第2話 魔法使いの弟子

 教室の移動中にぶつかられ、アルビが振り返った先にはデネボラのせせら笑いがあった。


「おっと、失礼。こちらに人がいることに気が付かなかったよ、ちっぽけアルビ君。」

「吐き気がしてよろけたんじゃないのか、薔薇吐きデネボラ。」


 勿論彼等のやりとりは教師が現れるまで続いた。

 元々彼等に仲の良い時期などなかったが、薔薇吐き騒動があってからは益々デネボラ達との諍いが増えていた。

 魔女屋敷の黒衣から貰った鉢によってデネボラの内に根付いた薔薇は、吐き出されるとすぐに溶けてしまった。勿論鉢植えを調べても普通の薔薇でしかなく、何かの見間違いだったのではないかという結論に落ち着いたのだ。


「父様に云いつけてやるからな!」と息巻いていたが、結果が芳しくなかったのであろうことは先刻のような小競り合いしか持ちかけてこないところで窺える。

 とはいえ、勝ち誇ってばかりもいられない。人数で云うとこちらの方が分が悪いし、一々突っかかってこられるのも鬱陶しい。


「俺達には敵わないって思い知らせてやるんだ。」


 面白い悪戯を思いついた時の顔をするアルビに、レオは不安半分、好奇心半分で尋ねる。


「そんなの、どうやって?」

「魔法使いの弟子になるんだよ。」


 魔法使い、と云われてレオは黒衣の如何にも気難しげな顔を思い浮かべた。


「まさか、魔女屋敷に行くつもり、」

「それ以外に当てがあるか?」

「とても弟子になんてしてくれないと思うよ。」

「行ってみないと分からないだろう。どんなに気難しく見えたって、お年寄りっていうのは元気な子供とのふれあいを求めているものなのさ。」


 疑わしげに見ながらも、レオが反対することはなかった。

 少年なら誰だって、魔法使いの弟子になってみたいものなのだ。



 後日母親に作ってもらったフロランタンを携えて、双子は再び魔女屋敷にやってきた。

 アルビが姿勢を正して呼び鈴を押そうとしたとき、ひとりでに開いた扉を見て双子は目を見張る。

 勿論扉の向こうには人がいて、彼等が最も会いたくない人物達の顔をしていた。


「あれぇ、ジェミニ兄弟じゃないか。お前達もご機嫌取りに来たのかぁ?」

「言葉は正しく使え、ギェナー。俺達はこいつらと違って植物の勉強に来たんだからな、」

「サディルの云う通りだよ。本日は本当にお世話になりました。とても有意義なお話を聞かせていただきました。」


 デネボラ達は扉を開けてくれた白衣に優等生のような顔で一礼し、去っていった。

 アルビ達の方へ向き直った時だけ人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた後で。

「あいつら絶対魔女達に取り入って味方につけてやろうとしてるぜ。まさか、デネボラに手を貸したりなんかしないよな、」


 客間に通され、紅茶と共に出してもらった高級そうなチョコレート菓子を頬張りながら憤慨するアルビに、黒衣は冷ややかな目を向ける。


「別に僕は君達の味方になった覚えもないがね。それに誰かさんと違って彼等はとても良い子だった。ちなみにそのお菓子、デネボラのお土産だよ。」


 一瞬動きの止まったアルビだが、お菓子に罪はないと判断したのか、再びチョコレート菓子に手を伸ばした。


「このフロランタンも美味しいよ。君達のお母さんの愛情がこもっている。」

「ありがとう、ええと、」

「そういえば名前を云ってなかったね。俺のことは、ルゥとでも呼んでもらおうかな。」

「ありがとうルゥさん。フロランタンはママの一番得意なお菓子なんだ。」


 ルゥとレオの穏やかなやり取りを尻目にアルビは黒衣に向けて訴える。


「良い子に見せかけるのが奴等の手口なんだ。大人相手には優等生ぶるんだから全く性質たちが悪い。」

「まあ確かに、君等よりは彼の方が余程問題を抱えているようだが……」

「そらみろ!」

「それより君達は何をしに来たんだい? 茶菓子の匂いを嗅ぎつけた訳でもないだろう、」


 そう問われて、双子は居住まいを正す。


「俺達を弟子にしてください。」

「嫌だ。」


 きっぱり断られたが、想定内とばかりアルビも食い下がる。


「なんでもやります! 魔術書の整頓や、魔道具や箒の手入れとか、魔法薬の材料採取とか、」

「どうせ気に入らない奴を魔法でやっつけてやりたいとかそんな動機だろう。そんなのに付き合ってやる暇はないよ。」

