第31話 26 嘘つきの言い分


 第一王位継承者である皇太子には、小さいけれど離宮が与えられている。

 王が崩御するか隠居でもしない限り後宮が空かないため、皇太子と将来的に皇太子妃が住まう場所として、後宮代わりに離宮が存在しているのだ。

 広さとしては、貴族が王都内に持っている別邸と比べても、こじんまりして見える。

 とはいえ、今でこそ王位争いを避けるために王族も死別や離縁による再婚は別として一夫一婦制ではあるけれど、昔は一夫多婦制だったために部屋数はそれなりにあるらしい。

 ――ということを、兄に案内されるまま入った離宮を歩きながら実感している。


(私が入っていいものなの……?)


 大理石の廊下を進みながら、動揺で心臓がバクバクとうるさい。

 本来ならば皇太子と皇太子妃とその子供、そして皇太子に仕える家令・侍従・侍女・護衛騎士しか入れない場所だ。王ですら、ここの人事には口を出せない。

 言わばここは兄の城であり、紛うことなきホーム。

 私にとっては、完全にアウェー。

 まさかそんな場所に通されると思っていなかったから、緊張しすぎて自分の指先が冷たくなるのを感じる。

 全体的に明るい壁紙や白を基調とした調度品は、私が暮らす場所より明るい印象を与える。若い皇太子妃が主に暮らすことを想定しているからかもしれないけれど、ちょっと兄と噛み合ってない気がして何とも言えない気持ちだ。

 それに加えて華やかな色調とは裏腹に、離宮の中は静まり返っているせいで、ミスマッチにも程がある。

 兄もあまり人を置きたがらないのか、護衛と最初に出迎えた家令以外に人の気配はあまり感じられなかった。

 侍女もいるはずだけど姿を見ないので、言い寄られるのが面倒だとでも思っているのか、表には出てこないらしい。全体的に人が影のようだ。

 おかげで最低限の人としか顔を合わせなくて済むのは有り難い。反面、静かすぎて逆に落ち着かない。自分の呼吸音すら気になって息が細くなる。


「ここだ。すぐに戻るから座って待っていてくれ」


 戦々恐々としながら随分と奥まで進んだところで、やっと兄が扉の一つを開いた。

 強張ってしまう顔でなんとか頷いて部屋に入った先は、先程までの明るい色調とは打って変わった様相だ。落ち着いた色と調度品で統一されていた。

 暖炉の前に3人ぐらい座れそうな長ソファ、その前にテーブル。壁際にはちょっとした書き物が出来る机と書棚、チェストもある。ソファが一つしかないことから考えても、応接間には見えない。


(ここって、まさか)


 動揺する私を置いて、兄は更に奥の扉へと消えていった。間取り的に、その奥は寝室なのでは?

 思い至って、顔から血の気が引いていく。

 人を呼ぶことを前提としている部屋というより、どう見ても自分が使いやすいように配置されているから……私室、なのでは?

 そうと気づき、クライブと二人残された状態で、ソファに座るのも憚られてその場に立ち竦んだ。


「殿下、座られてはいかがですか?」


 クライブが声を掛けてくれるけど、ここで堂々と「そうですか」と言って座れるほど厚顔無恥にはなれない。

 だって私がここに座ったら、兄はどこに座るというのか。まさか隣? そんな馬鹿な。

 困惑を隠しきれずに自分の眉が下がるのがわかった。


「ここは、兄様の私室なのではないでしょうか……?」

「ええ、そうです」

「私が入っていい場所とは思えないのですが」


 恐る恐る聞けば、クライブは「御本人が通しているわけですから、良いのではないですか?」と聞き返してきた。それに絶句してしまう。


(駄目に決まってるでしょう!?)


 クライブもなんで途中で止めなかった!? 実は私が敵意を持っていたらどうするつもり!?

 数ある部屋の中でここが兄の私室であることを私が第二皇子派にリークしたら、って考えないの!?


(……考えないわけはないだろうけど。そうされても余裕で反撃できる体勢を整えているってこと?)


 それにもしこの後で兄が離宮で狙われることがあったら、私が情報を流したってことになるわけで。それならそれで、私を押さえる口実が出来るということなのか。

 やっぱりまだ信用されているわけじゃないと、考えを改めるべきか。

 そこまで考えて、無意識に握りしめていた掌に冷たい汗が滲む。


(今まで狙われてきたという兄様なら、そう考える方が自然だけど)


 私が疑われて試されること自体は仕方がない。むしろ当然のことだと思う。

 だけどもし、万が一にだけど。この後で兄が離宮内にいる時に狙われたりしたら、私のせいにされるってことじゃない?

