死亡フラグしかない『男』と偽ってる男装皇女の悪あがき奮闘記

餡子

第1話 1 初っ端から死亡フラグしかない


 ──自分が物語の主要キャラになるだなんて、夢にも思ったことはなかった。


「アルフェンルート……すまない」


 心配そうに自分を覗き込んでくる顔は、よく出来たマネキンか?と言いたくなるほど美しい造形をしていた。


(……誰、これ)


 悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。

 そもそも悲鳴を上げられるほどの体力も、なぜか今の自分にはないらしい。それに加えて人間驚きすぎると、どうやら声が出せないのだとも知った。


(待っ……なに、待って。なに、これ)


 しかし頭の中では思考は大暴走だ。


(この人、誰!?)


 日本から一度も出たことないし、海外旅行に行きたいとすら思わない筋金入りの日本人の自分が、こんな外国人モデル……というか、ゲームに出てきそうな顔をした人間と知り合いになった覚えは全くない。

 白銀の髪に、淡い灰青色の切れ長の瞳。さらりと肩から滑り落ちた癖のない長い髪がよく似合う整いすぎた顔は、男のくせに綺麗すぎる。

 正直、人間味がない。

 というか、着てる服も中世ベースのファンタジーなゲームみたい。

 これって、本当に人間?

 なんかこういう顔と姿、ゲームで見たことある気がする。

 実はこれ、よく出来たバーチャル映像だったりするんじゃない? なんかこういうキャラ見たことある気がするし。もしくは、人形みたいに実は触ったら硬くて冷たいんじゃないかとすら思えてくる。

 そんな自分の疑問に応えるように、伸びてきた手が汗で額に張り付いた前髪をそっと掬い上げた。

 思った通りその指は冷たくて、だけどその手は驚くほど優しかった。まるで宝物にでも触れるような触れ方。


「!」


 そのことに、自分は心底驚いた。

 いや、相手がちゃんと人間だったことに驚いたわけじゃない。

 自分だけど自分じゃない誰かが、この目の前の人がそんな風に自分に触れることに、驚いた。そして私はそんな風に驚く自分に、驚いていた。

 なんなんだろう。

 自分の記憶と覚えのない記憶が混ざりあって、遊園地のコーヒーカップにでもぶち込まれたかのようにグルグルと頭が回る。気持ちが悪い。


(ここは、どこ)


 考えながらも、ここが自分の部屋だという認識がある。そんなわけがないのに。

 薄く開いた目に映るのは、映画のセットみたいな天蓋付きのベッド。

 こんな場所、知らない。そのはずなのに。

 まるでインフルエンザにでもかかったみたいに体は熱くて、考えがまとまらない。一度視界を遮るために目を閉じて眉根を寄せる。息苦しくて、喉が焼けそうに熱い息を吐き出した。

 体は高熱に侵されているらしく、さっきから熱いはずのに寒くて震えている。カタカタと歯の根が噛み合わない。

 その体を包むのは、程よい硬さのマットレスと柔らかい羽毛布団の感触。

 高熱で敏感になっているらしい肌はピリピリと痛むけれど、その肌を極力刺激しないような手触りの良いシーツとシャツが自分を包んでいるのがわかる。

 庶民の感覚でいくと、すごく高級そう。

 とりあえず現在の自分を取り巻く環境は、安心して看病されるに相応しい場所なんだろう。

 ただ、どう見ても病院には見えないけど。どう見ても怪しい人が傍にいるけれど。


(考えなきゃ……)


 考えたくはないけど、考えなければいけない気がする。

 いったい何がどうしてこうなった!?

 今こうしている間にも自分の胸が焦燥と恐怖に急き立てられている。「早く思い出せ」と警報が鳴り響き、真っ赤なサイレンが脳裏にけたたましく響き渡る。



 私は日々を平々凡々というよりは仕事に比重を傾けて生活をしている、オタク趣味のアラサー腐女子だったと思うんだけど。

 というか、それ以外になった覚えはない。

 ちなみに彼氏いない歴5年。元々恋愛関係には淡泊だったから、いなくても困ってないのだけど。本当に、本気で負け犬の遠吠えじゃなくて。

 ……って、誰に弁解しているの。今は彼氏の有無などどうでもいいでしょう。


「アルフェンルート……」


 そう、少なくとも絞り出すような切ない声で呼ばれている、そんな名前ではなかった。

 カタカナの長ったらしい名前になった覚えない。アルペンルートなら知っているけど、聞き間違えているわけではないのだろう。横文字もどきの名前は私の人生において聞いたこともない、わけでもない気がしてくるけど、黒歴史のHNですらもっと簡素なものだった。

 そう、私の名前は……


(なまえ、は?)


