第2話 2 ミッション!最恐の敵を攻略せよ


 とりあえず、内心では猛烈に焦っているものの、今の私のやるべきことは一つしかない。


 庇われたことで責任を感じているのか、敵という立場であるはずの私の見舞いに来ているらしい異母兄。彼には早々に部屋から出て行っていただかなくてならない。

 ここに居座られれれば居座られるほど、私の秘密を知られる危険が増していく。

 なんたって、羽毛布団に包まれている体は薄いシャツしか着ていない。

 万が一にも「高熱で熱そうだ」などと言って、親切心でちょっとでも布団を捲られたらアウト。

 いくらまだ13歳とはいえ、胸の膨らみは目立ち始めている。胸筋を鍛えていますと言うには、自分の体は細すぎる。そこだけ筋肉が発達していると言い張るのは無理がある。

 幸いなことに、布団を剥がされるほどの親密さはなかったはず。今はまだそこまで拙い状況ではない、と自分に言い聞かせる。


(とにかく今はここを切り抜けないと……!)


 こんな初っ端から崖っぷち人生だとしても、私は死にたくない!


 覚悟を決めると、うっすらと目を開いた。

 ゆっくりと視線を巡らせれば、私を見下ろす瞳と目が合った。

 改めて見ると美形すぎて、気圧されて息が止まった。綺麗すぎる顔を直視することに緊張してしまうのは、ここ数年はリアル異性への感情を切り捨てていた腐女子なら仕方がないと思う。

 だけどここで怯んでいる場合じゃない。


(……なんて呼べば、いいんだっけ?)


 しかし、さっそく躓いてこめかみに汗が滲んだ。まずい。

 今の自分の記憶と本来ここにあるべき記憶が混濁しているせいか、呼び方が思い出せない。幸いこの世界の記憶は知識として残っているけれど、そもそもこの異母兄とまともに会話を交わした記憶がほとんどない。ただでさえ熱に侵された頭ではどう呼んでいたのか、欠片も思い出せなかったりする。


(兄さん、じゃないよね。王族だし。こういうお貴族様でありがちなのって、兄上?)


 でも普段は兄上って呼んでなかったら、兄上呼びはすごくおかしくない?

 毒のせいで頭までやられたと思われるわけにはいかない。ここで少しでも不審感を抱かせるのは得策じゃない。

 しかしこのまま黙っているわけにもいかない。


「……にい、さま……?」


 ゴクリと息を呑み、掠れる喉からなんとか声を絞り出した。どうにか誤魔化せそうな呼びかけを試してみる。

 これなら普段そう呼んでなかったとしても、「弱ってるからいつも心の中で呼んでいた呼び方をしてしまいました」的な言い訳が使えそうじゃない!? いや、わからないけど!

 でもうろ覚えなゲームの記憶の中で見たアルフェンルートなら、そう呼んでてもおかしくないイメージがある。あくまでイメージだけど!


「!」


 そんな私の期待に反し、目の前の切れ長の瞳がひどく驚いたように大きく瞠られた。

 その彼の向こう、視界の隅に私の乳姉妹である侍女の姿も見えた。私の事情を知っている彼女の顔は、第一皇子からは顔が見えない位置にいるせいか、いつもの完全な外向けポーカーフェイスが崩れて同じように目を瞠っている。


(間違えた!? やっぱり兄上だった!?)


 ゲームの記憶と、私の中に残された記憶の中では、第一皇子がここまで驚いた顔をしたのを見たことがない。

 これは選択肢を誤ってしまったのでは!?