 問題なのはそこだ。私自身は本当にそんなつもりはないので困ったことになってしまう。

 それで謀反の意志有りと判断されたら、一巻の終わりだ。


「待たせたな。……なぜこの世の終わりのような顔をしている?」


 絶望に打ちひしがれていたところで、扉が開いて兄が戻ってきた。私の顔を見るなり、僅かに眉を顰める。

 その後ですぐにクライブへと咎める視線を向けた。


「誓って僕は何もしていません。アルフェンルート殿下は貴方の私室であることを気にされているようです」


 疑われるのは日頃の行いのせいだから自業自得とはいえ、視線を向けられたクライブが批難されるより先に口を開いて弁解した。

 それを聞いて、兄はなるほどと言う代わりに頷いた。私の前まで来ると、やんわりと手を引いてソファに促される。

 抵抗するのもおかしな話なので大人しく腰掛ければ、当たり前のように兄が隣に座った。


「前にも言ったが、もし何かあってもそれはそう判断した私の責だ。気にする必要はない」


 私の心を見透かしたみたいに言われたので、驚いて目を瞠った。しばし躊躇って、罪悪感に耐え切れずに口を開く。


「……自分で言うのもなんですが、そんなに簡単に私を信用してしまってよいのですか?」

「簡単にではないと思うが。おまえは命を掛けて私を守り、私の信用を勝ち取ったのだ。アルフェが自分を卑下する必要はどこにもない」


 冷たい印象を抱かせる灰青色の瞳は、目元を僅かに緩ませるだけで優しく見える。


「それにそこまで私を想ってくれたアルフェを疑うほど、私の性根は腐ってないつもりだ」


 微かに苦笑しながら兄が私の頭を撫でる。その手の優しさに胸が詰まるのを感じた。


(だけど本当は、私は騙しているのに)


 いっそ、ここで言ってしまえばいいのだろうか。


(実は私は女なんです、って)


 そう口にしたら、この人はどうするんだろう。

 怒る? 呆れる? 騙していたのかと罵倒されるのは必須。たとえ命懸けで守ったと言う前提があったとしても、それとはまた別問題だろう。

 そもそも私がもっと早く告白していれば、兄は何度も命を狙われることにはなかった。責められるのは避けられないと思うし、私に向けられる怒りと憎悪は彼の当然の権利だ。

 それが怖くないと言ったら嘘になる。考えただけで逃げ出したい気持ちになって、胸の奥が委縮して縮こまる。

 私には何もできなかった、なんて言い訳にもならない。

 確かに、私は無力な子供だった。気づいた時には、私の与り知らないところですべてがお膳立てされていた。王族であっても、この身を取り巻く圧倒的な権力の前では、幼い私の発言権など無いに等しい。

 それにもし正直に女だと告白出来たとしても、周囲の大事な人達を守れる力がない。だから仕方ないのだと自分に言い訳をして、口を噤んできた。

 でもそれは、自分が怖い思いをしたくなかったというのも多分にある。

 現実から目を逸らして、いつかなんとかなるかもしれないと馬鹿な期待を持って逃げ続けた。

 人見知りが激しくてまともな人間関係も築けない愚かで病弱な皇子を装い、王位に就くべき存在ではないと思わせようとしただけが精一杯の抵抗。けれど今では、逆にそれが操りやすい存在だと周りに思わせることになってしまった気もする。

 そして結局どうにもならずに、ここまで来てしまった。


 ――これは、私の罪。


 もしここで正直に告白したとしても、国を謀り、謀反の意志有りと判断されたら待っているのは処刑か国外追放、よくて生涯幽閉。

 国外追放ならマシだと思うかもしれないけれど、他国とて謀反を企てた王族など自国に置きたくはない。保護したと思われてこの大国から反逆の意図ありと見られるわけにもいかないから、他国に踏み入った時点で殺されると思った方がいい。

