第23話 講談1・お力(22)

であるならばいかがでしょうか?お客様。彼我の善悪を常に問い、これを責めたり許したりしている我々は、いかにも小児人なのではないでしょうか?人の、我々の心、なかんずく表面意識などいかにも浅薄なものです。その奥にはすべての世の中の規範を越えた潜在意識が、魂の領域がございます。この領域に達することは、これは常人では仲々叶いません。しかし数々の艱難辛苦と絶望の末に、奇しくもここに、魂の光の領域(許し、愛し、慈しむ世界)に達し得た一葉であるならば、我々はその抱擁の内に身を任せるべきなのではないでしょうか…。

 さて!(張り扇一擲!)あの方(客B)の横槍のせいで斯くも長き講談となってしまいました。へへへ。えー、では最後に、一葉の名歌一首を添えましてお力を弔い、終わりと致したいと存じます。


「いさゝ川渡らばにしきと計(ばかり)に散(ちり)こそ浮かべ岸のもみじ葉」〔※いささ:小さい〕


まさにこの歌の通りのことでございます。あの紅葉すれば美しい、高木となる楓(かえで)ではあってもそれが川岸に生えているならば、歩いて向こう岸に渡ることはできません。当たり前、へへへ。しかし美しく紅葉したもみじ葉であるならば、木から散ってこそ、あちら岸へと、彼岸へと渡ることがあるいは叶うやも知れません。そのもみじ葉とも云うべきお力は散って(散らされて?)彼岸へと、なかんずく悟りの彼岸へと到達できたのでしょうか?原文の「恨(うらみ)は長し人魂(ひとだま)か…」を見る限りそうとは思えませんね。御霊は浮かばれずに迷うたままなのでしょう……しかし、しかしですよ、皆様。ここで改めて私が問いたいことは、このお力を殺めた憎っくき源七とは、これはいったい誰でしょう?何なんでしょう?……

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