第16話 13 犬より猫派なんですけども


「一応、声はお掛けしたのですよ?」


 すると私の憮然とした表情を見て、クライブはきょとんとした後に苦笑いを浮かべた。


「ですがお気づきいただけなかったので、一区切りつかれるまで邪魔にならないようお待ちしていたのですが」


 そう続けられて、自分自身に絶句させられた。声を掛けられただなんて、全然気づいていなかった。

 昔から集中すると周りの音が聞こえなくなる傾向はあったけど、うっかりここでもやってしまって冷や汗が滲む。邪魔にならないように待っていてくれたというならクライブは気配を消していたのだろうけど、こんな図体の相手を気づけなかったのは完全にこちらの落ち度だ。


「それは、大変失礼しました」


 さすがにこれはこちらが悪い。素直に謝っておく。クライブは気分を害した様子もなく、緩く首を横に振った。


「それだけ集中されていたのでしょう。そういえば、おかしいと仰られていましたが、何がおかしかったのですか?」


 答えるべきか少し迷ったものの、隠しておくことでもないかと思い直して口を開いた。


「今期のサクランボの出荷量がおかしいと思っただけです。前年と比べて半分に落ち込んでいたので、気になって調べていました」

「サクランボの出荷量が落ち込んだから、貴族の系譜を見ていたのですが……?」


 なぜそんなものを、と顔に書いてある。

 途中を端折った状態で私が最後に確認していたことを見ただけならば、なぜと思う気持ちが湧くのはわかる。わかるけど、奇怪なものを見る目を向けるのはやめてほしい。適当に濁したかったのに、説明せざるをえなくなる。


「気候は例年通りで大きな害虫被害の報告もなく、なによりあれほどの名産地で収穫量が半減しているのに税の減免の陳情書も見当たりませんでした。それなら今回の出荷量が減っているのは、不測の事態が起こったからではないのだと想定します」


 ここまで一息で言えば、クライブは私を食い入るように見つめた。

 視線に居心地の悪さを感じつつも、一度説明を始めると途中でやめるのも気持ち悪い。私でも気づくことなのだから、専門的な部署では当然気づいているはずだと考えて、遠慮なく続ける。


「単純に数を減らすことで、高級品として売り出す方向性に変えたいのかと思いました。ですがあまりに急な転換に思えたので、領主が代替わりしたのかと確認していたのです。領主が変われば政策が変わるのは珍しくもないですから」


 不正があったと決めつけているわけじゃないので、あえてそこには触れない。

 素人にはわからない木の病気が流行って収穫できなかった可能性だってあるし、代替わりした領主がよくわかっていないくせにワンマンで暴走している場合もある。実際に現地で調査してみなければわからないことも多い。


「アルフェンルート殿下は、それを調べてどうなさるおつもりだったのですか?」


 クライブはしばし考え込んだ後、眉を顰めて怪訝な顔で問うてきた。少し喋りすぎてしまったみたい。内心では焦ったけど、それは表に出さないよう、にこりと微笑んでみせる。


「今年はあまりサクランボが食べられなくて残念だな、と納得します」

「それだけ、ですか?」

「はい」


 これだと私がものすごくサクランボ大好きか、よほど食い意地が張っていると思われそうだけど仕方ない。

 でも実際、こうして調べたところで子供の私にはどうにもならない話である。すべては推測の域を出ないし、所詮ただの暇潰しでしかない。

 だけどクライブはいまいち納得がいっていないようだった。こちらの真意を伺うみたいに緑の瞳で私を見据える。とはいえ、どれだけ探られても他意はないので、こちらとしても困ってしまう。


「あとは時々こちらにいらっしゃる先生に、今言ったようなことをお話することはあります」


 仕方がないので、強いて言えば、と思いついたことを口にした。


「先生? どなたでしょう?」

「さあ? 私から名前をお聞きすることはないのでわかりません。聞くと色々なことを教えてくださるので、先生とお呼びしています」


 目を瞠って尋ねられたものの、私も首を捻るしかない。


「名前も知らないのですか?」

「ここに入れる以上は身元は保証されているのですから、あえて私が聞く必要はないでしょう?」


 驚きを隠しもしないクライブにあやふやに微笑んでみせる。

 基本的に、私は人に名前は尋ねない。聞いてしまえば、嫌でも繋がりが出来てしまうからだ。

 それを察したからか、クライブはそれ以上の言葉を飲み込んだ。私が他人と関わらないことは第一皇子派も知っているはずである。

 国内で最大勢力を持つエインズワース公爵家にあやかりたい者は多い。ましてや第一皇子を排して第二皇子を王に、と企んでいる勢がいるこの現状で、私まで周りを取り込む行動を取るわけにはいかない。そんなことをすれば後々、自分の首を絞めることになってしまう。

 誰とも関わらず、誰にも関わらせない。私が王になったところで、利益は与えられない。

 ――そう思わせる態度を取ることが、精一杯の抵抗だった。

 ただこの図書室に来る人は基本的に皆忙しくて有能そうな人が多い。そんな人が闇雲に資料を探して貴重な時間を潰すのを見るのは忍びないから、たまに見かねて手伝うことはある。でもそれは彼らの為というより、彼らに無駄な時間を使わせるなんて民のためにならないと思っているからだ。

 だから探すのを手伝いはするけど名乗らせないし、名乗る気配を察したら探している途中でも消える。御礼も当然、受け取らない。過剰に接近して来ようとする人は二度と助けることはなく、日時をずらしたりして関わらないようにしている。