 どう足掻いても、先のない未来。

 ただそれが私だけで済めばいい。だけど私の周りは、それ以上の処罰を受けるだろう。そう考えると、下手に動けない。

 そして今も、私は結局何も言えずに口を噤む。


「ありがとうございます、兄様」


 泣きそうになるのを抑え込み、罪を吐き出しそうになる口を閉じて、嘯く事しかできない。

 困ったように笑って誤魔化すだけが、今の自分に出来る精一杯。

 兄と仲良くなったらどうにかなるかも、なんて最初は考えたりもしたけれど。こうして信用を得られるにつれて動けなくなっていく。騙していたのだと、言い出しにくくなっていく。

 向けられた好意と信用を踏み躙っているのだと知られて、軽蔑と憎悪を向けられることが怖くなった。

 全てを後回しにした結果、余計にこじらせることになるのは簡単に想像がつくのに。

 それでももし今動いたところで、得られるものは「ようやく罪を告白できた」という自己満足感だけだ。

 これまでせめてもの私が守ろうとしてきたものは、すべてこの手から零れ落ちてしまう。

 ……そう思うと、怖くて一歩も動けなくなる。


「失礼します。お茶をお持ちしました」


 その時、扉をノックする音が響いた。

 「入れ」という兄の許可を聞いてから扉が開く。先程出迎えてくれた家令と思わしき人物がティーセットを手に入ってきた。

 本来侍女の仕事だと思うけれど、兄の私室で、かつ相手が私だから彼が来たのだろうと見当がついた。

 後ろに綺麗に撫でつけられた髪は灰色がかった銀色で、瞳は青みを帯びた黒。肌は白く、30代前半ぐらいに見えるのでもしかしたら第一王妃と共にこの国へ来た人なのかもしれない。

 兄の家令ともなれば私を知らないはずがないのに、先程出迎えられた時もほんの一瞬目を瞠っただけだった。すぐに平然とした顔に戻っていた。

 間違いなく第一皇子派なのに、私に対する敵意が感じられない。本当に敵意がないわけではなく、感情を綺麗にシャットアウト出来ているだけだと思うから、ちょっと怖いものがある。

 冷たい印象で隙の無い立ち居振る舞いからは、いかにも兄の家令という感じで緊張する。けれど目の前で紅茶をサーブする手つきは柔らかくて優雅だ。


「こちらはダージリンですのでストレートがおすすめですが、ミルクやお砂糖はどうされますか?」

「そのままで結構です。ありがとう」


 私に問いかけてくる声も思ったよりは穏やかだ。さすがというべきか。

 目の前でサーブされたものを受け取り、愛想笑いだろうけれど微笑まれたので微笑み返した。受け取ったカップはちゃんと温められており、手に包むと少しほっとする。

 口に含めば、苦みもなくまろやかな口当たりで喉の奥へと落ちていく。あたたかいものが胃に入ると、ざわめいていた胸の奥が落ち着いていく気がした。


「おいしい」


 嫌がらせで恐ろしく不味いお茶を出されてもおかしくなかったのに、今まで飲んだことないぐらい美味しくて思わず感嘆が漏れた。

 使っている茶葉自体は私のところとそう変わらないだろうから、純粋に技術の差なんだろう。メリッサも上手だけど、この人は更に上をいっている。


「ありがとうございます」

「淹れ方を習いたいぐらいです」


 律儀にお礼を口にした家令にうっかりそんなことまで口走ってしまった。それぐらい美味しかった。


「アルフェが習いたいのか?」

「はい。お茶ぐらいなら自分で淹れることもありますから」


 隣に座る兄から突っ込まれて、まずかったかと思いながらも頷く。

 視界の端では家令は表情を変えていなかったけれど、クライブが怪訝な顔をしているのが映った。

 確かに私の立場で、自分でお茶を淹れるのは珍しい事だとは思う。

 でもメリッサを休ませる時は、第二王妃から派遣される侍女を部屋に入れるのはあまり好きではないので、お湯だけもらって自分で淹れている。おかげで私の部屋の食器棚には、ずらりと茶葉が並んでいたりする。

