祓い師の紅い女

月狂 四郎

第1話 闇バイトの顛末

 ――なんで俺は闇バイトなんかやってしまったんだ。


 脳裏をよぎる後悔。今さら遅い。目の前にはバケモノたちが多数ひしめいている。その姿は異形そのもので、ミイラ化した人間が呻きながら迫り来る画が目の前に広がっている。平たく言えば無数のゾンビに囲まれている。


 深夜にひと気のない車道で、俺は腰を抜かしていた。助けを求めようにも周囲は森林に囲まれており、人や車が行き来する気配もない。いや、こんな光景を前にして誰が俺を助けようと思うのか。


 車に乗って逃げるか。いや、すでにゾンビらしき奴らに囲まれている。今さら発車したところで、人垣のようなゾンビの群れに囲まれて終わりだろう。


 思えば軽率だった。


 新しいバイトを始めては辞めての繰り返しで、推しの地下アイドルにプレゼントをと思っていたところに今回の話が来た。


 運転さえ出来ればいいという条件で、依頼された物資を運ぶだけで50万円の報酬――無能な俺でも短時間で大金が稼げる。これはボロい商売だと思った。


 だが、そんなバイトが真っ当なはずがない。分かってはいたはずだが、目の前のあぶく銭ほしさに冷静な思考力が飛んで行ってしまった。


 指定された地方の某市まで行くと、素性の怪しい男から段ボールのでかい箱を受け取った。ドレッドヘアーで歯が黄ばんでいた彼も、おそらくは俺と似たような立場で何も知らされていない。


 まあいい。中身が何かなんて知らない方がいい。箱を受け取った俺は、依頼人である佐藤一郎(偽名)の指示を受けて、別の引き取り手に会うべく国道を走っていた。


 深夜に国道を走る。夜中だから、人は少ないはずだ。だが、こういう時に限ってアクシデントが起こる。


 深夜の国道で事故があった。進みがトロくさくなったので、脇道を通って迂回して行こうとしたのが運の尽きだった。


 事故現場を迂回するはずが、いつまで経っても国道へと合流する道が見つからない。


 嫌な予感がした。それでもハンドルを握り続けた。夜の田舎道。ふいに赤い光が視界に入った。拡声器の声が響く――そこの車、止まって下さい。周囲に他の車はない。明らかに俺が呼び出されていた。


 ガッデム。俺が何をやったっていうんだ。いや、考えてみたらいかにも道を知りませんという風に走っていたので、第三者からすれば明らかに不審車両だったのだろう。


「荷物を見せてもらえるかな?」


 嫌です、と言いたいところだが、余計なことは言わない方がいい。逃げようにも警察官は二人いる。一人なら逃走を図る手もあるが、二人がかりであればすぐに追いつかれる。ましてや、俺のようなヘタレでは。


「これは何かな?」


 ブツの段ボール箱を訊かれる。中身は知らないが、きっとロクなものじゃない。


「あー、えーと、それは……」


 正直なところ、俺自身も何が入っているかは知らなかった。その方が幸せだからだ。


 警察は一瞬だけ鋭い目つきになってから段ボールを開封する。その顔はみるみる険しくなっていく。


 中から取り出したのは、白い粉の詰まったパケットだった。


 ――オワタ。


 あれ、シャブやん。シャブですやん。


 テレビでよく見るような覚醒剤とまったく同じ見た目をした白い粉。それが箱から大量に出てきた。きっと末端価格数千万とかそんな量なんじゃないか。


「お兄さん、これは何かな?」


 警察官が笑っているんだか怒っているんだかよく分からない顔で訊く。


 ごまかせ。何とかしてごまかせ。言い訳は得意だろ、俺。


「あの、アレです。小麦粉です」


「こんなにたくさん?」


「あの、そう、アレですよ。パスタを作ろうと思ってたんで」


「しゃぶしゃぶじゃなくて?」


 警察官は半笑いで訊く。うまいこと言ったつもりなんだろう。少しも笑えなかった。


「まあ、検査したら分かるから」


 そう言って簡易的な検査キットを取り出す。検査薬で色が変わったらアウトとか、そういうやつなんだろう。小麦粉と言い張りたいところだが、化学反応で色が変わったらどうしようもない。


 ――これが闇バイトか。


 脳裏をテロップのようによぎる言葉。最悪だ。推しに会うどころか、しばらくは牢屋で過ごすことになるんじゃないか。現実逃避に幽体離脱したくなる。


 警察官が相棒にパケットを渡す。一人が検査で、一人が見張りだ。きっと俺は終わったのだろう。すでに脳裏には早送りの走馬灯が流れている。


 そんなことを思って夜空を見上げていると、どこかから低い呻き声のようなものが聞こえてきた。


「君、なんか言ったか?」


「いや、俺じゃないっす」


 呻き声はどんどん大きくなり、どこからかフラフラと人が歩いてきた。近所の住人が通りかかったのかと思ったが、そいつは俺以上に不審な動きをしていた。


 左右へよろめくように歩き、低い呻き声を出しながら近付いて来る。何か嫌な予感がした。暗いからよく分からないが、おそらく男だろう。


「あいつは職質しなくていいんですか?」


 俺がそう言うと、逃走でもすると思ったのか「いや、今は君の方が先だ」と返された。キットで薬物の陽性反応が出れば、あの不審者は何も訊かれずに放っておかれるのだろう。


 だが、不審な男はなおもこちらへと近付いて来る。俺を見張る警官はイラついていた。早く検査キットの結果を出せとばかりに離れた相棒を睨む。


「結果が出ました」


 相棒が意味ありげに頷いてから目で合図をする。アホな俺でも。どうやらアウトだったらしいことは分かった。


 これから署に連行される――そう思った刹那、真夜中に田舎道で絶叫が上がった。


 驚いた俺たちが振り返ると、検査を担当した警官が不審者の男に噛みつかれていた。首から血が噴き出し、その場に倒れ込む。


「何をしているんだ!」


 冷静さを失った見張り担当は、俺のことをほったらかして相棒の救助へと向かう。不審な男はなおも倒れた男の首筋を齧り続けていた。静かな真夜中に不似合いな絶叫がいつまでも鳴り響いた。


「やめろ!」


 警官は警棒で不審者を殴る。不審者は殴られても警官に齧りつくのをやめない。その姿は、どう見ても動物が人間を捕食しているようにしか見えなかった。


 ――これ、ゾンビじゃね……?


 見た目の特徴と言い、生きている人間を捕食するあたり、明らかに映画やゲームで見てきたゾンビの姿でしかない。どう見てもゾンビにしか見えなかった。


 ふいに周囲から無数の呻き声が聞こえる。警棒を持った警官も気付いたのか、その場に立ちすくして呆然としていた。


「これは……」


 あたりを見渡す。あちこちから注がれる、飢えた視線。


 俺たちの周囲はゾンビに囲まれていた。


「オワタ……」


 今度は口に出して言った。ホラー映画でよくこんな冒頭がある。


 俺たちの人生は、本日で終了と確信した。

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