第7話

 今年の冬はとても寒い。

 今日も雪こそ降ってはいないけど例年の数倍冷えているし、併せて薪や暖を取れる魔道具の値段もじわじわ高騰している。


 王都では問題なくても僻地や寒村あたりでは凍死者の話もちらほらあるらしい。


 そんな中で、薄い服一枚で道に倒れている子供。

 当然放っておくなんてことはできない。

 慌てて御者に別邸の応接室に連れていく許可を出した。


 貴族の邸宅なので使用人や御者が私か母の許可なく人を連れ込むことは当然許されていない。私が動かないと使用人に出来るのはせいぜいこっそり教会に通報するだけになってしまう。


 もともと幼い子供は保護される世界だ。

 更にアランドルフが倒れていた場所は私の住む屋敷のすぐ近くで、逆に教会は遠い。

 いくらなんでもキャラと関わりたくないからと見殺しには出来ない。だってどう考えても助かるより凍死する可能性の方が高いから。

 ついでにもしここでアランドルフを見捨てて、それを誰かに見られていた場合ものすごく外聞が悪いってのもある。


 まあ、攻略的な意味合いもあるのだけれど――。



 アランドルフを連れて別邸に帰宅する。

 身元のわからない人間を客室に通す訳にもいかないので、応接室の三人がけのソファに寝かせた。

 暖炉で暖められた部屋は外に比べれば段違いに暖かいのでだいぶマシなはずだ。


 使用人に母と、本邸の父に連絡するように頼み、御者に教会へ子供を保護した旨を伝えに行ってもらった。

 教会は子供の保護に積極的なのでそんなに時間をかけずに引き取りに来てくれるはずだ。


 もちろん、いくら子供でも男女、――しかも片方は身元もハッキリしていない――が二人きりになるはずもなく、部屋の隅には別の使用人が控えている。


 ソファにちんまりと収まるエルフの男の子をそっと見下ろす。

 アランドルフ・ルーデンス。



 ゲームでは幼い頃ルチアに拾われ命を救われて以来、盲目的にルチアを慕うエルフ。


 両親は子供の頃に起きた異様な寒波で身体を壊し他界していて、六歳の子供がひとりで生きていくにはその年は最悪だった。


 本来ならこの年頃の子供は即座に近所の人が保護したり、教会に引き取られる。だけど彼はエルフであったためにそれらが叶わなかった。

 人種差別があるわけではない。

 むしろその逆で、エルフという種族は総じて整った容姿をしていて好まれやすい。アランドルフも、とても整った容姿をしている。


 故に、トラブルにも巻き込まれやすい為エルフは排他的な性格の人が多いのだ。

 彼の両親もそういったトラブルを嫌がり、周囲の人間と交流をほとんどとっていなかった。

 アランドルフが居ることを近所の人が知らないほど、彼は閉じた世界で暮らしていたのだ。


 当然、急にひとりになってしまったアランドルフに頼れる大人がいるはずもなかった。



 そんなアランドルフは両親の死後まともに生活できる訳もなく、ふらふらと歩き回り、やがて力尽きる。

 そしてたまたま通りかかった私に拾われ、そのまま住み込みで従者見習いとして保護され原作に至るというわけだ。


 ちなみにこのアランドルフ、実はゲームでは拾わない選択肢も選べる。

 が、その場合ルチアは死ぬ。

 見て見ぬふりをして通り過ぎる時にうっすら意識のあったアランドルフに馬車の家紋を覚えられ、教会に保護された彼はパラディン家の娘が自分を見殺しにしようとしたと知る。

 そして恨まれ、学園に入る前に、オープニングさえ流れずルチアは刺されて死ぬのだ。


 ある意味逆恨みに近いのだが、困ったことにアランドルフはかなり思い込みの強いタイプのキャラだった。

 極限状態の中で見殺しにされかけた記憶は根強く彼に残り、執念で復讐にくる。

 乙女ゲームのシナリオとしてはあんまりだ。


 ただ乙女ゲーム的にここでアランドルフを拾わない選択肢を選ぶユーザーはほぼいないので、世間では隠しバッドエンドと言われやり込み要素のひとつとされていた。

 やり込み要素がバッドエンド。

 どんな乙女ゲームだと当時親友に突っ込んだものだ。


 アランドルフを拾った理由の攻略的要因がこれだ。罪悪感とかだけでも放置できるわけが無いのに、拾わなかったらバッドエンド。

 現実とシナリオ、どちらを考慮しても私が彼を拾わない選択肢はなかったのだ。


 そんなアランドルフとのルートは命の恩人と盲目的に慕う彼に、幾多の困難を助けてもらいつつ共に乗り越え、これから先もずっと一緒にいて欲しいと願うと言う王道なものだ。


