第35話 嬉しいね、弥生さん
「よいしょ……」
葉月が台の上で背伸びをし、本棚の上段に手を伸ばす。
しかし、お目当てと思われる本には届きそうになかった。
そんな葉月の下へ行き、何も言わずに本を横から取る。
「これでいいか?」
俺が訊ねると、葉月がゆっくり俺の方に頭を向け瞬きを二、三回。
「あ、九条良介くんだ~」
「なんでフルネーム?」
あまり苗字と名前を両方言う人はいないと思うんだが。
「どうしてここにいるの~?」
「いや、俺も本を借りにきて」
「そうなんだ~。九条くんが本好きなんて意外だな~。いや、やっぱり意外じゃないかもな~」
「そ、そうか」
やはり葉月はマイペースだ。
掴みどころがないと言ってもいいかもしれない。
「あ、それ私が取りたかった本だ~。もしかして取ってくれたの~?」
「あぁ」
「ありがと~! なかなか届かなくてね、どうしようかなって思ってたんだ~」
ゆったりと葉月が話す。
顔はニコニコしていて、なんだかこっちまでにやけそうになってしまう。
しかし、俺がにやけたら気持ち悪いだけなのでグッと堪え、葉月に本を渡す。
「助かりました~」
本を受け取ると、葉月が俺の方に一歩踏み出す。
しかし、台に乗っていることを忘れていたのか……。
「わっ!」
葉月が俺の方に倒れてくる。
そしてそのまま俺の胸にぱさっと収まった。
――むにゅ。
葉月の大きな胸が押し付けられる。
それにやけに甘いにおいがするし、体全部が柔らかいし。
密着した今、なんだかとてつもなく“いけないこと”をしている気分になった。
「大丈夫か?」
「あ、ごめんね~。ありがと~」
葉月が俺から離れ、本を抱きしめながらにこりと微笑む。
なるほど。
葉月がこれまで爆発的にモテてきたのが容姿だけじゃないことがよくわかった。
この天然さと、無自覚な距離感の近さ。
それが多くの男子を落としてきたのだろう。
「九条くんって優しいんだね~」
「どうも」
「ねぇ九条くん。九条くんはどんな本読むの~?」
「どんな本か。あんまりこだわってはないんだけど……強いて言えば好きなのは“神田ひるま”かな」
「え! 神田ひるま好きなの~!!!」
「は、葉月?」
葉月が顔がくっつきそうなくらいに近づいてくる。
実際、またしても豊満な胸が俺の胸板に押しつぶされていた。
なんだこの感覚は……。
「私も大好きなんだ~神田ひるま! これも神田先生の作品で~」
「そうだったのか」
「神田先生のどういうところが好きなの~?」
「言葉に優しさがにじみ出てるところとか、登場人物が個性的なところとか……」
「私と一緒だ~!!!」
パーッと顔が明るくなる葉月。
さらに距離が近づく。
「あのね~! 私は……」
「葉月、近すぎ……」
「それで~、もうすっごくよくてさ~!」
「えっと……あはは」
その後、俺はほぼ密着した状態で興奮気味の葉月と話したのだった。
予鈴が響き渡る。
その音でハッとした葉月はようやく俺から距離を取り、二人でおすすめの神田ひるまの小説を借りて図書室を出た。
「私はね~、特に第二作目の~」
未だに葉月の話は止まることを知らない。
正直俺も自分の好きな小説家の話を出来て楽しい。
これまでそういう友達はおろか、そもそも友達がいなかったわけだし。
「あれ? 珍しい二人組じゃん」
「あ、宮子ちゃんだ~!」
階段を降りると、ちょうど瀬那が階段を上がってきたところだった。
瀬那がギロっと俺のことを見る。
さすがギャル。
眼力が半端じゃない。
「聞いてよ宮子ちゃん~! 九条くんが神田ひるま好きで~!」
「神田ひるま……あ、北斗も好きな小説家ね」
須藤も好きだったのか。
あまりメジャーな小説家じゃなかったと思うが。
「ふーん」
瀬那がもう一度、俺を見定めるように見てくる。
「あんたが彩花の……」
「なんだ?」
「なんでも。ほら、早く教室行くよ」
瀬那がツカツカと歩いていく。
俺と葉月は大人しくその後ろをついていった。
♦ ♦ ♦
※葉月弥生視点
授業中だというのに、私の心は授業以外のことに集中していた。
それはさっき知った、とっても嬉しいこと。
まさか九条くんが私と同じ小説家が好きだなんて。
自分の好きなものが誰かの好きなものでもあることがとっても嬉しい。
さっき神田先生のことを話していた時だって、本当に心が通ってるみたいで楽しかった。
……実は最近、話ができてなかったし。
これまでは須藤くんと楽しくお話できていた。
それがすっごく楽しくて、とっても嬉しかった。
なのに思えば最近、全然須藤くんと神田先生の話ができてなかった。
それに今朝の須藤くんにはびっくりした。
前から思ってたことだけど……須藤くんって本当に神田先生のこと好きなのかな?
九条くんは本当に好きなんだなって目を見てわかったけど、須藤くんは……。
どうなんだろう。
実は最近、須藤くんのことがよくわからない。
……でも、九条くんが神田先生のことが好きだって知れてよかった。
あの時間がすっごく楽しかった。
それは間違いなく本当のこと。
「……ふふっ」
もっと九条くんとお話してみたいな。
前から“あれ”で気になってたけど……。
うん、これからたっくさん話しかけてみよう。
九条くんとならなんだか、仲良くなれる気がするしね。
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