 アルフェンルート、としか思い浮かばなくて愕然とした。

 そんな馬鹿な。

 だけど、なぜかその名前が自分の名前だとわかる。

 私は聞いたことがないのに、『私』が、それが自分の名前のなのだと教えてくれる。私は私でしかないなのに。


(……まって、私って、誰)


 さっきまで確かに自分の名前だと思っていたものが急に思い出せなくなる。

 どうして。私は私でしょう!?

 せっせと堅実に生きてきた私。たまに周りと同じように日々に多少の不満は抱きつつも、それなりに満足した日々を送っていた私。

 動揺は収まらないのに、頭の片隅ではひどく冷静に今置かれている自分が今の自分だとわかっていた。

 私は、アルフェンルート。

 それが、『今』の自分の名前なんだと。

 今まで自分が自分だと思っていたものが急速にぼやけていきそう。慌てて体に力を込めた。


「いッ、つぅ……!」


 その瞬間、左肩から体を貫くような痛みが走り抜けた。

 たまらずに喉の奥からくぐもった呻き声が漏れる。じわりと全身に冷や汗が滲んで、バクバクと心臓がうるさく鳴り響く。

 痛みを散らそうと体をこわばらせると、左肩が熱を帯びてじくじくと痛んだ。どうやら私は怪我をしている……

 というか、そうだった。


(私は、ケガをしたんだ)


 急速に頭の中に今までの記憶が駆け抜けていく。走馬燈って、こういうのを言うのかもしれない。

 脳裏に過る、見たことがないはずなのに知っている光景。

 そう、私が『私』として生きてきた軌跡。



 ──この国の王と第二王妃の間に生まれた『私』は、その日、入ることを禁止されている部分の庭に野良猫を追いかけて入ってしまった。

 そこは、亡き第一王妃の子である異母兄の第一皇子の生活区域であった。

 私の意志とは反対に王位争いをしている立場となっている自分が足を踏み入れることなど、普段なら考えられない場所だった。


 いつもなら、勿論そこまで猫を追いかけたりはしない。だが、その猫は怪我をしていたから、手当をしたくて必死になって追いかけてしまったのだ。捕獲したら、当然すぐに立ち去るつもりだった。

 それがなんの運命の悪戯か、やっと猫に追い着いたその先で異母兄と出くわしてしまったのだ。

 表面上は、私も兄も水面下での諍いなどけして表に出さないので、ただ出くわしてしまっただけなら無作法を詫びて帰れば良かった話だ。多少の咎めは受けただろうが、せいぜい数日の謹慎程度で済んだだろう。