 ただ中には何度か手伝っても一定の距離を保ち続ける人がいる。名乗らないし、こちらの名前も呼ばない。お互いの本来の立場がまるでないもののように接している人がいる。

 本来なら無礼であるはずなのに不思議とそれが心地よくて、気づけば会ったときには少し話すようになった。疑問に思っていることを聞くと、少し冷たく見えるけど面倒がらずに簡潔に答えてくれる。

 高官の中では若い方に見えるけど内政でも中枢の、かなり上の方の人なのだとは思う。長い金髪は邪魔にならないようきっちりと三つ編みにして後ろで纏められていて、上等な生地だけどあまり飾り気のない動きやすさ重視な服装をしている。装飾品と言えば掛けているモノクルの金の鎖が目立つ程度で、ギラギラ着飾っている人よりずっと好感が持てる。あんな人が上司だったら仕事がしやすそう。


「その方はいつも本を探すお手伝いをすると、飴をくださいます」


 周囲を拒絶してきた私に何か思うところでもあったのか、黙ってしまったクライブに気にしないでほしいと言う代わりに笑いかける。


「知らない相手から食べ物を貰っているのですか」


 するとクライブがすぐに厳しい眼差しで叱る口調になったので驚いた。まるで保護者みたいな口ぶりだと、思わず笑ってしまった。つい昨日、私を殺そうとしていたとは思えない変貌ぶりだと思う。


(私が兄様を最優先にしろって言ったことで、なんだか妙に信用されてしまった?)


 それは良いことなんだけど……ちょろいというか、怖いというか。怖いわ。

 それはともかく笑い事じゃないと言いたげな怖い顔をするので、慌てて弁解をしておく。


「私も初めて渡されたときに、知らない人から頂くわけにはいかないと申し上げました。その時は引っ込められたのですが、次に会った時に前に一度会っているのだから知らない人ではないと言われて、それからは断れずに貰っています」


 いつもなら御礼は断固断る。だけど渡されるのは飴一粒だ。本当に子供の駄賃程度のものまで断るのも大人げない。

 それもどうやら自分用にいつも持ち歩いているものらしい。私に渡す時に自分も一粒口に放り込んで、行儀悪くガリガリと噛み砕いて食べてしまう。そんな姿を見れば、警戒するのも馬鹿馬鹿しい。


「殿下はちょっと押しに弱すぎるのではありませんか?」

「否定はできないかもしれませんが、私もちゃんと人は見ていますから」


 あほの子を見る目で見られたので、さすがにムッと睨み上げる。クライブがなぜか呆れ切った顔になった。

 この顔は絶対、私の言ったことを全く信用していない。

 確かにクライブには先入観もあったせいで情けない場面ばかり見られているけれど、本来の私の他人に対する警戒レベルはセインすら舌を巻くほどだと言ってやりたい。ただ私に前世の私の意識が混じってしまったことで、多少平和呆けしてしまっているのは否めないけど。


(でも、あほの子だと思われてる方が都合はいいのかも)


 こんな浅はかで無力な子供が第一皇子をどうにかする気だとは欠片も思わないだろうから。ぜひ私個人は警戒対象からきれいさっぱり除いていただきたい。


「別に信じていただかなくても構いません。クライブには関係のないことです」


 だからあえて子供っぽく、ツンと顔を逸らした。そしてそのまま怒ったふりをして立ち去ろうと踵を返しかける。

 しかしそれより早く手を取られて、強く引き寄せられた。


「! なんですか!」

「ほら、やっぱり殿下は全く人を見ていらっしゃらない」


 蹈鞴を踏んでよろけそうになったところでちゃんと支えられたものの、真上から少し怒った表情で見据えられて心音が一際大きくドクリと跳ね上がった。


(な、なんで怒ってるの……?)


 むしろ、今のは私が怒っていいところじゃなかった!?

 心臓が緊張と焦燥に耐え切れずにドクドクと早鐘を打つ。掴まれた手は痛いぐらいで、引っこ抜こうとしても全然外れてくれない。条件反射で恐怖に体を凍り付いて顔が強張る。

 するとすぐにそれに気づいたクライブは手を離した。感情を落ち着かせるためか、一度目を閉じて細く溜息を吐き出す。そしてゆっくりと瞼を持ち上げて私を見つめてから、眉尻を下げた。

 それは今まで見たことがない程、情けない顔に見えた。まるで叱られた犬みたいに。


「殿下。シークヴァルド殿下がお守りしたいものの中には貴方も含まれているのだと、覚えておいてください」

「はい?」

「つまり、僕には貴方も守る義務があるということです。……だから無関係ではないのだと、覚えておいていただきたい」


 緑の瞳をまじまじと見上げて、ゴクリと無意識に息を呑む。


(いまのって、まさか関係ないって言ったことを怒ってたの!?)


 まさかそんな。いや、そんな。

 馬鹿な。


「お返事は?」


 守る義務があると言ったくせに、唖然として黙ってしまったらまたも射殺さんばかりに凄まれた。わけもわからず、こくりと頷くことしかできない。


「…………、はい」

「よろしい」


 それでもなぜかひどく満足そうに笑って頷くクライブのことは、不思議と嫌ではなかった。自分でも理解できないけど……

 単に恐怖心が麻痺していただけかもしれない。そうだ。きっとそれだ。


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