第7話 講談1・お力(6)

(観客の拍手に)いやー、どうもどうもどうも。盛大な拍手をありがとうございます。しかし我ながら本当にいい声だ。榎本美佐江張りの科と云い…プロの歌手真っ青(つぁお)の講釈師、わたくしであることです。ねえ?「いいぞお!おか…」わっ、また。シっ、黙って。お客さん、あんたさっきからうるさいな。あんたまさかストーカーどもの回し者じゃないでしょうね。ホントにもう…。ま、いいや。えー、それで(空咳)そのお力ですが、彼女の強い鬱屈の分けは、思いまするに、生真面目だったからと云うよりは〝自分への思い入れが強すぎたのだ〟と私は見ます。一端(いっぱし)のシャンとした町娘でいたい、いい人と夫婦になって堅い所帯を持ちたい、という気持ちを捨て切れない。他の女たちのように酌婦になったらなったで仕方がないとは割り切れないのです。換言すれば例の明治一代女の歌詞「浮かれ柳の恥ずかしさ」がお力は強過ぎた。つまり、先の〝自分への思い入れが強すぎた〟ということです。しかしそれはなぜか?…それは、お力を作者・樋口一葉の写し絵と見るならばその理由(わけ)はおのずと明らかです。一葉ほど自分の心の在り方と人生への思い入れが強かった人物を私は他に知りません。人と云うものはは斯くあるべし、人生は斯くあるべしを常に念頭に置いて、自らの作品もまた、さ(そのように)あるべしと…そう〝したかった〟分けです。然るに!(張り扇一擲)一葉の貧窮の人生は周知の通りで、一銭一円の金の為に彼女は日々どれほど心を悩ませたことでしょうか。それは一葉が詠んだ短歌「とにかくも超えるを見ましうつそみの世わたる橋や夢の浮き橋」に痛いほど表れております。どうかしますと、久佐賀義孝なる人物に彼女一葉は身を売ったと、そう後世の評論家たちに勘繰られてさえおります。

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