 けれどそのとき私は挨拶もすっ飛ばし、しかし帰ることもなく、兄に向かって走る速度を一気に上げた。

 そして、力の限りに体当たりを食らわせたのだ。

 それは、咄嗟の判断だった。

 驚いた兄は隙を突かれた形になったとはいえ、私の細く頼りない体では、鍛えている兄を少しよろけさせる程度の衝撃を与えただけ。

 でも、それで良かった。


 よろけさせただけで、第一皇子を狙っていた矢は狙いを外れた。


 私を擁立する第二皇子側の派閥が仕掛けたであろう暗殺は、それで失敗したのだから。

 ただ、その弓矢は私の左肩を掠めていった。

 そして用意周到なことに、それは毒矢だった。掠めただけとはいえ、焼ける痛みに膝を着く。

 その直後、私を追いかけてきた乳母の子である侍女が現状を見るなり、悲鳴を上げることなく私を庇って抱きしめた。

 生まれた時から一緒に育った彼女は、誰よりも私の真意をわかっていくれている。

 私は毒が回りかけて痺れる体を叱咤して、「このことは内密にしてください」とだけなんとか笑って第一皇子に頼むと、侍女に支えられながらなんとかその場を立ち去った。

 暗殺を阻止したことが自分側の派閥に知られたら、どんなことになるのか考えたくもなかったから。

 暗殺者は第一皇子の傍にいた騎士が即座に追いかけていたが、その場で自害していたから、首謀者の手がかりは掴めなかっただろう。

 狙った理由はわかっているのに、むなしい話だ。


 ただ今回のこの私の行動に驚いたのは、第一皇子だっただろう。

 私が庇うなんて、考えもしなかったのだろうから。


 私の意志とは関係ないとはいえ、私側の陣営がけしかけてきた暗殺を、当の敵の柱である私が阻止したのだ。意味がわからないはずだ。

 そもそもの話、第一皇子の傍には有能な兄の騎士がいたのだから、よく考えたら私がしたことは無駄だったのかもしれない。私が咄嗟に庇うよりも、もっと的確に判断できていたはずだ。

 けれど、それでもあのとき私の体は動いていた。

 たぶん毒矢だろうと思っていたし、兄を庇えば自分に矢が刺さるだろうことも予知出来ていた。

 ……本当のところ、矢が掠めたのは予定外どころか無意識化では想定内のことだった。


 正直なところ、私はもう、死んでもいいとすら思っていたから。


 ずっと自分の取り巻くすべてに辟易していた。

 自分の意志を無視して、自分のあずかり知らないところで話が進んでしまっていて、もはや引き返せない場所まで来ていた。

 でも自分にはこの先どう考えてもどうしようもできない未来しか用意されていなくて、絶望していたのだ。心の底から。

 今の自分を、捨ててしまいたくなるぐらい。



(……それで本当に捨てて、前の私に全部ブン投げるとか、どういうことなの)


 一気に記憶が戻ってきて頭がガンガンする。眩暈がして目を開けていられない。

 現状、私の体は『私』の意志を無視して一命を取り留めてしまったのだろう。

 今は意識が深い底に沈んでいて、あれも確かに『私』であるはずなのに起こすことが出来ない。心の奥底にある部屋の扉に鍵をかけて、『私』は頑なに目覚めようとしない。

 きっと『私』はあのとき悪意という名の毒矢に心の臓を射られて、心まで瀕死の状態にされてしまったのだ。

 今までにも何度も何度も心を毒にもたらされて弱り切っていたところに、異母兄の暗殺現場という場面を自らの目で目の当たりにしてしまい、とどめを刺された。

 いっそここで死んでしまうことを、自分は望んでいたんだろう。

 異母兄を助けたのなんて、ていのいい自殺の言い訳に過ぎない。


 けれどそう思う通りにはいかなかった。


 処置が早くて体に回った毒が少量だったこと、それに皇子ということで今までにある程度毒に耐性を持たされていたせいで、この体は希望通りに朽ちることはなかった。

 そこでいっそ狂って何もかも手放してしまえばよかったのに、自分のこれまでの立場ゆえの責任感が頭を擡げたんだろう。

 なにもかもを無責任に放り投げることが出来ず。それでも体に留まるだけの強さも持てず。それでも必死に何かで埋めなければいけないと手を伸ばした。

 そして、きっと救済措置として今ここにいる私が引きずり出された。

 もうすでに一度は人生を終えたはずの、ひとつ前の生である自分である、私を。


(冗談はやめてほしい……!)


 沸騰しそうな頭を持て余し、こっちも絶望に打ちひしがれたい気持ちでいっぱいになる。

 戦争するよりも人が死んでいるという、年間2万人が自殺する自殺大国日本でアラサーになるまで仕事を続けられる程度のストレス耐性はついているとはいえ、所詮は平和な世界に生まれ育った人間でしかない。

 というか、そんな自分が既に死んでいるということまで思い出してしまって今更動揺が止まらない。

 カタカタと歯の根が噛み合わないのは、きっと高熱のせいだけじゃない。

 思い出してしまったそれは、けして満足のいく終わり方ではなかった。


 どころか、最悪だった。


 正直あんな死に方をした私は、プラスマイナスゼロで今生ではもっとイージーモードが用意されててもよいのではない?

 それがなんの因果で、初っ端からこんな波乱万丈な第二の人生を歩まされなければいけないの。

 神がいるというのなら、力いっぱい飛び蹴りを食らわせていやりたい。神は試練をお与えなのですか、そうですか。

 そんなくだらない試練を与える神なら、いらないんですけど!

