第27話
「姫川さん、何してるの?」
「ちょっと、ツブヤイッターを……せっかくだから更新しちゃった」
下校途中のカフェの端席。
裕樹は頼んだカフェラテをこぼさないよう、細心の注意を払いながら盆を置いた。紗希が椅子を引いて座りやすいようにしてくれる。気配りが細やかだ。
紗希は頼んだカフェラテも写真に撮った。何やらワイフォンを操作しているので、その写真もツブヤイッターに載せるのだろう。
裕樹も一時期は頻繁に投稿していたが、今となっては苦い思い出だ。悪いことばかりでもなかったけれど。
ふと、裕樹は違和感を覚えた。何だろう。何の変哲もないワイフォンだが、だからこそ何だか物足りないような――。
「姫川さん。昨日つけてたストラップは? ほら、猫の」
「……あっ」
ハッと紗希がワイフォンを持ち直す。何度かくるくると持ち直した彼女は、すぐに肩を落とした。
「やだ、落としたみたい……昨日慌てて逃げたときかな……」
しゅんと彼女の眉が下がる。はあ、と憂いを帯びた息がこぼれ落ちる。
――また彼女を気落ちさせてしまった。上手くいかない。
「何だかごめん……」
「ううん。私が勝手に落としたんだし。むしろ石井君には感謝だよ。私のために何とかしようとしてくれてありがとね」
「そんな……」
ワイフォンをしまい込んだ紗希に笑みを向けられ、裕樹は頭をかいた。気まずげにカフェラテに口をつける。
「有馬君を待たなくて大丈夫だったかな」
「私がピアノの稽古に間に合わなさそうだったから……ごめんね」
「姫川さんが悪いんじゃないよ!」
悪いのは口裂け女だ。紗希が気を病むのは間違っている。
力説すると、紗希はぱちぱちと数度瞬いた。それもすぐに破顔する。
「石井君は優しいんだね」
「い、いやあ……」
「ポマード買うのも付き合ってくれたし」
「それくらいお安いご用だよ。念には念を入れたいしね」
ガサリと席に置いていた袋を手に取る。中にはポマード。どれがいいか分からず、三つほど買ってみた。
一緒に中を見た紗希が、真剣な表情で頷く。しかしそれもすぐに困ったような顔に上書きされた。ストローでくるくるとかき混ぜながら、彼女もまたカフェラテに口をつける。
「それにしても、口裂け女かぁ。実感湧かないなぁ……。あんなに近くで見ちゃったら、信じないわけにもいかないけど……」
「まあ、そのくらいの感覚が普通じゃないかな」
「秀君はそういうの、詳しいんだよね?」
「うん。有馬君はテキトーなことばっか言うけど……嘘はつかないみたいだから。安心していいと思うよ」
「秀君、優しいもんね」
「……そうだね」
ハタと気づく。――そうだ。自分より、紗希の方がきっと秀についても詳しいだろう。秀も紗希も人との関わりは多岐にわたっている。一方で自分が彼と関わるようになったのはつい最近のことだ。
ふふ、と紗希が微笑む。
「最近、石井君と秀君ってよく話してたもんね。そんなことまで知ってるなんて仲いいんだね」
「……そんなこと」
ない、と思う。自分は彼について、ほとんど知らない。知ろうともしなかった。
(それにしても、よく見てるな……)
地味な自分のことまで見えているなんて。彼女が学校で人気があるのも分かる気がした。決して顔の可愛さだけではないのだろう。
ぐっとカフェラテを飲み干す。
「行こうか。暗くならない内に送るよ」
「ありがとう」
何をナイト気取りなのかと、こっそり自嘲する。だが、ここまで関わってしまった手前、放っておくことなどできなかった。
――それに。多少の勝算は、あった。
裕樹はワイフォンを握りしめる。秀がいなくても、自分だけでもやれることはきっとあるはずだ。
そもそも秀の話では再び口裂け女が現れるかどうかも怪しかった。現れないならそれでいい。平穏に過ごせるならそれで――。