 そもそも食器棚が王族である私の自室にある時点でおかしいとも言えるのだけど。


「アルフェは変わっているな」

「自分で出来ることは自分でしたいだけです。その代わり出来ないことは遠慮なくやってもらっています」


 メリッサがサボっていると思われてはいけないと、慌てて弁明しておく。

 この体の都合上、あまり人を寄せ付けられないのだから自分でやることが多いのは仕方がない。

 それに元々それぐらいなら苦でもなかった上、前世の記憶を取り戻してからは殊更そう思う。むしろ人にやらせてふんぞり返っているのは、根っこが小心者だから心苦しい。

 人に尽くされるのは、自分がそれ相応のことを成し遂げられるからだ。返すものもないのに尽くされても、肩身が狭く感じられる。

 兄は「そうか」とだけ口にした。感情が読めないので、どう思っているのかはわからない。


「ところで本題だが」


 じっと灰青色の瞳に見つめられて心臓が早鐘を打った。

 わざわざこうして呼び出すなんていったい何の用だったのかと、コクリと喉を嚥下させて次の言葉を待つ。


「先程アルフェの名義でじゃがいもとオリーブオイルと胡椒が届けられたわけだが、あれは一体どういうことだ?」

「もう届いたのですか」


 呼び出された用件がそのことだったことにも驚いたけれど、思ったよりも早く届けられたことにも驚いた。


「それは兄様からいただいたさくらんぼのお礼と、先日クライブに世話になったので、そのお詫びも兼ねて頼んだものです」

「じゃがいもとオリーブオイルと胡椒が?」


 胡乱な目を向けられて苦笑いをしてしまう。

 胡椒は高価なものとはいえ、砂糖よりは安価だ。じゃがいもとオリーブオイルに至っては庶民でも簡単に手に入る。

 いきなりそんな物が私から届いたら不審にも思うだろう。私でもそんなものを贈られたら意味がわからなくて首を傾げる。


「本来は私のところで作ったものを持ってくるべきなのでしょうが……兄様の料理人に作ってもらった方が確実だと思いますので、材料だけ頼んでおいたのです」


 私のところを通して、万が一にも毒を混ぜられたりしたら困る。だから生産元から直に兄の元に届くようにしておいたのだ。

 それなりの名の知れている業者に頼んだので、毒の混入など一切許さないだろう。


「兄様は甘いものはあまり好まれないでしょう?」

「……まぁ、そうだな」

「あの材料で甘くないお菓子が作れるのです。あとは塩が必要なのですが、それは兄様のところにもありますよね?」

「普通にあるだろうな」

「でしたら材料はそれで揃いました。紙とペンをお借りしてもいいですか?」


 お願いすればすぐに家令が言ったものをすぐに持ってきてくれる。お礼を言って受け取り、紙にレシピを記していく。

 文章だけではわかりにくいかと思い、数か所イラストも描き込んでから兄に渡した。


「調理法です。もし料理人がこれでわからないようでしたら、また聞いてください」

「ずいぶん絵がうまいな」

「そう、ですか?」

「見てわかりやすい」


 レシピに目を通した兄から、思ってもいなかった指摘を受けて息を呑んだ。

 描いたものは、簡素なフライパンとじゃがいもの切り方の図だ。そこまで褒められるほどの物は描いてない。

 だけどふと思い出す。

 前世ではアニメや漫画で絵を見ることが当たり前だったから身近なものだったけど、ここではあまり絵そのものを見る機会がない。王宮の壁に飾ってある有名な絵画か、子供向けの絵本ぐらいだ。

 もし簡単にでも絵を描けと言われても、慣れていなければ難しいかもしれない。

 思えば、私もこちらに生まれてから絵を描いたのは初めてだった気がする。オタク同士の交流で絵チャをしていたから、無意識にフライパンとじゃがいもと包丁レベルなら描いたけれど。


(これは突っ込まれたらまずい!?)


 でもデフォルメした簡単なものだし。よく本を読んでいる私なら絵に触れる機会も人より多いわけだから、描けてもおかしくない。はずだ。

 内心焦る私に気づいた様子はなく、「これはなんという菓子だ?」と話題が変わったので助かった。


「じゃがいもを極薄く切ってオリーブオイルで揚げて、塩と胡椒を振りかけて食べるポテトチップスという異国のお菓子です」


 にこりと微笑んで言い切ったけど、勿論そんなものはこの世界にない。あるかもしれないけれど、いまのところ書物で読んだ覚えはない。

 これは料理がさほど得意だったわけではない私でも出来た、SNS上に流れてきた情報を見て作ってみた酒のつまみ的なやつである。

 ここでは揚げ物は油で炒めるといった感じだけど、これなら似た感じで作れるはず。たぶん。きっと。

 塩だけでもよかったけれど、貴重な胡椒を使うことで高級感ある菓子に早変わりである。以前は百円ぐらいで買えた庶民のおやつだったのに。

 

