第15話 12 それは誘いって言いません


 これで今度こそ立ち去れる。


「ところで本題なのですが」


 そう思ったところで、クライブからまたも待ったをかけられた。

 本題? さっきのが本題じゃなかったの?

 怪訝な顔になりながら頭一つ分高いクライブを見上げる。クライブも僅かに腰を屈めた。不意に耳打ちする近さにクライブの顔が来て、ぎょっと体を強張らせる。


「シークヴァルド殿下から、アルフェンルート殿下がシークヴァルド殿下とお会いするのにご都合のよい日時を教えていただくよう、仰せつかっています」

「兄様が?」


 けれど言われた内容を考えれば、内緒話の様相になったのも理解できた。いくら滅多に人が来ない地下とはいえ、気をつけるに越したことはない。

 あまりに近い距離に慄きつつも、クライブ同様に声を落として答える。


「午後ならある程度の融通はききますが……兄様の方がお忙しいでしょうから、御用があればこちらが合わせます」


 一応は答えたものの、頭の中には疑問符が浮かんでいた。

 お見舞いのお礼は済んだわけだし、距離が近づいたと感じるとはいえ、お互いの立場的にあまり周りに仲の良い姿を見せるのはよろしくない。

 だいたい兄は公務で忙しいはずだ。成人前の弟なんかに構っている暇はないと思う。


「ですが、どういったご用件なのでしょう?」


 兄が何をしたいのかわからない。

 困惑を隠せずに問いかける。クライブは意外そうな目で私を見た。なぜそんな顔をされるのかわからずに小首を傾げると、苦笑いをされた。


「殿下にいただいた御本の御礼をされたいのだと思います」

「御礼ですか? あれは兄様からいただいたお見舞いのお返しなので、お気遣いいただかずともよいものです」


 お礼にお礼をされたら、またこっちもお礼をしなければいけないループに嵌ってしまう。私が見舞いの返礼をしたことで一区切りにしてくれるのが一番スマートだ。

 これを機に仲良くなれれば私の生存率が上がる可能性がある反面、下手に仲良くなると兄が狙われる危険度が増すだろう。兄が狙われることが増えれば、その分、狙った相手が露見した場合の処刑確率も格段に跳ね上がる。

 そしてその場合、真っ先に処刑されるのは旗頭にされた第二皇子である私。

 私が指示したわけじゃないのに、こういう責任だけは取らされるのが私の立場。

 そんなことになるくらいなら、私に敵意はないと告げられたのだから、今まで通りひっそりと邪魔にならないことに徹した方がまだ生き延びるチャンスは掴める気がする。

 だいたい私と仲良くすると自分の身が危うくなることぐらい、あの兄ならわかっていると思うのに。


(なんで近づこうとするの)


 敵を炙りだすために私を利用したいのだろうか。

 ゲームの中の第一皇子の性格を思い出せば、やりかねないとも思う。けど、そうなると私もただでは済まされないとわかるはず。先日の態度を見た限りでは、そこまで私に対して非情ではなさそうに見えたのだけど。


「そうつれないことを仰らないでください。シークヴァルド殿下は頂いた本を大層お気に召したようですから、直に御礼をお伝えしたいのでしょう」

「喜んでくださったのですか?」

「はい。それはもう」


 色々考えて疑心暗鬼になりかけていた私の耳に、予想外に嬉しい報告が届けられた。

 目を瞠って問い返した私に、クライブは満足気に笑ってしっかりと頷く。社交辞令ではなく、本心からそう言って見えた。自然と満面の笑みが零れる。

 安堵したのもあるけど、それ以上に自分が選んだものを喜んでもらえたことがとても嬉しい。


「よかった。あの本は兄様に見せて差し上げたいと思っていたのです。喜んでいただけたなら嬉しい」


 相手がクライブなことも忘れて頬を緩めてしまった。すると、クライブが顔に驚愕を張り付けて私をまじまじと見た。


「なんでしょう? 私の顔に何かついていますか?」


 信じられないものを見る目で見られて、咄嗟に表情を引き締めて居住まいを正す。私の反応を見て、クライブも慌てて「いえ、失礼しました」と言葉を返した。


「アルフェンルート殿下もそうやって笑われるのかと、少し驚かされました」

「……」


 いったいこの人は私をなんだと思っているのだろう。

 そう思いかけたけど、言われてみれば確かに今の私の反応は今までの私なら絶対にしなかった。

 こんな風に笑える余裕が全くなかった、と言うのもある。

 今も別に余裕があるというわけでもない。これがいいか悪いかでいえば、誰とも関わらないことで自分の世界を守ってきた私のスタンスから考えれば、あまりいいことではない。

 だけど、我慢して大人しくしていればやりすごせると期待する時期はもうとっくに過ぎた。なにもしなくて事態が改善するわけじゃないのだと、もう知っている。

 それこそ、いつまで生きられるかもわからない綱渡り状態の今、死んだように生きていたって何も生み出さない。

 それなら少しぐらい素直に生きたって、許されるんじゃないかって。

 ……それでもこうして改めて指摘されると、やっぱり自分の判断は間違っていたのかと緊張が走る。顔が強張った。


「ですが、とても可愛らしいと思います」


 けれど身構えた私に向かい、何の衒いもない笑顔で言われた。


(可愛らしい!?)


