球なら大体好きにできる玉木さん

賽の目

一学期

 僕は今、ある人に脅されてこの文章を書いている。名前は伏せておくけど、その人物は同じクラスの女子だ。ここでは仮に「玉木たまきさん」としておこう。


 僕と玉木さんは特別親しいわけではなかった。

 確かに席は近いけれど、それだけのことだ。僕の席は教室の窓側列の最後尾、いわゆる〈主人公席〉。その一列隣には幼馴染みのミスミが座っている。

 ミスミと僕は幼稚園からずっと同じクラスで、高校でもまるで当然のように同じクラスになった。ちなみに僕たちが同じ高校を受験したのは「家から通える距離にあるから」という、あまり積極的ではない理由が一致したからだ。

 気心の知れた関係だから、僕たちは休み時間、授業中とを問わずお互いにちょっかいを出し合っていた。彼が「ドゥシ」と口で擬音を発しながら脇腹を突いてくるのはしょっちゅうだったし、僕が授業中に退屈紛れで消しゴムのカスを飛ばすことも一度や二度ではなかった。


 そんなある日、僕たちのふざけ合いに冷や水を浴びせる人物が現れた。

 言わずもがな、玉木さんである。


 玉木さんは僕の前の席に座っている。配布物を回すとき以外に、彼女がこちらを振り返ることはほとんどなかった。この時も、三者面談の日程調整表が配られたところだった。


「イチャついてるところ悪いんだけど」


 その声には明らかに怒気が含まれていた。

 思い返してみても、たしかにこの時の僕らは盛り上がりすぎていた。ミスミがラグビー部の先輩から教わったという動画の話か何かをしていたはずだ。


 僕は謝りながら、玉木さんから差し出された紙を受け取った。

 けれど彼女の怒りは収まらなかったようで、向き直る際に「目ん玉くりぬくぞ」と低く呟く声がはっきりと聞こえた。

 怖っ。

 僕は竦み上がり、何も知らずに話し続けるミスミの言葉は何も入ってこなくなった。 

 これが一学期に玉木さんと僕が交わした最初にして唯一の会話である。いや、一方的に言葉をぶつけられただけかもしれないけど。


 彼女と口を利くことはそれ以来なかったものの、彼女の姿は否応なく目に入ってきた。前の席にいるのだから当然だ。

 「目ん玉」の一件以来、僕は玉木さんにすっかり怯え、後ろ姿を見ていることも憚られた。丁度制服が夏服に替わった頃だったから、何かしらのハラスメントで訴えを起こされる気がしてならなかったのだ。

 それでも前を向かぬわけにはいかないので、少なくとも彼女の背中に焦点が合わぬよう黒板に集中した。

 そうして授業を受けた結果、学力は見る見る上がっていき、期末試験では学年トップ、クラスでも一目置かれる存在に——とはなるはずもなく、そもそも集中が十分と持たず、僕は隣で居眠りをするミスミの頭に消しゴムのカスを飛ばし始めた。要は玉木さんの背中から意識を逸らせれば何でもよかった。


 ところが、新たなカスを生成しようと机に消しゴムを擦りつけていたら一瞬魔が差した。

 顔を上げてみると、玉木さんの肩越しに横顔が見えた。

 彼女は机に頬杖を突いたまま、窓の外を眺めていた。


 校庭では他のクラスの男子が体育の授業でサッカーの試合を行っていた。小豆色のジャージは僕らと同じ一年生だ。

 選手たちはそれぞれ赤と青のビブスを着ていた。

 サッカーのことは詳しく知らないけど、赤の選手ばかりがボールを持っているように見えた。シュートを打つのは赤ばかりだ。

 だけど、シュートは一度もゴールに入らない。青のキーパーの手にも触れないほど、大きくゴールを外れている。

 下手だな、と素人観客特有の傲慢さでそんなことを思う。僕だったらたぶん、ドリブルだってままならない。

 それでも眺めているうちに、それが妙な光景だと素人目にも思えてくる。

 いくら何でも入らなすぎる。

 入るかに見えたコースでも、途中でボールが軌道修正して、ゴールから外れていくようでさえある。


 玉木さんは気付いているだろうか。

 声を掛けて確かめたい、と浮かんだ欲望を、僕はすぐに呑み込んだ。

 どうやって声を掛けるつもりだ? 「あの試合、まるでボールがゴールを避けているみたいだよね」とでも言うのか?

 玉木さんの怪訝そうな顔が目に浮かんだ。それこそハラスメントとして受け取られるか、悪くすると「目ん玉くりぬ」かれるかもしれない——


 やがて玉木さんは先生に指され、教科書の一節を読み始めた。

 校庭では赤いチームがようやく一点決める。しかし、彼女が再び窓の外に目を向けると、赤いチームのシュートは再び外れ出した。


 まさかな。

 僕は思った。

 けれど、それは「まさか」なんかじゃなかったのだ。

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