天使様と最低な僕

72g

第1話 天使様と404

 僕は最低な人間だ。

 最低というのは最も程度が低い人間ということだ。

 性格が最低、成績が最低、人間としての価値が最低、とか。

 どんな意味の最低にも当てはまるくらい。


 彼女は最高な人間だ。

 最高というのは最も程度が高い人間ということだ。

 見た目も中身も存在も何もかもが最高だった。

 最も低い人間の僕が触れられる存在ではないくらいに。

 まるで天使の様な、そんな人間だ。

 そうだ、ここでは天使と呼ぼう。

 僕の中ではずっと天使なのだ、永遠に。


 17の春から18の春の間に僕は色々なことを卒業した。

 学校、童貞、誰かに頼ること。

 兎にも角にも大人になったのだ。

 でも、それ等は他人から見てではなく自己満足的なもの。

 客観的に見た僕は今でも子供のようだろう

 それでいいのだ、それがいい。

 アダルトチルドレン、ありふれているだろう。

 人間、何かに属した方が気が楽なのだ。

 マジョリティ、母数は多い方がいい。


 そんな最低な人間のとある最高な青春の話をしようと思う。

 たったの1年、それでもいつまでも忘れられない1年の。

 そろそろあの春の匂いが思い出に変わってきた。

 もう、大丈夫、だから。


 高校1年の3月。

 あと少しで2年に上がる、まだ春休みだった。

 寒さが残る冬の終わり、僕は天使に出会った。

 その日、僕はバイトを首になった。

 レジ金を盗んだと罪を擦り付けられた、冤罪だ僕はそんなことはしていない。

 職場で誰とも絡まず陰気な僕に罪を擦り付ける、簡単な事だ。

 誰もが安易に信じるだろう。

 給料は振り込まれるのだろうか、と頭の中でぼんやりと考えながら時折痛む腹を押えた。

 口の中が血の味がする。

 少し休憩しよう、少し休んだらマシになるだろう。

 そう思い公園のベンチに腰かける。

 10分程経ったところだった。

「ねえ、大丈夫?」

 いきなり人間の声がするものだからビックリして

 「ひっ」

 なんて情けない声が漏れた。

 恐る恐る顔を上げてみるとそこには天使がいた。

 天使のような人間、人間のような天使。

「あはは、そんなびっくりしなくてもいいじゃん、冴木静さえきしずかくん」

「な、なんで僕の名前…」

もしかして彼女は本当に天使で僕の事を救いに、なんて考える暇もなく

「え!ひどい!覚えてないの?他のクラスだけど、委員会で何回か会ったことあるよ?天塚凜音あまつかりんね

 彼女、天塚凜音はひどいなんて言っておきながら無邪気に笑う。

「…学校の人間には興味ないから」

「確かに、そんな感じするー!で、その怪我どうしたの?」

 怪我?怪我なんて…ああ、彼女から目を逸らすのに必死で痛みを忘れていた。

「なんでもないよ、君には関係ない…放っておいて」

「でも、口切れてるし…お腹も痛い?喧嘩?カツアゲ?集団リンチ?」

 よく喋る天使だなあ。

 誤解を与えるのもなんだか天使様の気に触る気がして、僕は正直に答えた。

「バイト先で金を盗んだって冤罪をかけられて、ボコられて首になった」

 彼女は目をぱちくりさせて。

「わー、災難災難」

 と他人事のように、否他人事だから軽く流した。

 確かに災難だ、怪我をした上にクビになった、金が必要なのに。

「てか、冴木くんってバイトしてたんだね、うちバイト禁止じゃん」

「皆してるだろ」

 すると彼女は少し驚いたように。

「ほえー、多数派なんだ、以外。少数派だと思った。ルール違反はしないタイプかと」

「僕は多数派だよ、母数が多い方が楽だ。それに金がいる」

「へー。なんでお金がいるの?」

 興味があるのかないのか適当な相槌を打ちつつ質問してくる。

「行きたい場所があるんだ、やりたいことがある」

「またまた以外、推しとかに使うのかと思ってた。オタクかなって」

 それは見た目の偏見だ、内心バカにしてるだろと思いながらもあながち間違ってはいない。

 バイト代はアニメのグッズやゲームにも使ってしまっている。

「…別に」

「ってことは、今職探し中?」

「うん…」

「うちのバイト先来ない?丁度人足りてなくてさー」

 天使なのにバイトしてるのか。

 人間界と天界では通貨が違うのか?

