第42話

 ビシィ、と音が出るのではないかと思わせるほどに得意げに指を前に持って行っては分かるカルミア。

 そして、クルゥウと静かに音を鳴らすカルミアの腹。その音を聞いて、そろそろ夕食の頃合いになるのか、とぼんやりと思いながら自身の腹を押さえるカルミア。どこか重苦しい雰囲気が、彼女の腹の虫一つで呆れた空気へと変わった。


「……ふふ。カルミア殿の腹は、どんな時計よりも正確かもしれませんね」

「体内時計というものがあるほどですからね。ああ、そうだ。一つ、言い忘れていたことがありました」


 カルミアは、少しだけ照れくさそうに自身の腹部を撫でて告げてから、真剣な表情に戻して凛々しく、それでいて楽しそうな雰囲気を出しながらサリュストルをまっすぐに見て笑って言葉を迷いもなく告げていく。


「どれだけ自分を見失いそうになったとしても、まぁ、見失ってしまったとしても。たった一つ、裏切ることだけはできないものを用意しておくのが生きるコツです。悩みに悩んで出した答えを、私は否定しませんし誰かの正義は誰かの悪です。細かいことに気にし過ぎると、結構生きづらいのが人間の世界なので、そこはほどほどに息抜きをしましょう。……では、私はお先に食堂へ行かせていただきますね!」


 そそくさと鼻歌を口ずさみながら、部屋から出て行き食堂へ足早に進んでいくカルミア。

 そんな彼女の後ろ姿を、唖然としながら何か吹っ切れたように口元に手を添えてクスクスと楽しそうに笑っているサリュストルと、欠伸をしながら自身も食堂へ行く準備を始めるクフェア。


「妖精の瞳は、思っていることが全て見透かされてしまう瞳……でしたっけ?」

「伝承では、真偽が分かる程度の瞳だが。もしかすると、お嬢さんには内心思っていることまで見えちまってるのかもなァ」

「そえは、ある意味では便利かもしれませんが……。なんだか、灰色の世界を歩ているような感じがしてしまいますね。気遣いでさえも、嫌なものに見えるだなんて」


 寂しそうに紡がれていくその言葉を耳に入れながらも流していくクフェア。

 二人も部屋から出ては、扉を閉めて歩き出す。二人が出た刹那、ガチャリと施錠がされる。カルミアが事前に施している魔術が作動したのだろう。特に驚くこともなく、二人は足を進めていく。

 クフェアは、ふと何かを思ったのか視線は前に向けたままとなりを歩いているサリュストルに向かって話しかける。


「処刑人先生には、あんのか?」

「え、何がでしょうか?」

「お嬢さんが言っていたような、絶対に裏切られないものってやつ」

「……ッ! ふ、ふふ。さて、どうでしょうね?」


 彼の言葉に少しだけ何かを思い出したのか、はぐらかすように笑って言葉を濁す。

 その行動だけで、ああ、あるんだな、と理解したのか満足そうにクフェアは目を伏せて「そうか」と短く告げた。彼の職業柄、何か抱え込むことはあるのだろうということをクフェアなりに思っての言葉だったのかもしれない。

 その後、食堂で夕食を終えてカルミアは現在、サリュストルから渡された日記を頬杖をつきながら静かに読んでいた。


「本当に、アルクさんは何処までを知って推測していたんでしょうか、ええ、本当に」


 ここに滞在をしてまだ数日。

 たったの数日であるが、起こった出来事はあまりにも濃くて深い。たった数日の間なのかと疑うほどに濃すぎる数日だった。おそらく、通常であればこの数日でここまで暴くことは出来ていないだろう。

 監獄に乗り込んだり、多くの軍人に囲まれてでも突破を出来たのはひとえにカルミアとクフェアの実力ありきだった。

 静かにページを捲る。

 日記に書かれているのは、とりとめのないその日の出来事やシャルル=アルクが当時思ったことが書き連ねられている。時折、口角を上げて笑いながら読んだり、また時には眉をひそめてはしかめっ面で読んでいたり。

 傍から見れば、百面相が面白く映ることだろう。


「全てが明るみになって、解決したら。そうですね、花でもあげるとしますかね。少し違うかもしれないですが、弔い合戦のようなものですし」


 クスリ、と絵になるように微笑む。

 カルミアの正体を知らない者が見れば、思わず頬を染めて息を飲んでしまうほどの美しく絵になるその光景。


「本当に、色水のように染め上げたような薔薇ですね。貴族の流した血を吸って咲いた、罪の薔薇。……本当に、人間のように感情的になって、死にたくないと、何も悪いことはしていないと声を大にして命乞いをすれば良かったのに」



 一人の貴族が、処刑台へと送られて「死にたくない」「何も悪くない」と泣きわめき命乞いをした。私は、何故だか接辞が凍り付いたように目の前が真っ暗になり、途端にその場から逃げ出したくなった。

 情けない話だが、息子に任せてその場を去ってしまった。

 貴族全員が、彼女のように泣きわめき、命乞いをすれば良かったのだ。

 そうすればきっと、事の重大さに気づき、恐怖政治ももっと早くに終わっただろうに。



 そっと日記の文字をなぞり目を閉じる。

 当時、旧友は何を思い、何を感じ、この言葉をしたためたのか。カルミアは、それらを理解することはまだできない。それでも、思考し理解しようとすることは出来る。答え合わせはもうできないとしても、この一件で考え考えを全てが終わったときに旧友に話しに行くのも、またいいかもしれない。

 カルミアはぼんやり、そう考えてはベッドに寝転び目を閉じた。



「さてさて。今日は、楽しい皇帝謁見の日ですよ。ほらほら、早く起きてくださいよぉ」


 翌朝、いつかの光景と変わらない光景がクフェアにあてがわれた部屋で行われていた。

 ただ一つだけ違うことを述べるのであれば、カルミアの姿が違うだけだ。身長が百五十あるか、ないかの低身長だった彼女の身長は誰がどう見て百七十センチ近くはあるほどに高くなっている。また、淡い桃色の髪の毛はダークブラウンになっており、ふわりと巻かれていた形跡一つもなく綺麗なストレート。

 優し気な印象を与える大きな瞳は、まるで猫のように吊り上がっており可愛らしいというよりも美人という言葉がしっくりとくる姿になっていた。

 揺さぶられ続けて、軽く舌打ちをしてからクフェアは目を開けて上半身を起こしては椅子に座って長い足を優雅に組んでいるカルミアを心底嫌そうな表情で見た。


「プライバシーはねぇのか」

「おこちゃまレベルの施錠魔術なのが悪いですよ。それに、善は急げというじゃないですか。ほらほら、早く」

「だから、アンタは人の話を聞くところから始めろ。それにしても、随分と飲む前とは正反対の姿になるんだな。この感覚で言えば、俺は低身長の童顔に変わるのか」

「クフェアさんの見た目は、かっこよくていかにも肉食系っていう感じがしますもんね。推測通り、華奢な美少年の仕上がりにしていますとも。私と並べば、姉弟と言っても違和感はないと思います。まぁ、そういう設定で行きますし」

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