乙女ゲヒロインは攻略対象から逃げ出したい

わい

第1話


 私がハッキリと自分の存在が異質だと言うことに気づいたのは、三歳の頃だった。





 三歳の私こと、ルチア・パラディンは子供らしいふくふくとした小さな手を握りしめて、大きな水色の瞳にめいいっぱいの涙を溜めていた。


 ふわふわの銀髪は肩口まで緩やかに波打っていて、太陽の光を受けると淡く水色がかったきらめきを見せる。

 雨上がりの水溜まりのように輝く、薄い水色の丸い大きな瞳。

 瑞々しい果実のように艶やかな、少し小ぶりのふっくらとした唇。

 高すぎず低すぎず、けれどしっかりと顔のメリハリを主張するスッキリとした鼻梁。


 ひとつひとつが素晴らしい完成度のパーツが絶妙なバランスで配置された顔は、誰が見ても可愛らしい。どちらかと言えば守りたくなるような、庇護欲を掻き立てる、柔らかい美貌。


 ふっくらと柔らかい、三歳児らしい丸みを帯びた輪郭から、成長して子供の幼さが抜ければさぞ絶世の美少女になるだろうと誰もが口にするような整ったものだ。


 そんな私が、類稀な容姿を抜いたとしても庇護されるべき年齢である幼児の私が、今にも大声で泣き出してしまいそうな雰囲気で涙をこらえている。当然、周りの大人は慌てていた。


 普段であればなんとか慰めようとする周囲の様子をみて、涙を堪えたり機嫌を直したりできるのだが。その時の私の脳内は別のことでいっぱいいっぱいで、周囲の状況どころではなかった。


 まわりを気にして涙を堪える事など出来ずに、せりあがる激情のまま瞳に溜まっていた涙は決壊し、ぼろぼろと大粒の雫を零しながらついに泣き出してしまった。


 ぐちゃぐちゃとした大きな感情がなんなのか、まだ幼い発展途上の情緒では判別しきれない。


 ただただ感情に流され泣くだけなのだが、それとは別にこのきもちは「やるせなさと怒り」であると冷静に判断するもう一人の私が頭の片隅にいた。




 もう一人の私は、私ではなかった。



 正確には私がルチアとして生まれる前、今とは全く違う常識の世界で普通に生きて、生活して、笑ったり泣いたりしながら日々を過ごしていた記憶と、そこで構築された人格だ。


 そもそもをして、私が今人目もはばからずに大泣きしているのはこの記憶が関係している。



 三歳になるまでの私は、この記憶の通りに思考しようとする脳に成長が追いついていなかったのか、長く物事を思考することが出来なかった。


 当然だ。成人した大人の思考を生まれたばかりの赤ん坊が出来るはずもない。身体の、そもそもの機能自体が追いついていないのだから。


 そのせいでついさっきまでの私はこの記憶と人格をハッキリと理解できていなかった。



 それでも理解できないながらに記憶の中のとおりの動きを無意識にしようとして、うまく出来ずに泣き。何かを考えようとしたのに現実の体が追いつかず、すぐにわけがわからなくなってまた泣く。


 周囲の大人からしてみればお腹が減っているわけでも排泄をした訳でもないのに、唐突に癇癪を起こして泣いているように見えたはずだ。すぐに不機嫌になって泣く赤ん坊。


 そんなとても良く泣く、普通の赤ん坊よりもさらに手のかかる存在だった。


 一歳、二歳と成長するにつれ、出来ることが増えた。

 ままならないながらもある程度思ったように動けるようになり、感情に直結していた思考も、少しずつ長く考えることが出来るようになってきていた。


 そして三歳になって、脳内の記憶と人格をハッキリと自覚したのがつい先程だ。

 生まれてからの三年間をしっかりと振り返ることが出来た瞬間に、自分の異質さに気づいた。


 その衝撃に三歳の未発達の脳内が耐えきれずに、現在号泣していると言うわけだ。


 おろおろとしている大人の気配を感じるけれど、もうしばらく泣きやめそうになかった。

 三歳の私の体はこの衝撃を何事も無かったかのように飲み込める程、成長していないのだ。





 かつての私は、もう二十代後半にさしかかろうかというくらいの成人女性で、結婚を控えた恋人がいて、オタク趣味の親友がいた。

 普通に生きていたその私の記憶はある日プツリと途絶えている。


 たぶん、そのプツリと途絶えたあたりで死んだのだろう。死因も経緯も分からないが、自分の死に方など覚えていたくもないのでそこについて言及する気は無い。


 大事なのは、私は一度死に、そして、私の記憶と人格を持ったまま、ルチアとして生まれてしまったと言う点だ。


 そして私には、ルチア・パラディンという名前に聞き覚えがあった。そして今の自分のこの見た目にも。



 そう、私はこのキャラクターを知っている。


 ルチア・パラディン。


 それは、私の親友が作ったシナリオ選択型乙女ゲームの、ヒロインのデフォルト名だ。

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