「まあまあ。やらせてみたら意外と才能があるかもしれないよ。君の姉さんたちだって双子だろう。」

「あれは。この子たちはどう見たってだろう。別に適性は感じないね。」


 二人の会話を聞いて、そういえば、とレオがアルビに囁く。


「前サードって呼ばれてたよね。上に二人いるからサードなのかな。」

サード・ウィッチ三番目の魔女か。なんかサンドウィッチが食べたくなる。」

「そろそろ帰る相談かい?」

「いや! 弟子にしてくれるまで帰りません!」


 うんざりした顔の黒衣に、ルゥが再びとりなすように声をかける。


「それじゃあ試験を行うのはどうかな。狼尾草ろうびそうが足りなくなりそうだって云ってただろう。彼等が無事に狼尾草を取って来られたら弟子にしてあげたら。」

「彼等を狼の森に行かせるつもりかい。……お前が人に甘いのか厳しいのか分からなくなってきたよ。」


 狼の森とは街外れの方にある鬱蒼とした森のことだ。その名の通り狼が生息していて危険だと聞く。


「なに、お守りがあるから大丈夫だよ。どうかな君達。やっぱり狼が怖いかい、」

「行かせてください! 俺達、試験に合格してみせます!」

 木々の葉が繁った昼なお暗い狼の森。

 双子は泉の周りに生えているという狼尾草を目指して奥へと進んでいく。


「危ないものに遭遇したら思いっきり遠くへ投げろって云われたけど、狼自体にぶつけるんじゃないのか?」


 ルゥから貰ったお守り袋を矯めつ眇めつ眺めながら、アルビは疑問を呟く。


「会わないのが一番だけど……喋りながら歩いた方がいいのかな、」


 本当に危ないなら子供達だけで行かせはしないだろうと思いつつも、レオは不安そうに辺りを見回している。

 泉自体は意外とあっさり見つかり、狼尾草は充分収穫することができた。

 後は来た道を帰るだけ、と少し安心した双子の前に人影が立ちはだかった。


「お前達、誰だ。」


 フードを深く被ったその男は低く唸るような声でそう尋ねてきた。

 恰好からして狩人のようだが、どこかおかしい。

 はあはあと息が荒く、時折体がぐらついている。


「俺達、プエル・アストラ校の生徒です。ちょっと狼尾草を採りに来ただけで……」

「狼尾草! 狼か。狼の臭いがするぞ。」


 狩人は益々息が荒くなり、猟銃をこちらに向けた。

 銃口はぐらぐらと揺れているが、今にも引き金を引いてきそうでアルビ達は戦慄する。


「早くお守りを……!」

「あっち行け、――!」


 現代では表記しづらい言葉を叫びながら、アルビは思いっきり遠くへお守りを投げた。


「アゥッ、バウワウワウッ!!」


 狩人がお守り目掛けて駆け抜けていった隙に、双子は脇目もふらず出口へと走っていった。

「ただいま~……」


 くたくたになりながら戻ってきた双子をルゥが出迎える。


「おかえり、怪我はしてないかい?」

「怪我はないけど足と心臓が筋肉痛になりそう。」

「なんだよあの変な奴、狼なんかいなかったし。」

「彼も可哀想な犬なんだよ。自分を狩人のおじいさんの息子だと思い込んでいて、狼を仕留めればおじいさんが帰ってきてくれると思っているらしい。」


 犬が人間の振りをしていたのだと知り、双子は驚くが納得もする。


「お守りの中に白い毛が入ってたけど、あれが狼の毛?」

「おやおや、お守りの中身を見ちゃいけないよ。」

「そんなことより、これで懲りたろう。魔法使いになろうなんて思ったらもっとひどい目に遭うかもしれないんだから、よした方が良い。君は相棒の考えなしよりは賢いんだから分かるだろう、今回はたまたま助かっただけなんだってね。」


 聞かれたレオは皆の視線が集まって少し気後れしたようだったが、朗らかに答えた。


「確かに危ない目に遭うかもしれないけど、今だって見守ってくれてたんでしょう? 一瞬そこの鏡面が揺らいで見えたもの。僕達もうサードさんがそんなに悪い人じゃないって分かってるんです。ちゃんと狼尾草を採ってきた僕達を弟子にしてくれますよね。」


 黒衣は心底嫌そうに顔を歪め、苛立ちを込めた溜息をついた。


「……先生と呼びたまえ。常に敬意を払うように。」

「分かりました、先生!」


 こうして魔法使いの弟子となった双子は喜び合い、魔法を使った夢のような光景を想像するのだった。

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