 拾ってしまえば命の恩人補正で元から好感度の高い状態で始まる彼のルートの難易度は低いので、手始めにアランドルフを最初の攻略キャラにするユーザーは多いらしい。


 シナリオ上ではパラディン家に引き取られそのままルチアの従者になるのだが、私は彼を攻略する気は無い。

 おとなしく教会に保護してもらおうと思っている。


 そんなことを考えながらアランドルフをぼんやり眺めていたら、ごそりと彼の体が動いた。


「んん……」


 暖まったからか意識を取り戻したアランドルフの目が開く。

 透き通った新緑の、若葉のようなグリーンの瞳だ。

 綺麗な金の髪がさらりと揺れる。


 ソファから上体を起こした彼と目が合った。



 その瞬間、見るまに蕩けていった彼の表情に、嫌な予感で背筋が凍る。ゾワゾワと皮膚が粟立つ。



 そんな、ばかな。

 だって私はまだひと言も喋ってない。

 ただアランドルフを見ていて、意識を取り戻した彼と視線があっただけだ。


 それなのに、まるでにとても大切なものを見たかのような、宝物を見るかのようにとろけきった視線。

 さがる目じり。

 緩む頬。

 凍えて色のなかった頬に血色が戻る。


「あなたが、助けてくれたのですね」

「ひっ」


 喜色ののった、甘い声だ。

 思わず悲鳴じみた声が出た。


 彼の瞳に映る私は酷い顔をしていたのに、アランドルフはそんなことは関係ないとばかりにさらに喜色を顔に浮かべ、幸せそうな顔をして私を見ている。



 ――――気持ち悪い。



 直感的に感じたのはそれだった。


 おかしい。

 普通この状態で、瞳に最初に浮かぶのは困惑ではないのか?

 見知らぬ場所で、見知らぬ人に顔を覗き込まれていた。そんな状況ですぐさまこんな幸せそうな顔が出来るものか?

 ただでさえエルフは人族に好かれやすく、本人達はあまり人族に友好的ではないのに?



 ふと、ヒロイン補正、なんて言葉が頭に浮かんだ。


 アランドルフの急激な変化に納得出来る理由が他に思い浮かばなかった。

 いくら盲目的に慕うにしても、何の事情も説明されていない状態であれ程無条件に好意を持てるものだろうか。

 ゲームでは拾ったあとの詳細なやり取りは描かれていない。選択肢の後はオープニングとして簡単なムービーが入って、幼少期のステータス決め用の選択肢以外は学園入学前まで時間が飛ぶのだ。


 だから、アランドルフがここまで好意的なのが原作通りなのかそうじゃないのか、私は知らない。

 この世界はゲームじゃなくて現実で、時間が飛ぶなんてことも有り得ない。だから、保護した後の描かれていなかった数年間で好感度が上がっていくんだとばかり思っていた。


 もしヒロイン補正があるなら、やめて欲しい。

 そんなものは望んでいない。必要ない。

 私は普通に、普通の恋がしたい。

 最初に考えていた、攻略対象からの恋愛感情は本物か、と言う疑惑がより深くなった。

 だってどう考えても、はおかしいでしょ。



 これ以上彼の視線を受けていたくなくて慌てて声を絞り出す。

 私が声をかけた瞬間よりいっそう幸せそうな顔をしたアランドルフを極力視界に入れないように、床に視線をやりながら。


「目が覚めたなら、使用人を呼んできます。教会に連絡して保護してもらえるようにしているはずです」

「あなたの名前は? 」

「道で倒れていたので、応急処置としてここに連れてきましたが、そのうち教会の人が来ると思います」

「名前を教えてほしい」


 話が噛み合わない。こわい。

 ややパニックになりながら、一方的にまくし立てて急いで部屋を出ようとする私の腕をアランドルフが掴んだ。

 熱心に顔を覗き込んでくる。

 立っている私とソファに座って上体を起こした彼の視線の高さはほぼ同じなのに、わざわざ体をかがめて覗き込まれたことに更に恐怖がわいた。

 私の手首を掴む手の予想外の力強さに鳥肌がたった。


 控えていた使用人が近寄る前に反射的に体が動いた。


「っ私に触らないで! 」


 ぱしん。掴んでいたアランドルフの腕を逆の手で叩く。私を拘束していた手から力が抜け、その隙をみて無理矢理振りほどいて急いで部屋を出た。


 普段は走るなんてマナー的に許されないが、そんなことを考えている余裕なんてどこにもなかった。

 ただただ、あの得体の知れない瞳から逃げたくて。

 後ろから追ってきている使用人のことも、頭から抜け落ちていた。


 はじめて人を叩いた掌が、じんじんと熱を帯びている。


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