今宵も魔女は寝られない

氷垣イヌハ

第1話 夜は、ねむたい

 人はみんな、夜は眠るべきだと思う。

 この考えは間違っているんだろうか?


 今すぐ綺麗に洗われ、お日様の香りのするふかふかのベッドで眠りたい。

 そんな私の願いをあざ笑うかのように、空に浮かぶ月はニタリと細く笑いかけてくる。今は夜更け。普通、街中の人々は寝ている時間だ。


「ねえ、もう帰ろうよ~。寝不足はお肌の敵だよ?」


 私がそう言うと目の前を歩いていた相棒はため息をついて振り返った。

 

「魔女は若い姿のまま年を取らないのに、何言ってるんですか?」


 月にきらめく金糸の髪を翻し、青く澄んだ湖面のような瞳を私に向ける。

 純白の美しい刺繍が施された膝丈スカートに胸元だけを覆う金属製の鎧。

 私の身を守ってくれる頼れる相棒にして保護者代わり。


 少女剣士、ニコラ。この子が負ける光景は想像もつかない。


 彼女は腰に下げた剣の柄にしっかりと片手を据え、今も周囲に気を配ってくれている。頼れるとは言っても彼女も女の子。こんな夜更けに出歩くのは本来危険よくないことだ。 


「いやいや、いくら若くてもお手入れしないとお肌は荒れるよ?」

「そうですね。もう少しで化粧水もなくなります。そして、それを買うお金もです」


 彼女はそう言いながらやれやれと首を振る。


「魔女のくせに、そんなに夜が怖いんですか?」


 そして、いつものごとく私へのお小言が始まった。

 

「夜が怖いんじゃなくて、暗いのにこんなところに来るのが怖いんだよ‼」


 私たちがいるのは鬱蒼と茂る森の中。私は手に持った杖を強く握りなおして震えだす。

 木々の切れ目から辛うじて月明かりが差し込むものの周囲は闇に覆われている。

 その奥からは何者かが動きまわる草木の擦れる音と低く響く唸り声が聞こえる。

 思わず小さく悲鳴を上げる。


 もういつ襲われてもおかしくないこの状況を怖れないなんてどうかしている。

 まだ十代前半の私たちのような女の子だけでこんなところに居て言い訳がないのだ。


「諦めてください。これが仕事なんですから。明日、ご飯抜きでいいのなら帰ってもいいですけど?」


 腰に付けた剣の柄に手を置き周囲を警戒したまま、美しい少女は私を咎める。


「ぐぬぬ、貧乏が憎い。こんな危ないことしてるのに我が生活は一向に楽にならず……」

「『ぐぬぬ』とか本当に言って悔しがる人は初めて見ました。やっぱりあなたは面白い」

「面白がるなんてひどいよ。人がこんなに嫌がってるのに」

「いいから、行きますよ。まったく、食費だけでなく女所帯はいろいろとお金がかかるんですから。きびきび働いて早く帰った方がいいではないですか?」


 そう言うと我が親愛なる相棒の少女、ニコラは進む先に顔を戻した。

 仕方ない、怖いけど仕事をせずにはいられない。

 この森の中にいる目的の相手を探し歩みを進める。生きていくにはお金がいる。


 まったくもってこの世界も世知辛い。この世界に転生して早数か月。

 この危険すぎる毎日の生活にそうそう慣れるはずもない。

 そう、私は本来この世界の住人ではない。いつの間にかこの世界に迷い込んでいたのだ。平和なあの世界からしたらこの生活はちっとも慣れない。


「そろそろってところですか。ステラ、準備を」


 ニコラは私の名を呼ぶと腰の剣を抜き放ち正眼に構える。


「で、でたあぁ……」


 私は情けない声をあげながらもニコラの背に隠れつつ現れた敵の姿をその目に収めた。

 ふらふらとしたおぼつかない足取りで暗闇の中から現れた影。その数は三つ。

 森の木の葉や泥をかぶり薄汚れたぼろぼろの服を着て私たちの前に躍り出た者たち。

 その体はすでに朽ち始め、肉は剥げ落ち一部からは白い骨がのぞいていた。

 その姿に思わず酸っぱいものがこみあげてくる。何度目であっても慣れはしない。

 彼らにもうすでに命はない。生ける屍、アンデッド。


 私達がここに来た目的の相手だった。

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