火の鳥を探して

佐藤 かえで

プロローグ


 「ママ、ママ!」


 考え事をしていた彼女は、娘の呼ぶ声にハッと我に返る。

「お腹すいたよ、エマ、ご飯食べたい。」

「今ご飯にするね。エマ、パパに何食べたいか聞いてきて。」


 望月さくらはどこにでもいる30代の主婦だ。

5年前にフランス人の夫と結婚し、今は夫と二人の子供たちとパリ近郊に住む。

4歳になる娘を出産してから体型を気にしている。しかし海外暮らしに慣れなくて、アジア人なんて今時パリなら珍しくもないのに人目につきたくないのか、ジムはおろかジョギングにすら行かない。

趣味は絵を描くこと、写真を撮ること。

しかし、最近は平日、語学学校へ通っているため、ほとんど趣味に時間を割けずにいる。

フランス語は夫と交際し始めた時から始めたが、働きながらだった為かあまり上達していない。

そうは言っても、渡仏時は挨拶程度だったのが今ではフランスの義家族と雑談できるまでになった。

彼女の今の目標は、日本でもやっていた臨床心理士の資格をフランスで取ることだ。

その第一歩としての語学学校だが、先は長い。


 「サクラ、俺が作るよ。クロワッサンはまだあったっけ?」

「あ、もうないよ。バゲットもないし、米しかない。」

ピューターンなんてこった!なんで昨日買い物に行った時に言わなかったんだい?いいよ、マルシェで買って来る。」

「忘れてたよ、ごめんごめん。」


 パリでエンジニアとして働く夫と2人の娘との日常は実に幸せそのものだった。


 そんな一見順風満帆な人生を歩んでいる彼女に誰かがこう尋ねたとしよう。

「どうせ、お父さんは大企業の社員か何かで、お母さんは専業主婦で、習い事はピアノのお稽古とか英会話とかやってたんでしょ。苦労なんかしたことなさそう。」

彼女は大抵、話を合わせるためにそれを否定することはないだろう。


  彼女は、決して真実を語ることはないだろう。

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