私と彼女と略奪愛

小日向葵

私と彼女と略奪愛

 「彼女がいる人を好きになっちゃったんだけど、こういう時ってどうするべきなんだろうね」


 そう聡子は言った。

 正直な所、他人の恋愛模様なんぞに興味はない。むしろ横でただ聞いていたはずの菜々美が、身を乗り出しているのはなぜだろう。こういう話、好きなのかな。


 「それで聡子はどうしたいの?」


 なんでせっかくの自習時間にこんな話を聞かされているんだろう。そもそもなんで英語の教師が足の肉離れを起こして自習なんだろう。そしてどうして私は律儀に教科書を広げているんだろう。クラスの半分くらいは遊んでいると言うのに。だから私はため息交じりにそう尋ねた。


 「判んない。こういう場合って、やっぱり諦めるべきなのかな」

 「さあ、どうかなぁ」


 私は気の無い返事を返す。そもそもなんで私に相談をするんだろう。


 「あたしなら諦めないね」


 ふふん、と腰に手を当てて菜々美は言う。


 「諦めないでアタックするの?」

 「しない」

 「え?」

 「諦めないで、ストックする」

 「ストック?」


 一瞬、スキーに使うアレのことを思い出したけど、そんなわけがないよね。


 「つまり、その人が好きだっていう気持ちはこう棚上げしといて、次の恋を探す」

 「なんで?好きならアタックするんじゃないの?」


 聡子はいつの間にか菜々美の言葉に引き込まれているようだ。そして菜々美は私に後ろから覆い被さるように抱き着いて、ふっふっふと不敵に笑う。


 「例えばさ、そこでアタックして、彼の気持ちがこっちに向くとするでしょ?」

 「うんうん」

 「つまりそれは、今付き合ってる子を裏切ることだよね」

 「そうなる、のかな?」

 「そういうことする奴は、いつかまた裏切るよ。いつか他の誰かに行っちゃうよ」


 ぷー、と息を私の頭に吹き掛ける菜々美。熱い。


 「人の心っていうのは必ず動くものだけど、動いた時に本質が判るものなのよ。誘惑に対してどう反応するか、どう判断するか。倦怠期に浮気をするかしないか」

 「ふーむ」


 菜々美先生の講義に聞き入る聡子。背中と頭が重たいので、先生には是非どいて欲しい。


 「だからストックしておくの。そしてそいつが彼女と別れた時に再確認して、まだ好きだったらアタックすればいいし、もうどうでもいい感じならいらない」

 「なんかすごいね菜々美」

 「略奪愛ってさ、略奪するってところで満足しちゃうパターンが多いのよ。なにせいきなりクライマックスみたいなものだからね。男の方も、女に取り合われる自分に酔っちゃって、平静でいられたくなる。だから状況が落ち着くと、その場所には居心地が悪くなる」


 なんか説得力があるようなないような。しかし自信満々で言われると、確かにそうかも!みたいな気になってしまう。菜々美マジック。


 「つまり、誰かと恋愛してる時っていうのは気持ちが平地にいないの。高い山の上にいるようなものでね、それを略奪するっていうのは、さらなる高みに昇って行くことに近い。だから、そのテンションを維持するのが大変になるんだ」

 「ほほう」

 「だからまず、自分と相手の気持ちがフラットに、非恋愛状態にならないときちんとした関係を築くのが難しいってわけ」


 なんか正しいような事を言ってる。なにこの菜々美、初めて見るかも。


 「もちろん略奪した後にちゃんと関係を築ければいいんだけどね?でも自分がそのつもりでも、相手がどう思うかまでは判らないし」

 「ふーむ?」

 「略奪という要素が入ると、難易度が変に上がるのよ。付き合った後に、略奪以上の刺激があるならともかく、そこから先は普通甘々でしょ」


 甘々、と言いつつバ私の髪に顔を埋める菜々美。もうこの手の距離感について、疑義を持つクラスメイトは皆無である。喜ぶべきか悲しむべきか。


 「恋愛脳って、常に強い刺激を求めてしまうのさ。だから、スタートはなるたけニュートラルな方が、その後を考えると有利なんだよ。だからこそのストック」

 「そっかそっか、なんか判った。まぁあたしも略奪とかする気ないし、一時棚上げしてみることにするよ。冷静からスタートっていうのは、なんか判る気がするわ。隣の芝が青く見えるっていうのもありそうだし」

 「付き合うのがゴールだったら、突撃もいいんだけどね」


 むふー、と吐息も熱い菜々美。やめてって言ってもやめてくれないので、もう諦めている。


 「どうせなら末永くラブラブしたいわ」

 「むふふ、命短し恋せよ乙女」

 「あんたたちはラブラブで羨ましいわ」

 「そりゃもう、あたしと恵理は将来を誓った仲だからね」

 「何も誓ってないよ」


 ちゃんとブレーキは踏んでおく。別にいいんだけど、あんまり公言されるのは恥ずかしくて嫌だ。


 聡子が手を振って自席に戻って行った。あれで納得したのなら、まぁ良かったのかな。


 「でも菜々美、あんたそんなに恋愛経験なんてあった?」

 「うんにゃ。恵理が全て初めての人だよ」

 「言い方が……でもなんかさ、アドバイスが妙に具体的だったよね?」

 「そもそもね、他人にアドバイスを求める時っていうのはね、大体答えは決まってるんだよ。聡子最初になんて言った?」

 「諦めるべきかな、って」


 菜々美は私の机の上の教科書をぱたんと閉じた。


 「つまり、聡子は諦めたかったんだよ」

 「なるほど」

 「いったん棚上げ出来る程度の恋心なら、何もしないほうがいいんだよ」


 そうだろうな、と私は思った。菜々美はそういう所はすごく鋭い。


 「相談するっていうのはね、新しい意見とか厳しい意見が欲しいわけじゃない。自分の後押しをして欲しいんだよ」

 「経験ありっぽい」

 「恵理のこと睦美姉ちゃんに相談した」

 「そこか」


 あの明るい睦美さんの顔を思い出す。二人でいるのを見られるたびに、ものすごく楽しそうに笑うんだよなあの人。大体、相談したら大爆笑されたんじゃなかった?


 「それ以外は、姉ちゃんのレディコミコレクションこっそり読んで研究した」

 「え」


 ちょっと感心して損した。


 「読むなら略奪ものもいいけどさ、自分がするならやっばりそこそこに甘いやつ一択だよ」

 「そこそこ?」

 「そ。甘さも刺激も、続け過ぎると馴れちゃうからね。どうしてもそれ以上が欲しくなって、無理して全部駄目にする。だから、欲張りたい気持ちが出ないくらいにセーブするのよ」

 「それは何で研究したの?」

 「まんが日本昔ばなし」



 まあ、どんなところからも教訓を得ようとするのはいいことなのかも知れない。とかなんとか、菜々美の行動を肯定的に判断するくせがついてしまった。



 でもやっぱり、感心して損した。





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私と彼女と略奪愛 小日向葵 @tsubasa-485

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