 内容によるが今は話に乗りたい気持ちだった。

「なんのバイト?」

「清掃」

「そんなバイトしてるの?大変じゃない?」

 意外だった、彼女が働くとしたら、似合う場所はカフェや雑貨店だと思ったからだ。

「大変だよ、だけど給料超高いからさ」

「清掃で?」

「うん、普通じゃないけどね」

「ふ、普通じゃない清掃って…何、」

 ラブホテルか?それともヤクザのマンション?等と思いつつ問いかける。

「死体の掃除」

 予想以上の返答に思わず声が大きくなった。

「そ、そんなバイトしてるの!?高校生で、できるわけ…」

「冴木くん、この世界に出来ないことはないよ?」

 天使はにっこりと笑っていた、キラキラとした目で最低な僕を見つめながら。

「で、どーする?来る?」

「き、給料は…?」

「1つ清掃する度に3万。高いでしょ?」

 そんなバイトの相場なんて知らないからなんとも言えないが普通のバイトに比べると高い、高すぎる。

 高校生の僕にとっては大金だ。

「1日に1つじゃない時もあるからねー。多い日は5つも掃除した事あるよ」

「15万、やばいよねっ」

 ケラケラと無邪気に笑う。

 その笑顔とは裏腹に、死体を個数で数えるところに闇を感じる。

「で、できるかな。僕に…」

「君ならできるよ、冴木くん」

 なんの根拠もなしに、だけど彼女は自信満々に僕の目を綺麗な、全て見透かす様な瞳で真っ直ぐと貫く。

 なんで、と野暮なことは聞くまでもない。

 僕はできるのだ、天使様が言うのだから。

「わ、わかった…やってみるよ」

「そう来なくちゃ!じゃ、早速事務所行こ?怪我の手当もしてあげる」

「じ、事務所…危ないとこ?」

「危なくないよ、みんな優しい。まあ、社不の集まりだけどね」

 社不、社会不適合者の事だろう。

 この子もその、社不なのか?

 そうか、天使だからなのだ。

 天使だから人間社会に適合していない。

 そうに違いない。

「わ、わかった…」

「ここから10分くらい駅の方に歩くの、だけどお腹痛いよね?歩ける?タクシー呼ぼっか」

「ご心配なさらず…別に、これくらいなら歩ける、ここまでも歩いてきたし」

「そ?じゃあ行こっ」

 彼女がさも当然の様に僕の手を握る、手を繋ぐ。

 天使なのにあたたかい、天使だからなのか?

