第15話 四人でお話し

 数時間前。

 例の山で例の木を発見したとき、ヨライネはその木に目を奪われた。


「ありました?」


 そうエドに問われても、しばらくの間黙ってその木を見つめていた。

 別に木自体が魅力的だったわけではない。ヨライネにとって、その木の位置があまりに衝撃的だったのだ。

 ヨライネは、もしも木を直接見ることができたら何かわかるかもしれないな、くらいにしか考えていなかった。

 まさかその木が、流星群の見える空とは反対側に立っているだなんて考えもしなかった。


「ねえエド」


 たっぷりとその木を見つめたのち、自身の記憶の正確さを確かめる目的で、彼女は言った。


「エネスちゃんのしるし、どんなだったか覚えてる?」





「現実逃避、ですか」


 エネスは微かな笑みを浮かべたままうつむき、


「それはどういう、意味ですか?」 と言った。

「そのままの意味だよ」


 ヨライネはささやきかけるように、そう答えた。膝の上に置かれたエネスの握り拳が、僅かに力む。


「説明を」


 ジゼが言った。その眼差しに威圧感は感じられなかった。

 ヨライネは一つ呼吸を挟んでから、それに応じた。


「エネスさんは、自分の罪と限界から目を背けていた、ということです。そのことへの無意識的な自責が、木の形になって魔術に現れたんです」


 場が静まり返る。ただ今度は静寂という感じではなくて、単純にヨライネの言葉の続きを待っているようだった。

 エドも一切口を挟まない。ヨライネの横でちまちま紅茶を飲んでいるだけだ。

 ヨライネは続けた。


「私たちは今日、エネスさんが流星群を見たという現場に行ってきました。少し外れた場所でしたけど、確かにそこに木はあったんです。流星群が映える空とは反対側に、それは生えていました。つまり、流星群に背を向けることで見える位置、ということです。おそらく、当時流星群を見ていたエネスさんが、その空に背を向ける瞬間があった。その時目に入った大きな木が、記憶の底に残っていたのでしょう」


 真剣な表情になりすぎないよう努めてヨライネは言う。今の内容を聞いて、

 だからどうした。

 と、赤の他人なら思うだろう。しかしエネスとジゼは、何も反論しない。


「流星というのは、古代魔術の創始に関わる重要な現象です。この時、お兄さんのイヴァンさんは、それをエネスさんに教えたとか。幼い兄がもっと幼い妹に教えるんですから、魔術に対する凄まじい熱量がうかがえます。しかし、エネスさんのお部屋には、古代魔術に関する資料が一切置かれていませんでした。いえ、エネスさんのお部屋だけでなく、この邸宅のどこにも、古代魔術の本はありません」


 ヨライネは、この部屋の書架を軽く見回した。

 空の書架。

 別室の書架も、エネスの部屋から本を持ってくるまではほとんど空だった。

 つまり、かつてこの邸宅にエネス以外の住人がいたとする、その人間もまた古代魔術に触れていないことになる。

 ただこれだけならあり得なくはない話なのかもしれなかった。


「でも、メルースト家の皆さんは古代魔術が専門のはずなんです」

「なぜそう考えたのですか」 ジゼが問い返す。


 ヨライネがそう思った理由は、エネスの退学を疑ったのと同じ理由だった。


「もしもご家族がかつてこの邸宅に住んでいて、現代魔術専門の研究をしていたなら、エネスさんが解除式を見たことがないなんてことは、考えられません」


 イヴァンと父親は魔術師だと言っていた。現代魔術の専門家なら解除式なんて使えて当たり前だし、二名のうちどちらかと一緒に住んでいたなら、それを見たことがないなんてことは考えづらい。


「加えて、ジゼさんはそもそも解除式を知りませんでしたよね」


 ジゼは黙る。

 エドが解除式を披露したとき、これはなんだと聞いてきたのはジゼだった。


「あなたは屋敷全体を把握できるほどの感覚を持っているとおっしゃっていました。おそらく耳も良いんですよね。それなのに、解除式のことを知らなかった。つまりジゼさんがメイドをするようになってから、ご家族が解除式を使ったり、解除式について話たりしたことはないということです。お母様も魔術の研究者だったのにも関わらず」


 ヨライネのタメ口を見抜くくらいだ。もしメルースト家が現代魔術専門なら、解除式についての話くらいは聞いていなければおかしい。

 そもそも、幼いイヴァンが古代魔術に強い興味を持つことができた環境が、メルースト家にあったということなのだ。彼と両親が古代魔術の人間であることは間違いない。

 古代魔術は使ったら違法なので、父親とイヴァンが実際に使用していたのは現代魔術なのだろうが、古代魔術の研究を現代魔術の使用に活かす人間はよくいる。


「話を戻しましょうか」


 ヨライネはそう言って、口元だけで笑った。


「古代魔術一家であるはずのメルースト家から、どうして古代魔術の資料が無くなっているのか。それが重要なんです」


 肩をこわばらせた状態で、ずっと下を向いているエネス。彼女の瞳が微かに揺れた。

 ヨライネもまた、一度下を見た。膝の上で組み合わせた自分の両手を見て、それから視線を上げた。


「エネスさん。あなたは——」

「待ってください」


 ジゼが声を上げた。あららげた。いつも冷たいだけの彼女の声に、焦りの感情がはっきりとうかがえた。


「場所を変えさせていただけませんか」


 数秒、ヨライネはジゼを見つめる。ジゼの表情には、さほどの変化はない。しかし雰囲気は随分と様変わりしていた。


「いいですよ」 と、ヨライネ。

「では——」

「ただし、もしもそれがという意味であれば、了承できません」

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