晴河は頷き、ノートパソコンの電源を入れた。




 ――一時間後。


「んんっ……!」


 晴河は伸びをすると、ふっと息を吐いて力を抜いた。少し疲れてしまった肩を叩くと、手のひらで目元を覆った。

 そして、そのまま黒磨への報告の為に口を開いた。


「スライド、終わりました……」

「お、すまんな。助かった。ありがとうな」

「別に良いですよ」


 黒磨の感謝の言葉に、晴河はあっさり返した。

 黒磨は晴河の疲れた様子を見受けると、椅子から立ち上がった。


「コーヒーでも淹れてやろう」

「ミルクだけ入れてくれます?」

「それぐらいならな」


 黒磨は給湯器に近付き、近くに置いてあったスティックタイプのコーヒーとマグカップを手に取った。

 そのままお湯を入れて、マドラーで掻き混ぜる。そして、冷蔵庫から牛乳を取り出し、注ぎ入れた。再びマドラーで混ぜ、晴河に手渡した。

 手慣れた雰囲気だ。


「ありがとうございます」

「いや、これぐらいならな」


 晴河のお礼を、これまた黒磨もあっさり返す。


 晴河がふぅふぅと息を吹きかけて冷ましていると、いつの間にか黒磨もカップを持ってコーヒーを飲んでいた。

 やはり、手慣れている。


 かなり低くなった夕日を眺めて、黒磨はコーヒーを啜るように飲んだ。


「今のメンバーで動くのもあともうちょっとなのか……。早いな」

「そんなに今のメンツで働いてましたっけ? 僕の方が全体的に頑張ってましたよね?」

「それを言うな」


 黒磨の呟いた言葉に、目敏く晴河は反応した。厳しい晴河の弁に、黒磨は半笑いだ。

 的確に的を射ていて、どうにも黒磨は返しづらい。


「俺も、こうなるとは思ってなかったんだよ。仲が良い奴らで固めたのが悪かったかな……」

「いや、僕でもそうしますよ。会長がメンバーを選べるならそうなっちゃいますよ、誰でも」


 黒磨のボヤキは哀しげな雰囲気で、晴河はフォローに回った。

 実際、自分でもそうしてしまう所が想像出来たからだ。

 黒磨は晴河からの言葉に、顔だけの笑みを浮かべると、カップの縁を指で弾いた。


「そうか……。お前が生徒会長になる時は、しっかりと働いてくれる奴を選べよ」

「え、僕なるつもりないんですけど……」


 そう言って黒磨は微笑みかけたが、晴河は驚いた顔をして固まるだけで、黒磨の助言らしき言葉は一ミリも届かなかった。


「…………」

「…………」


 二人だけの生徒会室に沈黙が降りた。黒磨は晴河をじっと見つめ、晴河は愛想笑いを浮かべる。


「はぁ〜……残念だ」

「何がですか?」

「お前が生徒会長になる気がないってこと」


 急に黒磨は溜息を吐いた。晴河は驚きながら尋ねると、黒磨は晴河を指差してそう言った。

 生徒会長は少し淋しそうに、笑う。


「お前だったら、安心して任せられるんだよな。今の副会長はあれだし……」

「あいつはしょうがないですよ」

「他の委員長副委員長メンバーも任せるにはどうもあと一歩分足りない」

「僕だったら、その一歩が足りていると?」

「そういうこと」


 晴河が少し眉を上げて黒磨を見ると、黒磨は頷いて晴河を見た。

 その表情は何処にも巫山戯ている様子は感じられず、茶化している訳では無いことは晴河にも分かった。


「俺はお前が生徒会長になることを期待してるよ。お前ならやってくれるってね」


 黒磨は柔らかい笑顔で晴河にそう言うと、コーヒーをぐいっと飲み干した。しかし、何かがあったのか、顔を顰めた。恐らく、コーヒーの粉が下に溜まっていたのだろう。洗面所に向かい、カップを洗った。

 すると、カバンを持って帰り支度を始めた。


「俺等もそろそろ帰るぞ。完全下校時刻が近い」

「そうですね」


 黒磨の促しに、晴河は頷いて床に置いておいたカバンを手に持った。


 薄暗く、足元は見えづらいが、歩けない程ではない。時間がかかってしまったようだった。


 校門で黒磨と分かれると、家路に就いた。


 眼鏡の生徒会長の柔らかい笑顔を思い返すと、やけに晴河は律貴と音鈴に会いたくなった。

 話したいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る