 なんだか胸がきゅっとなる、さっきの傷が急に痛くなる。

 優しさが染みて目が滲む。

「どうかした?あ、もしかして人に触られるのやだった?私距離感バグってるらしいから嫌なことしてたら言ってね?」

「あたたかい、」

 少し滲んだ目元を見て彼女が言う。

「佐伯くんさ、もっと人と関わろうとか思わないの?彼女作ろうとかさ」

「彼女どころか友達すらもいないよ、僕には」

「でも今、人と関わるの嫌じゃないって思ったでしょ?」

 ゆっくり歩きながら目線を足元にやる。

 見事に図星をつかれたから、何となくいたたまれなくなった。

「…別に」

「わたしの前では素直な冴木くんで居てよ、ね?」

「わ、わかった…」

 彼女の光のような柔らかな笑顔に思わず頷いてしまう。

 これは罠かもしれない、悪魔が天使に化けて僕を騙そうとしてるかもしれない。

 だけどつないだ手の温もりが、今とてつもなく愛おしい。

「やったー!」

 彼女の足取りが軽くなる。

 先程より少し浮くような。

 それにつられて僕もしっかりと歩けるようになった、彼女のペースに合わせて。

 合わせてというか、引っ張られてるに近いけども。

 暫く、彼女の言った通り丁度10分程で事務所とやらに到着した。

 繁華街の路地裏のいかにもヤバそうな廃墟みたいなビル。

 その前で僕は立ち止まる。

 あんぐりと口を開けて呆然とそのビルを見上げる僕に対し、彼女は慣れたようにエレベーターのボタンを押す。

「ここのビルヤバいでしょ、幽霊とか出そうだよね」

 ケラケラ笑いながら彼女が言う。

「幽霊ならまだいいけども…」

「えー!幽霊嫌じゃん!何だったら嫌なの?」

「や、ヤクザとか半グレとか…人間の方がよっぽど怖いよ…」

「だいじょーぶ!ここには怖い人は居ないよ」

 と言いながら4階で止まった。

「404号室がうちの事務所ね」

 ドアが空いていきなり玄関があるタイプじゃなくてよかった、心底そう思う程に僕はびびってる。

「もう入るよ?」

「ま、待ってもうちょっと時間が!心の準備が!」

「あ」

 ドアの前でモタモタしてるとガチャリとドアが開き中から背の高い男性が出てきた。

 20代後半だろうか、顔がえらく整っている。

 ダボッとしたスウェットを着て煙草を片手に気怠げに、「入るんならとっとと入れよ」と促した。

まるで僕が見えてないかのように、又は僕がいる事が当たり前のように。

「ごめんごめん、冴木くんの心の準備待ちだったの」

「言ってた冴木ってこいつか」

 恐る恐る事務所の中に入るとソファに座りながらその男性は僕を見る。

「そ!あー、さっき連絡しておいたんだ。冴木くんも座って」

 だから当たり前のように受け入れてくれたのか。

 天使が空いている自分の隣をポンポンと叩き隣に座るように促す。

「俺は永見、ここのオーナーだ」

 少し威圧感を感じ目を逸らしそうになるのを我慢する。

 眼球をブレさせないように真っ直ぐに永見さんを見る。

「まず、ここの説明だな。ここは死体清掃屋。虫、動物、人間。小さなものから大きなものまで幅広く、死体があった場所をまるで無かったことにするのが俺達の仕事だ」

 永見さんは淡々と喋り続ける。

「ふぁ〜あ」

 天使が隣で暇そうに欠伸をする。

 それも気にせず淡々と。

「お前、死体は見たことあるか?なんの死体でもいい」

「あります」

「なんの死体だ?虫、動物、人間」

 目を逸らさず僕は答える。

「人間です」

「お前はそれを見てどう思った?」

「どうも思わなかったです、ただ臭くて汚いなと」

 永見さんはハハッと笑う。

「なら合格だな。今日からよろしく、冴木」

 永見さんは手を差し出す。

 少し躊躇いながらも手を握る。

 あたたかい、大きくてごつごつとした男の手。

 天使とは違う。

「よ、よろしくお願いします」

 今日は人に触れ合うことが多いなとふと思った。

 僕は内心ドキドキしてる、良い意味で、だ。

 ここから非日常が始まる、そんな気がして。

 このつまらなくて最低な日々から抜け出せる、そんな希望を抱いたりなんかして。

 仕事の説明や諸々の手続きが終わった頃にはもう天使は眠っていた。

 まるで創られた人形の様に綺麗な寝顔に釘付けになっていると、急に彼女が目を覚ました。慌てて目線を逸らす。

「おはよぉ…もう終わった?」

天使がまだ眠たそうに目を擦りながら問いかける。

「終わった、今日はもう帰っていいぞ」

「今日は仕事ないの?」

「もうない」

「ふーん、じゃあ帰ろっか、冴木くん」

「お、お疲れ様です!これからよろしくお願いします」

自分が発した「これから」という言葉に、これからここで働くんだ、と実感した。

「ああ、明日から仕事あるから来いよ」

「はい!ありがとうございました!失礼します」

「おつかれ、ながみちゃん。またあしたねー」

 軽く会釈して事務所を出る。

「よかったね!採用してもらえてー」

 天使が嬉しそうに微笑む。

「うん、紹介してくれてありがとう」

「いえいえー。冴木くんって死体見た事あるんだ」

「まあ」

「知らない人?」

「家族」

「ありゃ、聞かない方が良かったねごめんごめん」

 申し訳なさそうに、でも軽く、天使が謝る。

「いいよ別に。もう、大丈夫、だから」

「そっか、ならよかった。あのね、もう寂しくないよ!私がいるもん!」

 そう必死に見つめながら言う天使に思わず笑みがこぼれる。

「ははっ、心強いよ」

「わー!初めて冴木くんが笑った!すごーい!記念日だ!」

 ただ僕が笑っただけで子供のようにはしゃぐ彼女を見て少し安心する。

 今日話をしたばかりなのに、心を全部許しそうになる。

「でも、いつか話して欲しいな。冴木くんの事もっと知りたいし」

「お互いにね」

「うん」

「じゃあ私こっちだから!また明日ね!てか学校始まったら学校でもお話してね!」

 別れ際に彼女がそう言う。

「い、いや学校ではちょっと…」

「よろしくねー!」

 聞こえないふりをして強引によろしくされる、まあいいか。

 独りじゃないのも悪くないと思ったから。

 夜21時、もう外は暗い。腹が減った。

 そういえばまだ晩飯食べてないなとふと思い出す。

 いつも通り弁当、コーラ、ポテトチップスを買いにいつものコンビニへ行く。

「唐揚げ弁当…いや、のり弁でいいか」

 いつもと違うものを食べてみる、それも悪くないかと思った。

 今日はいつもと違うことをする、そんな日。

 レジを済ませ家路に着く。

 小さなボロアパートの404号室。

 家に入り鍵をかけ手洗いを済ます。

 そういえば事務所も404だったな。

 ふと思い出す。

 その数字が頭の中をぐるりと回る。

 404 …Not Found。

 存在しない?いや、僕は確かに今ここに存在している。

 気付いたら偶然に過ぎないはずのこの数字をスマホで調べていた。

 エンジェルナンバーというものがあるらしい。

 よく見かけたり妙に気になったりする【天使からのメッセージが込められている数字】だそうだ。

 エンジェルナンバー404の意味は噛み砕くと【正しい方向へ進んでいる】ということらしい。

 こんなもの、普段は信じないが僕は今日天使に出会った。

 だからきっと正しい方向へ、彼女が導いてくれるだろう。

 他力本願でもあるが少し気が楽になった、気がする。

 気付いたら弁当を食べ終わっていた。

 ポテチとコーラは明日にしよう。

 今日はもう疲れた。

 新しいことが沢山あったから、僕の脳はパンク寸前だ。バグが起きる前に寝てしまおう。

 サッとシャワーを浴び歯磨きを済ませベッドに横たわる。

 その日の記憶はそこで終わった。

 

 

 

 

 

 

 



 


 

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