 ゲームならリセットが出来るのに、現実はそんなわけにはいかない。

 どうしよう。この人はいつだって冷静で、ゲーム上では冷酷にすら見える空気を常に纏っていたはずだ。ほとんどが冷たい無表情か作られた笑顔のスチルだった。アルフェンルートの記憶の中の彼も、そんな表情しか覚えがない。

 それが今は崩れている。

 息を呑み、まじまじと信じられないものを見る眼差しで私を見下ろしている。

 ヤバイ。激しく気まずい。

 心臓がバックンバックンと皮膚の下でうるさく騒ぎたてる。

 何か企んでいるとでも疑われているのか。それとも偽物なんじゃないかと思われてたりするのか。もしくは、毒に侵されて頭がどうかしたと考えているのか。


「どうして、こちらに……?」


 しかしそれなら、先手必勝!

 何かを言い出されるより先に、考えを封じるために疑問を投げかけた。

 なぜ、水面下では敵であるはずの私の部屋にいらっしゃっているのですか、と言外に含めて問われれば相手も言葉を詰まらせる。

 そもそも私が起こしたありえない行動が発端とはいえ、お互いにこの状況は良いものではないとはわかっているはずだ。


「……心配で、無理を言って通してもらった。峠は越えたと聞いていたが、無理をさせてすまない」


 先程の私の呼び方の動揺を引きずっているのか、珍しく困惑気味な表情を見せて彼はそう答えた。


(ゲーム開始前でまだ若いから、感情制御が完全じゃないのかも)


 あの心配そうな表情と声が完全に演技だったとは思わない。このキャラの性格を改めて思い出すと実際のところはわからないけど、少しは本当に心配してくれているように見えた。

 今の自分がまだ13歳だと考えると、4歳上の彼もまだ17歳。つまり、まだ十分に子ども。

 こちらの世界では成人している年齢だけど、自分が今まで暮らしていた世界の17歳男子のことを考えれば、完全に情を切り捨てるにはまだ惑いがある年なのではと思える。

 とはいえ、あんな行動をした私の真意を探りに来たというのも間違いはないだろう。

 どうやら護衛騎士を一人だけ連れて乗り込んできているので、かなり危険な賭けに出ていると思う。だけどきっとこの人のことだから、見えないところで対策は万全に違いない。

 もしこれが私の仕掛けた罠だったとしても、私側の誰かが第一皇子を害そうとしたならば、この機に私を排除するつもりだとも考えられる。むしろそれが狙いといえるのでなないだろうか。

 それならばいま私がやるべきことは、保身に走る!


「……おけがは、なかった、ですか?」


 熱で浮かされているように見せかけて、本心を垣間見せるフリをする。

 そして出来るだけ微笑みかけようとしたものの、熱と傷の痛みに少し歪んでしまった。でもそれが良かったのか、今の私はとても健気に兄を想う弟に見えたかもしれない。


「ああ。おまえが庇ってくれたから、私はなんの問題もない」


 そう言って、躊躇いがちに異母兄が私の手を握った。

 まさか手を握られるとは思わなくて、心臓がドクリと跳ねた。 

 けしてイケメンに手を握られたせいではない。こんなときにそんな呑気な感情が湧くわけがない。

 男臭さをあまり感じさせない綺麗な顔をしているけど、その手は自分の手よりずっと大きくて骨ばって、予想外に掌はたこが出来ているのか固かった。

 そんな手に握られたら、いくらまだ13歳とはいえ少女の手だとバレてしまいそう。焦りと緊張のあまり心臓がドクドクと跳ねまくる。


「そう、ですか。よかった……兄様以上に、王にふさわしいかたは、いないのですから」

「!」


 熱い息を吐き出しながら、掠れた声で切実さを匂わせてまるで独り言のようにそう口にして目を閉じる。感情を読ませないために。

 だから第一皇子がどんな顔をしたのかは見えない。けれど私の手を握る手が僅かに震え、息を詰まらせたのが聞こえた。


「私では兄様の代わりには、なれないのですから」


 また兄様と呼んでしまったけど、一度兄様と呼んでいる以上、言い方を変える方がおかしい。それに今の私は毒と熱に侵された身。それを言い訳に、弱音を吐くフリをする。

 我ながら、かなりの演技派では!?