「ただ油を多く吸うので、食べ過ぎには注意してください。太ります」

「わかった。気をつけよう」


 未知の食べ物だから想像がつかないのか、私の忠告に眉を顰めながら頷く。でも多分、若い人は好きな味だと思うんだ。


「これで二人へのお返しとさせてください」


 これで兄へのお礼とクライブの詫びも清算できたことになるので、一つ肩の荷が下りた。

 とりあえず今はひとつひとつ、地道に出来ることから片付けていくしかない。

 ……そんなに時間が残されていないことは、わかっているけれど。


「それはいいのだが、先日のさくらんぼは見舞いも兼ねているが、アルフェの正当な報酬だぞ?」

「その『報酬』の意味がわからないのです」


 これで話は終わりだと思っていたのに、兄にそう言われて首を傾げた。

 カードにも書かれていたけれど、何の報酬なのかが記載されていなかったので未だに不明だ。食べてしまったから返せと言われても返せないけれど、ずっともぞもぞしていた。


「少し前に、アルフェがさくらんぼの出荷量がおかしいと言っていただろう?」

「……そのようなことをクライブに言った覚えは確かにありますけど」


 随分前のことに思えるけれど、そこまで前でもないので思い出せた。

 さくらんぼの出荷量が半分になっていて、今年は食べられなさそうで残念だとぼやいた記憶がある。

 兄から見舞いの品で贈られてきたからその話が伝わっているのだろうとは思ったけれど、それが報酬になる意味がわからない。

 眉尻を下げて窺えば、兄が「アルフェにそう言われたから、あのあと調べたわけだが」と教えてくれる。


 4分の1は確かに品種改良の関係で減っていたが、残りの4分の1は国を通さずに勝手に隣国に流そうとしていたらしい。

 別に輸出すること自体に問題はないが、その売上分の税を逃れようとしていたのだという。すなわち不正行為、所得隠しというやつだ。

 たかがさくらんぼとはいえ、名産地の高級品種。しかも他国にとっては珍しい果物ということだから金額も上乗せされていて、かなりの額になる。


 ――そう説明されて、空いた口が塞がらなかった。

 領主が代替わりしたばかりだとはいえ、まさかそこまで馬鹿なことを本当にしているとは思わなかった。

 せめて徐々に減らしていけば、老木になった影響で収穫量が減った等も考えられるからまだバレないものを。

 どうしてそう簡単にバレる真似をするのか。以前の仕事でもそういう輩が稀にいたけれど、なぜバレないと思えるのかがわからなくてこめかみを押さえる。


「ですが、それほどなら私以外も気づかれていたのですよね?」

「生憎とさくらんぼにそこまで執着したのはアルフェだけだった。一応おかしいと思われる場合には調査も入るが、そこも抱き込まれたらこちらには問題として上がってこない」

「……」

「だからあれはアルフェが取り返した分の一部というわけだ。正当な報酬だと言ったのはそういう理由だ」

 

 まるで私がとっても食いしん坊みたいに思われて複雑ではある。だけど結果として役に立てたのならよかった。

 このご時世、調査に行くにも移動手段は馬か馬車、ましてやそこまで人数も割けない。

 カメラがあるわけじゃないから証拠写真が撮れるわけでもないし、調査員も過剰に接待されれば、うやむやにしてしまうことも多いのだろう。

 ましてや相手は領主。貴族の力を振りかざされれば、一介の調査員なら泣き寝入りも有り得る。

 そしてそういうところから、国は軽んじられて腐っていくのだ。

 しかし今回は王族である兄が直に指示を出したというのなら、話は変わってくる。周囲への見せしめも込めて、かなり派手に掃除してきたのではないだろうか。

 どこでも多かれ少なかれしていることだろうから、次回の農作物出荷状況一覧はちょっと面白いことになるかもしれない。


「そういうことでしたら、理解できました。多少なりともお役に立てたのならよかったです」

「ああ、とても助かった」


 褒めるように微笑みかけられて少し顔が熱くなるのがわかる。

 素直に嬉しいと思ってしまう。

 体面的な氷の微笑とは違って、ちゃんと人の温かみを感じられる微笑みはくすぐったい。それに少し見慣れてきたとはいえ、怖いほどに美形の兄である。狼狽えるなという方が難しい。


「アルフェは将来どうなりたい?」


 そんな中、不意にそう尋ねられて自分の中で時間が凍り付くのを感じた。

 微笑み返したまま自分の顔が固まる。背筋に冷たい汗が滲んで伝う。


(将来どうなりたいか、なんて)


 生きていたいです。

 理想は平民に身に落とされて、出来れば王都で普通に働いて、本来の性別で、自分と周りの命の心配をすることなく生きていきたい。

 それが出来ないなら、他国に留学して失踪……でもこれだと国際問題に発展した挙句、戦争になりかねない。却下だ。

 いっそここが弱小国なら大国の人質という名目で出ていけるけど、逆の立場だからその手も使えない。


(どうする? どう言えばいい?)


