第18話 講談1・お力(17)
「魂祭(たままつり)過ぎて幾日、まだ盆提燈のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり、一つは駕(かご)にて一つはさし擔(かつ)ぎにて、駕は菊の井の隱居處よりしのびやかに出ぬ、大路に見る人のひそめくを聞けば、彼の子もとんだ運の悪い詰らぬ奴に見込まれて可愛さうな事をしたと云へば、イヤあれは得心づくだと言ひまする、あの日の夕暮、お寺の山で二人立ち話をして居たと云ふ確かな證人もござります、女も逆上(のぼせ)て居た男の事なれば義理にせまつて遣つたので御坐ろと云ふもあり、何のあの阿魔(海女)が義理はりを知らうぞ湯屋の歸りに男に逢ふたれば、流石に振離(ふりはな)して逃る事もならず、一處に歩いて話しはしても居たらうなれど、切られたは後袈裟(うしろげさ)、頬先(ほゝさき)のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる處を遣られたに相違ひない、引かへて(それに比べて)男は美事な切腹、蒲團屋の時代から左のみの男(女遊びなど、いい加減な男、落語言葉で云う半公)と思はなんだがあれこそは死花(しにばな)、偉(ゑら)さうに見えたと云ふ、何にしろ菊の井は大損であらう、彼の子には結構な旦那がついた筈、取逃しては殘念であらうと人の愁ひを串談に思ふ者もあり、諸説乱れて取止めたる事なけれど、恨(うらみ)は長し人魂(ひとだま)か何か知らず筋を引く光り物のお寺の山と云ふ小高き處より、折ふし飛べるを見し者ありと傳へぬ」
と、かかる名調子にて一葉はお力の最後をまるで新聞報道で事実だけを伝えるように、ただ淡々と描いております。お力の無念のほども源七の男冥利と云うか覚悟のほども、2人それぞれの口を使っては何も述べておりません。
〔※「にごりえ」引用はすべて文藝倶樂部・青空文庫から〕
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