かつて獣ありき

素うどん部

かつて獣ありき

 母方の祖母は結構変わった人だったらしく、何を考えているかわからないところがあった。さらにその地方でも特異な方言を使う地域の出身だからか、子供である母や伯父も、彼女の言っていることが理解できないことがしばしばあった。伯父いわく「宇宙人みたいな人だった」。


 そんな祖母が「ごえさん」などと呼んでいた獣がいた、そうだ。


 その正体は彼女以外の誰にもわからない。ときどき庭や裏山に来たらしいが、祖母以外に見た者はいない。

 子供たちが学校などから帰ってくると「今日も『ごえさん』が来てた」という意味のことを言う。よくわからないので、みんな空返事で放置していた。

「狸や野犬のことか」母たちはそうも思った。


 奇妙にも、何かがあると、時折その獣のせいにした……らしきことがあった。例えば庭の物が壊れた時。馬が妙に興奮した時。鶏が逃げた時。洗濯物が消えた時。祖母は「……『ごえさん』が来たから……」と言ったそうだ。だが前後が聞き取れないことが多く、いまいち文脈が取れないのだった。


 ――そういった話を、祖母の葬儀の後に聞いた。私は祖母と直接話す機会が殆どなく、改めて残念な思いをした。

 魯迅の有名な小説『故郷』では、「猹(チャー)」という正体不明の獣が言及されている。どうもそれを思わせる話だと言うと、親戚連はなんと受け取ったか「そんな上等なもんじゃない」と笑った。

「ばぁちゃんにだけ見えてたんだろう」と、幻視か、ごっこ遊びの類だと捉えていたのかも知れない。


 一家の住んでいた家は、祖母の死後は無人となった。長兄の伯父らが管理していたが老朽化も甚だしく、数年前に取り壊された。見納めから帰った母たちは、懐かしげに家のことを語らった。


 家が取り壊されただだっ広い空き地を見た彼女らは、やるせなさを誤魔化すためか、周囲の雑草を抜き始めたそうだ。

「それが、すぐもう穴だらけになってて」……動物が掘ったような真新しい穴が、そこら中に見られたという。

「イタチにしては大きい穴だった」

「狸かな?」

「だからあそこは里山よ」

「ああやって自然に帰っていくんよ」


 そんなような会話を脇で聞きながら、私は割り込まずにいれなかった。

「それって『ごえさん』じゃない?」

 母たちは「はぁ?」という反応を見せたが、ああそんなこともあったなと懐かしみ、思い出話に紛れてこの件は有耶無耶となった。以来、その獣のことは特に耳にしない。


 ただ、まったく別件だが……少ししてから、かの家の比較的近くに住んでいる伯母(次女)から聞いた話がある。


「あんた、怖い話とか好きだったね?」と伯母は教えてくれた。「この前ね、お化けを見ちゃったかも……」


 夜、伯母が自宅の庭に出ると、白い影のようなものが揺れていた。

 なんだかモジモジするように、左右に揺れていたそれは、伯母が現れたのに気付いたように、ぱっと「走り出した」。垣根をすり抜けたとしか思えない形で消えたが、その後ろ姿は、ぼろぼろの服を着た女の子のように見えた。


 そこから伯母は不思議なことを言う。

「ああ、姉ちゃんかなー、と思った」

 母らは6人兄妹だが、本当は7人いた。この伯母の上に1人、幼くして病没した女の子がいたとは、私もなんとなく知っていた。

 伯母は、記憶の片隅に残る姉の姿を、それに重ねたらしい。白い影の素振りは、まるで伯母の家に入ろうかどうか迷っていたようでもある。

 姉の夭折はそれこそ戦中くらい、私の母もまだ生まれない頃だ。写真すら残っておらず、詳細に知りようがない。

 ただ遥かな過去が伯母の中に蘇ったこと、それだけが大事に思われ、徒に踏み込むのに躊躇してしまった。話も、だから、それまでである。


 2つの話が関係あるかどうかは正直よくわからない。ひとつ言えることがあるとすれば、「ごえさん」はその辺りの方言で、「お嬢さん」という意味だそうだ。

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