 頭の中でまとまりなく思考がぐるぐると回る。あまり黙っているのも怪しまれる。フリーズしているのは私だけで、他の人の時間は普通に進んでいっているのだ。

 模範解答を上げるなら、「兄様のお役に立ちたいです」辺りなことはわかっている。たぶん、それを期待されているんじゃないかというのもわかる。

 わかるけど。


(それは、言えない)


 ただでさえ謀っている身で、更に出来ない約束までしたくない。そこまで嘘を吐きたくない。

 嘘つきなことが今更だというのはわかっている。そう言っておいた方が、自分の為だというのもわかっている。わかっているけれど。

 最低でも自分が定めた一線から先を、これ以上越えたくはない。


「……兄様の、邪魔にはなりたくないです」


 なんとか絞り出せたのは、以前言ったものと似た言葉にしかならなかった。

 だけどまっすぐに兄の目を見据え、それだけは嘘じゃないと言い切れる。


「私はこの通り体も弱いので、大したお役には立てません。もし私が邪魔だと思われたときは、遠慮なく国外にでも出していただいてかまいません」


 できれば性別がバレて国外追放という形じゃなくて、可愛い子には旅をさせよ的だと有り難い。

 案外これはいい案なんじゃない!?

 咄嗟にそう口にしたわけだけど、私が他国を回ればその国の情報も手に入るし、たまにしか帰らないから性別も誤魔化しがきくだろう。これがいい。これでいこう。


「アルフェは外の国を見たいのか?」


 見たいのか、と聞かれるとわからない。

 ただでさえ自国も広く、それも自分の目で見たわけでもないので、更に外の国と言われても知識として知ってはいても未知なる世界だ。恐怖はある。

 一瞬狼狽えたのがわかったのか、兄が小さく溜息を吐く。

 失望の滲んだその嘆息から、私の伝えた意志が嘘っぽいと伝わってしまったことがわかった。

 ぎゅっと拳を握りしめて、自分の手の甲に爪を立てた。痛みが冷静さを取り戻させてくれる。


「……私は弱いので、将来のことと言われてもうまく思い描けないのです」


 それは「体が弱いから考えられない」と言っているように聞こえたと思う。

 本当はそういう意味ではなかったけれど、そこに嘘はないので真摯に届いたはずだ。


(だって生きていられるかどうかも、わからない)


 未来なんて、考えられない。想像するすべてがどれも悪夢か夢物語という両極端さで存在していて、どちらも現実として思い描けない。

 兄の淡い灰青色の瞳が真意を探るように静かに私を見つめる。


(私の中に、兄様が求める答えなんてない)


 その瞳から目を逸らせば、自分でも掴めない未来に苦い笑みが浮かんでくる。


「私はただ普通に働いて、私も周りも毎日平穏無事に暮らしていけたらと、そう思っているだけなのです」


 結局、そんな情けない言葉しか口に出せなかった。

 だけどそれが偽らざる本音だ。誰とも争いたくない。ただ誰もが送っている普通な日々を暮らしていきたいだけ。


「小さいでしょう?」

「いや、それでいいのではないか? 平穏無事というのは案外難しいからな。私もそれがいい」

「!」


 自嘲して言えば、けれど思ってもみなかった言葉を投げかけられた。驚いて顔を上げれば、なぜか苦笑している兄と目が合う。

 そこには落胆も嘲りもなかった。責める色も見えなかった。


(そんなことで、いいの……?)


 私は王族としてふさわしい言葉なんて、言えなかったのに。

 ――それで、いいの?

 まじまじと見つめれば、不意に手が伸びてきて私の頭をぐしゃりと撫でる。


「多分アルフェは私が知っている中では一番賢くて、どうしようもない馬鹿だろうよ」

「……褒められている気がしません」

「褒めてはいないからな」


 憎まれ口に憎まれ口で返されて、だけどそれがなんだか許された様な気がして、思わず小さく笑ってしまった。


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