 社会人をやってると、人当たりのいい、相手のほしい言葉を汲み取るのは日常茶飯事だから嫌でも身につくことではある。これは円滑な人間関係を築くための処世術。空気を読むことを常に強いられる日本人の術。

 相手が異母兄ではなく得意先の社長だと思えば、余裕で切り抜けてしまえるのでは!?

 それに実際のところ、第一皇子が王になるべきだとは心の底から思っている。

 彼に何かあっては困るというのは、偽りのない本心。

 だって、私が国を治めるなんて絶対に無理。もし自分が男だったとしても、絶対無理。

 王様なんて、一番苦労するわりに報われない職業だということはちょっと考えればわかる。

 あっちを立てればこっちが立たず、どいつもこいつも好き勝手に自分の主張を振りかざすのを纏めあげなければならない。

 しかも、何かあれば必要最低限の情報だけで判断せねばならない事態もざらにある。尚且つ、その責任を負うのも王の役割。

 王になればそれなりに贅沢が出来るとはいえ、それに見合うだけの責任が生じる。戦争が起こらなくても、災害時には人の命を背負わなければならない状況に立たされるのが王だ。

 己が判断一つで、救えるものもあれば、取り零されてしまうものもある。

 ――そんな責務を負うだけの強さは、私にはない。

 それに常に護衛という名の監視の名のもとに置かれて自由もない身。現実問題として、女であることを隠し通すにも限界がある。

 以上を踏まえれば、私が王などやりたいわけがない。

 正直、王様をやりたがる人間は究極のマゾか、いっそサドか、夢を見すぎの愚者だとしか思えない。

 私は、もちろんそのどれでもないので。普通でいいのです。普通に、生きたいのです。平凡に、ごく普通に生きることが唯一の望み。

 だからこそ、いきなり命綱なしの綱渡り状態の第二の人生とはいえ、早々に諦める気にはなれない。


(私は二度も、殺されるつもりはないから)


 自分のあずかり知らないところで悪意に殺されるのなんて、二度とごめんです。

 前世の私は、恨み故に殺されたわけじゃなかった。

 だって、私は私を殺した相手の顔を知らなかった。相手もきっと、私なんて知らない。

 ……たぶん、誰でもよかったんだろう。

 あの日、私は数年ぶりに寝坊して、いつもよりずっと遅い時間の電車の列に並んでいた。しかもいつもは押されて落ちたら危ないと最前列を避けるのに、あの時は遅刻に焦って一番前に並んでいた。

 だからこそ、最初から私を狙っていたのだとは思えない。ただあのとき通勤電車を待つ私が、たまたま犯人の前に立っていた。

 きっと、選ばれた理由なんてたったそれだけ。

 無作為に、無差別に、偶然に居合わせたというだけで誰かの絶望のはけ口として、私の背中は迫りくる電車に向かって突き飛ばされた。

 ……あの無念を。

 恐怖を。

 絶望を。

 憎悪を。

 叫んでも吐き出しきれないほどの、胸が押し潰されて弾け飛んでしまいそうなほどの悲しみを。

 もう二度と、大切な人達に会えない言いようのない苦しさも。

 置いていかれるより、置いていかなければいけないという悔しさも。


 私はあんな思い、二度と味わいたくなんてない。


 自分の名前も思い出せなくても、私にはまだ『私』として生きてきた記憶がある。幼いアルフェンルートの病んだ心を多少は引き上げられるだけの、心の持ち方を心得ている。

 ただ前世の私の意識が現れたからといって、劇的に自分を取り巻く現状が変えられるわけではない。

 けれどそれなりに大人として生きてきた意識がある今の私は、親だからといって完全な存在ではないと知っている。

 大人だからといって、すべて正しいわけじゃないと知っている。

 目に映る世界だけがすべてではないと知っている。

 だからこそ、足掻けばいくらだって抜け道はあるのだと、そう信じたい。

 こんなところで屈してしまうわけにはいかないのだ。

 すべての死亡フラグを叩き折って、私は私が望む人生を手に入れる。平凡な、普通の人生を。


 そう、望むことは平凡な人並みの一生のみ! 寿命で死ぬ、その日まで!


