第18話 15 ゴー! レッツゴー!



 いつもの勉強を終え、午後に迎えに来たセインと一緒に宮の外へと出た。

 ただし出る時に衛兵にどこに行くのかは必ず問われる。今日は馬に乗って王宮内を歩くだけだろうから後ろ暗いところはないのだけど、元の部分に疚しい気持ちがあるので緊張はしていた。


「アルフェンルート殿下が王立図書館に行かれてみたいとのことだから、馬でお連れする」


 だけど私が言うより早くセインが答えてくれたので、助かってしまった。

 衛兵は驚いた顔はしたものの、城に併設される形で立っている王立図書館は内部からでも行ける場所だ。問題ないと判断したのだろう。一応お忍び扱いになるけれど、一般にも公開されているとはいえ書物は貴重だから衛兵の数はかなり多くおり、危険の心配もない。

 城内とはいえ、図書館は後宮から内部を通って行こうとするとかなり遠回りになってしまう。おかげで怪しまれることもなく、「いってらっしゃいませ」と快く送り出された。

 むしろ、私を見る眼差しは微笑ましくすらあった。普段、引きこもっている皇子が図書館とはいえ、外に出ることに安心したのかもしれない。

 

「こっちだ。外套は羽織っておけ」

「わかった」


 セインは侍従だが護衛としての役割の方が強いので、二人だけで移動できるから助かる。二人きりになるといつも通りの口調の戻り、促されるまま渡された外套を羽織った。

 しばらく後を付いて歩いていくと、厩舎の前へと辿り着く。


「ちょっと待ってろ。動くなよ」


 暫し待てば、セインが黒栗毛の馬を1頭連れて現れた。

 間近に見上げて息を呑む。一言だけ感想を言うなら、馬を舐めていた。

 目の前までやってきた馬の予想外の大きさに慄いて、思わずたじろぐ。


「こんなに大きいんだ……?」

「武装した騎士を乗せて余裕で走れるぐらいなんだから、当たり前だろ」


 何を言っているんだという顔をされたけど、よく考えたら間近で馬を見たことはなかった。馬車も人生において数えるほどしか乗ったことがなかったし、思えば前世でだって動物園で遠目に見た記憶しかない。ポニーに乗ったことはあったけど、いま目の前にいる馬を見ると全然大きさが違う。目線の高さからして違う。

 落馬したら骨折や、場合によっては死ぬこともあるという。これだけの大きさを前にすれば、それはやけにリアルに感じられた。


「やめるか?」

「……乗るよ」


 セインは慄く私を見て、それ見たことかと言わんばかりだ。やめるなら今だと言いたげだったけれど、覚悟を決めて宣言する。

 私は、馬に、乗る!

 乗ってみれば案外平気かもしれない。こんなところで怯んでいる場合じゃない。


「そうか。それならあまり怖がるなよ。頭のいいやつだから、こっちの感情が伝わる」


 なるほど、努力しよう。馬は特にこちらに興味を示しては見えないけれど、乗せてもらう立場で怯えているのも失礼である。


「今日はよろしく」


 そっと声を掛けて、そうっと触れてみる。そんな私をセインは面白いものでも見る目で見つめている。馬の反応は相変わらずないけれど、不満そうでもない。大人しそうな馬であることにほっとした。

 乗りやすいよう、踏み台の場所にまで連れてきてもらって、先に乗ったセインが後ろを示す。


「二人乗りするんだ?」

「手綱は握らせないって言っただろ」


 なるほど、こういう意味だったのか。

 確かにいきなり一人で乗れと言われたら途方に暮れていた。セインの判断は有り難くある。

 手を借りながらセインの後ろに並ぶ形で跨れば、視界の高さに慄いた。思った以上に高い。心音が速度を上げる。


「フードも被っておけ。かなり土埃が舞う」

「わかった」

「それから、ちゃんと掴んでろ。万が一にも落ちたらただじゃすまない」

「わかった」


 恐ろしいことを言われて息を呑む。言われるままに外套のフードを被り、セインの腰を両手で掴んだ。すると肩越しに振り返ったセインが冷ややかな目を向けてくる。


「落ちたいのか」

「掴んでるよ?」

「それだとアルの場合は落ちかねない。気づいたら後ろにいなかったとか、冗談じゃないからな」

「!」


 私の場合、というのが非常に引っかかる。だけど文句を言う隙はなかった。

 セインの腰を掴んでいた手を掴まれる。引っ張られて、腰に両腕をしっかり回す形を取らされた。


(近い近い近い!)


 これは掴むというより、しがみついている形になってない!?

 体がぴったりとくっついて、服越しにも体温を感じる。心臓が急激にバクバクと早鐘を打ち出した。こんな風に人と密着することなんて平生ではありえないことなので、どうしたらいいのかわからずに固まったまま動けない。

 相手は兄弟みたいなものとはいえ、兄弟でもここまでくっつくことはないだろう。メリッサとはダンスの練習に付き合ってもらって抱き合うことはあるけれど、あれは女同士だから意識することじゃなかった。


(でもセインはまだ14歳で……私にはアラサーだった頃の記憶もあるわけだから!)