 そして、先程から自分の死に様の合間に脳裏を掠めていく記憶がある。

 ただその記憶は、前世ではとても些細な出来事だった。些細すぎて、なんで今思い出すの? って自分に突っ込みたいレベルの記憶。


 その些細な出来事というのが、プレイしたことのあるゲーム映像なのである。


 なぜいま、こんな時にゲーム!?

 そう思う反面、その映像に嫌な予感が止まらない。

 頭の中にバラバラに浮かんでは消えていくゲームスチルに対して、じわじわと焦燥感が煽られていく。

 『アルフェンルート』……なんか、そんな名前のキャラ、いた気がするなって。

 興味がないキャラだったから、うろ覚えだけど。

 でも、ベッドの脇で私を覗き込んでいる顔。さっきどこかで見た気がすると思ったけど、リアルじゃ見たことなくてわからなかったけど、なんか、いた。

 そう、プレイしたゲームの中に。


(これ、ネット小説でありがちな、あれじゃない?)


 あれ。あれ。転生物の。

 よく転生して悪役令嬢とかになって人生をやり直したり、チートになったりするやつ。

 いくらオタク歴が人生の半分以上あるとしても、そんなものになりたいと思ったことはない。

 もっぱら仕事に比重を傾けた生活をしているアラサー腐女子が、いい年してそんな厨二病な夢を見るわけがない。

 気分転換にゲームの中で世界を救ったりしていたものの、動かしているキャラに自分を重ねたことはなかった。

 好みだと思うキャラがいても、せいぜい小遣い程度の課金や多少の時間を捧げて育てるレベル。

 だからオタク友達に「これ絶対○○さんの好きなタイプのキャラ出てるから!」と言われて、趣味でもない乙女ゲームを押し付けられた時も、これも付き合いだとプレイしただけ。

 ヒロインと自分を同一化する傾向にはなかった。たぶん、自分には夢属性ってのがないのだと思う。

 いや、プレイする以上はヒロインを応援してはいた。

 でもそれは人の恋愛を見て心躍らせる野次馬根性に過ぎない。人並み以上に恋愛物は好きだけど、それを自分の身に置き換えるのはもぞ痒くて、絶叫したい気持ちになってしまう。

 あれは他人事だから無責任に楽しめるのだ。

 そんなわけで、現状私は自分の置かれた状況に冷や汗が止まらない。


 だってこれは、──ゲームで見た世界だ。


 オタク友達に付き合ってプレイした、あの乙女ゲーム。

 ゲームが出来たからこの世界があるのか。それともゲーム製作者がこの世界を偶然にも接触する機会でもあって、再現したのか。

 鶏が先か卵が先か、という話なので論じる気はない。

 これがどんな世界かわからないけど、私が置かれているのは現実らしいのだ。

 思い出してしまったその乙女ゲームの内容を必死に思い返して、とにかく今は部屋から顔の綺麗なこの男……

 私の異母兄である、第一皇子を追い出さなければいけないとだけは理解していた。


 私はこの世界の攻略キャラたちに、『今の私』の秘密を決して知られるわけにはいかない。


 生憎、生まれ変わったらしい私の置かれている立場はゲームのヒロインではない。ライバルの悪役令嬢でもない。

 そして残念ながら、モブでもなかった。


 私はあの乙女ゲームの主要キャラの一人、攻略対象である第二皇子に生まれ変わったらしい。


 それだけなら、まだよかった。

 いや全然よくはないけど、ただの乙女ゲームだったなら平和でラッキーだと思っただろう。地位も名誉も約束された、しかも第二皇子だなんて責任感も軽めで人生イージーモードで行けそう、とか思ったのだけど。

 ……しかしゲームでは記載されていなかったと思うけど、本来ならばこの『私』は王位継承権など持たない、というのが大問題として横たわる。


 実は第二皇子と言いながら、私の本当の性別は継承権のない『女』なのだから。


 ──この秘密が知られたら、私は王を、そして国を謀った大逆人として処刑されかねない。

 かといってなんとか王になったとしても、当然ながら子を成せなくて王家は終わり。



 どう足掻いても死亡フラグしか待っていない私の人生は、ここから始まってしまったのだ。



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