 そのためには、まずこの場を切り抜けなければいけない。

 多分現時点で私にとって、一番の最難関であるのはこの異母兄だ。彼を攻略できれば、私の命の安全度は格段に上がるはず。

 実際、口にしているのは心の底からの紛れもない本心。

 王になんてなりたくありません。命以外は全部あなたにお譲りします。自分を擁立する周りはともかく、私自身はあなたの邪魔なんて一切する気はありませんから!

 必死に脳内で自分に言い聞かせてはいるけれど、第一皇子に握られた自分の手が小刻みに震えるのを押さえられない。

 それは熱のせいではなくて、緊張と、恐怖で。

 信じてほしい、と必死に願って自分の手を握る手に縋るように力を込めた。


(お願い)


 もう死にたくない。

 あんな怖い思いはしたくない。

 お願い。

 私は、今度こそ。


(ちゃんと生きたい……!)


 眉根を寄せて、ぎゅっと閉じた目尻に涙が浮かぶのがわかる。

 すると不意に、握られていた手が私の祈りにも似た思いに応えるように力を込められた。その指先は冷たいのに、不思議と固い掌はあたたかい。

 驚いて恐る恐る目を開ければ、そこには困ったように笑う異母兄の顔があった。初めて見る表情だ。ゲームのスチルにもなく、アルフェンルートの記憶にもない。

 僅かに罪悪感を滲ませた、自分自身に対して反省しているかのような。

 いつもは冷たく見える淡い灰青色の瞳が、やけに優しく見える。


(つうじた……?)


 大きく目を見開いて見つめ返せば、その人は少し小首を傾げた。そしてもう一方の手を伸ばして、私の目尻に溜まっていた涙を硬い親指の腹で拭う。

 記憶にある彼からは似合わない、不器用さで。


「おまえの代わりも、誰にもできないよ。アルフェ」


 そして聞いたことがないほど真摯な声で、そう告げられた。

 その瞬間、自分の心が大きく震えるのがわかった。きっとずっと、誰かにそう言われたかった。

 私ではなくて、私の中のアルフェンルートが。

 ぼろぼろと勝手に涙が溢れてきて止まらない。これはきっと、もう一人の私の涙だ。

 でも、私の涙でもあるようにも思えた。

 今の私もここにいていいんだって、許された気がしてしまった。

 異母兄からこの言葉を引き出したのは私の言葉かもしれないけど、それでもそのきっかけを作ったのは本来ここにいるべき私だった。

 あれは半ば自殺に近いものではあったけど、それでも確かに目の前の人を守りたいと思った。あの時の気持ちも、嘘じゃないでしょう?


(ねぇ、もう一人の私。もうちょっと頑張ってみてもいいんじゃないかな)


 そしてもう一度、私も頑張っていいかな。やりなおしていいかな。足りない部分は私が補うから、私も心の片隅に置いてくれないかな。

 涙と一緒に、自分の体も溶けていく錯覚に襲われた。

 毒で弱っている上に熱があるのに、精神をフル稼働させたせいで無理をしすぎたのかもしれない。目を閉じれば、意識は形を保てず泥のようにどろりと溶け落ちていく。


「大丈夫だから、今は何も心配しないで休みなさい」


 遠のく意識の向こうで、ちゃんと『兄』をしている声が聞こえた。額に柔らかい感触が押し当てられたのを感じる。

 それがなんだったのか、私にはわからない。




 そしてこの日以降、なぜか見舞いと称して第一皇子から花が届けられるようになった。思いもしなかった反応に、私は心底困惑させられることになったのだった。


(異母弟に、見舞いとはいえ花なんて贈る……!?)


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