やり残した一つのこと

@Hel1os

第1話

僕は人だった。普通に生きていた普通の人だった。だがそれはもう昔の話らしい。僕は一つのこと以外何も覚えていない。しかしそれを明確に覚えているわけではない。そんな状態を覚えていると言っていいのか甚だ疑問だが一つくらい残っていてくれよという願望がこのような言い方をさせたのだろう。たった一つのことを思い出せずに気づけば40年が過ぎていた。命の尊さをここで学んでからこの40年という月日の間にどれだけの生命が誕生しどれだけの生命が消えてしまったのだろうと空いた3つのベッドを見ながらふと考える。その40年の月日で僕にはシワやシミができ、声もうまく発せず、立つことさえできなくなっていた。そういえばこの間、立つことはもう不可能と言われてしまった。医者はまだ治る希望は十分にあると言っていたのに。自分の体はもううまく動かすごとができず身体中にいる小さい奴らから身体を少しずつ奪われていくのだろう。どうしようもない人生だったなと思う。だがその一方でこんな人生も悲劇のようで気持ちがいいものだとも思う。どうしようもなかったんだと。悲劇のヒロインを気取ってどうしようもない気持ちに浸る60代のおじさんは外から見たら気持ちが悪いだろう。それでもいいさ。どうせそんな僕を見る人はいないんだから。ドアをノックする音が聞こえる。看護師だろうと思い目を背けると大昔にきいた声が病室で静かに空気中に置かれた。殺したはずの妹だ。

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