 ちょっと待ってほしい。思わずドン引いた。

 今の私、どう見ても皇子だと思う。つまり男の子に見えていると思う。

 その皇子に対して、騎士が「可愛らしい」とか普通、言う!?

 嬉しい気持ちを超越して戦慄が走る。しかもそのセリフを口にしたのがクライブなことがなによりも恐ろしい。私を殺したいぐらい敵視していたんじゃなかった? それがどうして、可愛らしいとか言い出した!?

 絶句して言葉を失っている私を見て、クライブが慌てて今のセリフの弁解を始める。


「申し訳ありません。僕には弟がいるので、殿下と重ねて見てしまいました」

「そうですか」


 鷹揚に頷いてみたけれど、全く理解はできない。今も昔も弟がいたことはないから共感は全然出来ない。出来ないけど……そう言うなら、そういうことなんだろう。たぶん。

 そういえば私の勘違いでなければ、兄も私を愛でる目で見ていた気がする。兄というのは、そういう生き物なのかもしれない。前は兄もいなかったからよくわからないけど。

 訝し気な表情が隠せなかったせいか、クライブが場を仕切り直すように咳ばらいをひとつする。


「それでは殿下、シークヴァルド殿下の誘いをお受けいただけますね?」

「私は兄様に喜んでいただけたのなら、それだけで十分なのです」


 好意を向けられて嬉しい気持ちは勿論ある。けれど、今はその気持ちだけで満足だと言える。

 申し訳ない気持ちは勿論あるので眉尻を下げながら言外に断れば、クライブがにこやかな笑顔を顔に張り付けた。明らかに作った笑顔に、ギクリと条件反射で体が竦む。

 ものすごく、嫌な予感がする。

 そして残念ながらこういう時の予感というのは、外れない。


「失礼」

「ッ!?」


 言うなり目の前からクライブが消えた。と思ったら、次の瞬間には全身が浮遊感に包まれていた。

 気づけば、あっという間に先日と同じくクライブの片腕の中に軽々と抱き上げられている。悲鳴を上げる間もなかった。


「っおろしてください!」

「殿下に頷いていただけないのであれば致し方ありません。シークヴァルド殿下を最優先にするとお誓いしたからには、僕はあの方の命を遂行するまで」

「都合のいい日時を訊きに来ただけのはずでしょう!?」


 下手に暴れて落とされても怖い。動顛して涙目になりそうになるのを堪えながら睨み下ろす。クライブは飄々とした態度を崩すことなく、隠し通路へと歩き出した。


「今がよろしいのだと判断しました」

「よくありません!」

「殿下、お静かに。人が来てしまいます」

「……っ」


 いっそ来てくれればいいと思いかけるけど、それはお互いにとってよくない。大人しく唇を噛み締める。


「アルフェンルート殿下。僕は無理強いをしたいわけではないのです。殿下がお困りになるのなら、表だってシークヴァルド殿下にお会いすることはありません」


 さすがにこのまま連れていくことは憚られたのか、クライブは隠し通路の直前でやっと足を止めた。そして諭す声音で私に話しかける。


「僕がお迎えに上がりますので、隠し通路からこっそり会いに来ていただければよいのです」


 それが一番怖いんです!

 そう言ってやりたかったけど、真摯な眼差しを向けられたせいで文句の言葉は喉の奥で縮こまった。口を引き結んだ私を見て、クライブはふっと頬を緩める。


「シークヴァルド殿下は、きっとお喜びになられます」


 安心させるような笑顔を向けられて、そんな言葉を言われたら意地を張っているのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 第一皇子絶対至上主義のクライブがこう言うのなら、きっと本当にそうなのだろう。私だって、嫌で会いたくないと言っているわけじゃない。

 それにこっそり会うぐらいなら、問題にはならない。はず。

 ふう、と小さく嘆息を吐きだす。


「……週の半分くらいは、午後になると図書室に来ています。その時間なら、周りから怪しまれることはありません」


 仕方なく、妥協できる範囲で答えた。

 こう言っておけば、兄の都合のいい時間が出来た時にクライブが図書室まで見に来るだろう。その日に私がいるとは限らないけど、私のお決まりのタイムスケジュールは第一皇子である兄なら簡単に把握できるだろう。高確率で捕まえられるはず。

 大人しく答えた私を見て、クライブは満足気に笑った。そしてやっと私を床に下ろしてくれる。


「承知いたしました。アルフェンルート殿下のご都合を見計らって、お迎えに参ります」


 胸に手を当て、優雅に一礼された。

 こっちは動揺と緊張で心臓がバクバクとうるさくて余裕がないというのに。そういう姿だけは腹立たしい程に騎士らしく様になっていて嫌になる。


「ただし、現れる時に人を驚かせる真似はやめてください」


 念のために、睨みつけて釘を刺してやった。

 それと人を荷物のように簡単に抱え上げるのは本当に勘弁してほしい。こっちはいつ女とバレるかと、気が気じゃないのだから!


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