カフェを出ると、外の風は熱気がこもっていた。涼しい店内から出たせいで余計だ。むわっとした空気の塊が纏わり付いて離れない。ワイフォンを握る手にじっとりと汗がにじむ。
「明日は体育だねー。マラソンやだなぁ。いっそ雨が降っちゃえばいいのに」
「え、あ、ああ……そうだね。雨が降ったら、何になるかな」
「バドミントンだといいな!」
「そっか、そうだね」
紗希に他愛のない話を振られ、しどろもどろに答えながら足を進める。ただでさえ会話が苦手なのに、周囲に気を配っているせいで散漫だ。居たたまれない。それでも、この場から逃げ出すわけにはいかない。
紗希の持つ袋がガサガサと音を立てている。左右に視線を送っていた裕樹は、遅れて、持ってあげれば良かったことに気づいた。しまった。気が利かないと思われてしまうかもしれない。大して重いものではないけれど。
「姫川さん、それ……」
コツ、と後ろから足音が聞こえ、裕樹は息を呑んだ。とっさに振り返る。
大学生くらいだろうか、女性がワイフォンを見ながら歩いていた。コツ、コツ。裕樹たちを抜かした彼女は、何もないところで躓いた。「んもぅ!」と苛立ったような声を上げ、歩くスピードを速める。行ってしまう。
(歩きながらワイフォンをいじるのは危ないな……)
当たり前といえば当たり前のことを思い、そろそろと息を吐く。ふと横を見ると、紗希は小さく笑っていた。
「姫川さん?」
「だって石井君、すごく緊張してるから」
「そりゃあするよ、僕なんて非力なんだし……って、昨日も同じようなこと言ったか」
「ほんとだ」
「むしろ姫川さんはよく笑ってられるね」
「石井君が一緒だからかな」
「……え……」
はにかんだ紗希に、心臓が跳ねる。とたんに身体がぎくしゃくし始めた。油を差し忘れたロボットみたいだ。右手と右足を同時に動かして、つんのめりながら曲がり角を曲がる。
そうして、ロボットみたいだった裕樹の身体は、エンストを起こしたように固まった。
電柱の陰に佇む人影に、既視感を覚えずにいられない。
「……姫川さん」
「う、うん」
あまり意味のない確認を終え、二人はじりじりと後ろへ下がる。
目の前に現れたのは、やはりと言うべきだろう、口裂け女だった。赤いコートがハタハタとたなびく。白いマスクが目に焼き付く。カツン、とヒールが鳴った。カツ、カツ。カツン。
「姫川さん下がって!」
叫び、裕樹は握っていたワイフォンを持ち直した。震える手でボタンを押し、画面をタッチ。アプリを起動。『妖怪に用かいアプリ』。――秀が使っていたものだが、裕樹もインストールしていたのだ。無料で助かった。ネーミングセンスのひどさには目をつぶろう。
「これで……!」
画面のカメラマークをタップ。読み取り画面を呼び出し、口裂け女にカメラを向ける。照準を合わせ――ボタンを押す!
「……変わらない!?」
裕樹は思い出す。百々目鬼のこと。文車妖妃のこと。いずれもアプリで撮ると、憑きものが落ちたかのようにその場は鎮まった。凶行は、収まった。
何度も。何度も押す。しかし口裂け女の歩みは止まらない。怯んだ様子もない。ただ、ゆらゆらと歩み寄ってくる。
「何で……!? 有馬君のワイフォンならできたのに……!」
「い、石井君!」
紗希が、袋からポマードを取り出した。裕樹は頷く。蓋が開いたそれを受け取り、振りかぶり――投げつける。
口裂け女は、それを受け止めた。受け止めたものを見て、
「ぽっ……」
――勢い良く、放り投げた。
「ポマードは嫌ああああああああ」
「!?」
口裂け女らしからぬ――と言っていいものか――悲鳴を上げ、うずくまる。思った以上に効果覿面(てきめん)だった。大丈夫かと思うほど。
「石井君、今の内に!」
「あ、ああ!」
紗希に手を引かれ、裕樹は無我夢中でその場から駆け出した。
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