 そんなに意識することじゃない。必死に脳内で動揺するなと自分に言い聞かせてみるものの、今の私にとっては初めてなのだ。緊張するなという方が無理。腰に回した手の先、自らの手を掴んでいる自分の掌には緊張で嫌な汗が滲む。


「行くぞ」


 こちらの動揺には幸い気づいていないのか、セインは素っ気なく言うと馬を歩かせ始めた。

 乗馬がどういうものなのかを体感する貴重な機会だと思うのに、周りを呑気に見渡す余裕はない。密着した体から心音が伝わってしまうんじゃないかと気が気じゃなくて、話しかける余裕も持てない。セインも無言なことがより一層、緊張を誘う。

 ただ思ったより馬は揺れたので、振動で心音が誤魔化されてくれないかと必死に頭の中で祈るばかりだ。


(フード被っててよかった……っ)


 城内は道が整えられている上に速度も出していないので、セインが言うほど埃は上がってこない。でも羞恥で顔は熱くなっているから、隠せてよかった。

 いや、血の気が引いて青くなってるかもしれないけど。さっきから赤くなればいいのか青くなればいいのか、自分の中でも混乱してどんな顔色をしているのか判断がつかない。

 どちらにしろ人に見られたい顔色ではないだろう。フードがあって本当によかった。

 馬が歩く度に振動が響き、自分の体も揺れる。すぐに慣れるかと思いきや、しがみついていないと結構怖い。平気だと言って離すこともできない。


(情けないな。……それにしてもこうしてみると、セインは本当に男の子なんだな)


 私と違い、慣れているというのもあるだろうけど平然としている姿は頼もしく感じる。しがみついた体は硬くて、メリッサとダンスをしている時の感触とは全然違う。一見すると痩せて見えるのに、私と違ってか弱く見えないのは、筋肉が引き締まっているからなのかもしれない。見えないところで努力しているのだろう。

 顔を上げて前を見れば、癖のある黒髪の毛先が振動で揺れている。髪の色と質さえ除けばよく似ているというのに、きっと私と並んでも与える印象は全く違う。

 この先はきっともっと差が開いていって、たぶん私はその度に焦りを募らせる。


(セインが攻略対象だったなら、もう少し手は打てたかもしれないのに)


 フードの下、見えないのをいいことに唇を噛み締める。

 あの乙女ゲームの攻略対象にセインはいなかった。おかげでセインがこの先どうなったのかを知る手がかりがない。


(なんで肝心なところで役に立たないんだろ)


 ゲームの顛末を知っていること自体がズルをしているようなものだから、今ある情報だけでも満足すべきだとはわかっているけれど。

 でもこうして差を自覚すれば、自分はどうしたってこのままではいられないのだと思い知らされる。その度に泣きたいような、叫びたいような衝動に駆られる。はやくはやく、と焦る気持ちだけが湧いてきて空回りしそう。不安な気持ちが抑えたくて、ぎゅっと自分の手を握る手に力が込もる。


「ここが王立図書館だ」

「!」


 気持ちが沈んで落ちていきそうになったところで、不意にセインが声を掛けてきた。顔を上げれば、私がいつも行く図書室とは比べ物にならないほど大きな建物が建っている。

 王宮の外観と合わせているせいだろう、荘厳な白い石造りの建物は図書館とは思えない。それそのものが観賞に耐えうる美術品のような美しさだ。異国の観光地として通用しそうである。

 この王宮で生まれ育ってきたけれど、こうして図書館の外観を自分の目で見るのは初めてだったりする。


「すごい。想像してたより大きい」


 それまで気持ちが沈みかけていたのに、現金なものでワクワクしてきてしまう。図書館の外観の衝撃が強すぎたせいもある。抱えていた気持ちを吹き飛ばすほどの驚愕に取って代わられたのがよかったのかもしれない。

 どんな本があるんだろう。一般にも公開されているのなら娯楽向きな本も置いてあるかもしれない。

 馬に乗るのが目的だったはずなのに、気持ちが図書館に持っていかれる。


「入るのはまた今度だな」


 しかし、セインはこちらの期待を裏切って図書館の前を素通りしていく。


「そんな……」


 思わず文句を言いたくなってしまう。

 確かに今日は馬に乗ることが目的だったけど、言い訳に使ったのだからちょっとぐらい寄ってくれてもいいのに。時間だってまだ十分あるのだし。

 少しぐらい、と強請ろうとしたところで肩越しにこちらを睨んできたセインに「ちょっと黙ってろ」と低めた声に言われた。

 その言葉と視線の鋭さに気圧されて口を噤む。セインは大人しくなった私を見て、少しだけ口の端を吊り上げる。

 それはなんだかすごく、悪い顔だった。悪戯を企む子供みたいな。

 意味もわからずコクリと息を呑んだ私を見て、面白そうに目を細めた後、セインも外套のフードを被って前を向いた。

 そして降りることなく馬を進めていく。徐々に行き交う人が多くなる道には馬に乗っている騎士もいるので怒られることはないらしい。王立図書館の門まで来ると、一般人に混じって門を守る衛兵の横を平然と素通りする。


(え……?)


 基本的に衛兵は外から中に入る人に注意を払っている。中から外に出ていく人は、それほど気に掛けない。

 というか、今、門を出て……門、出ちゃったよ!?


「しっかり掴まってろよ」

「!?」


 言うなり、馬が速度を上げた。咄嗟にしがみつく腕に力を入れたものの、頭の中は混乱の嵐だ。

 門から出たら、そこはもう王宮じゃない。

 これってつまり、これってつまりっ、脱走って言わないかな!?


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