第43話
ルクリア王国の隅の隅、誰にも知られないような村——そこから少し離れた所にある今にも壊れそうな古びた家。
私——リボルヴィアはそこにいた。
村へは次の街へ向かっていた最中に通り過ぎただけだった。
なのに、ここにいる理由は懐かしい人物に出会ったからだ。
フェリクス——母様の妹で、私にとっては姉のような存在。彼女の姿を村で見かけた時は心底驚いた。
しかも——。
「ママ、お腹減った」
「ちょっと待ってねリコ。今お客さんの相手をしているから。あなた、お願いして良い?」
「あぁ、構わないとも。姪っ子なんだろう? 僕は席を外すからゆっくり話すと言い」
「パパ、やー」
「リコ!? そんな直球に嫌わなくても良いんじゃないかな!?」
フェリクスに良く似た少女——耳は森人族の半分程度——が男に抱き抱えられて外へと出ていく。窓からその男とデレディオスが話し合うのが見えた。
狭い部屋に二人っきり。何も起きないはずもなく——いや、違う。そうじゃない。変なことを考えるな。真面目にしろ。
どうやら入って来た情報が多すぎて混乱状態にあるらしい。落ち着け、私……よし、落ち着いた。
「まさか、フェリクサがこんな所にいる何て思っていなかった」
「私もよ。まさか、リアが里の外に出ている何て、しかも一緒にいるのが闘人族何て驚いたわ」
それもそうだろう。
私も知人がデレディオスと旅をしている姿を見たら驚く。
それからフェリクサがどうやってこの村まで辿り着いたかの話をしてくれる。
フェリクサと一緒に攫われた森人族は十数人程度らしい。
全員が女性で、一度に買われたようだが、そこから先はフェリクサは語ろうとはしなかった。ただ、青白い表情をするだけ。
余程辛いことがあったのだろう。なんせ、生き残ったのは一人だけなのだ。どんな悲劇があったのか、聞くことなどできない。
話を逸らすために男について聞いてみる。
「フェリクス、あの只人族の男についてなんだけど……」
「なぁに?」
「…………えっと、結婚……しているのか?」
少し頬が赤くなるのを感じる。
やっぱり人並みに憧れは持っているからだろうか。
そんな私を見てフェリクスの顔から悲しげな表情が消えてニヤリと意地悪な笑みが浮かんだ。
「んふふーそんな頬を赤く染めちゃって……あなたにもそんな感情があったのね。少し安心」
「安心?」
「だってあなたはずっと一人で里の古臭い考えの森人共に虐められていたからね。それこそ黒神のようにどす黒く衣を纏うんじゃないかって怖い表情をしていた時もあったし、心配だったのよ」
「私、そんな表情していたか?」
そんな表情をしていたとは思わず、驚く。
いつやっていたのか、自分では身に覚えが無かった。
「していたわよ。でも、今はそんなことはないわね。うん、里の外に出たのが良い影響になったのかな。それとも素敵な出会いをしたから?」
「素敵な出会いって?」
「何言っているの。女の素敵な出会いは一つしかないじゃない。誰、誰なの? もしかして——」
フェリクスの視線が窓から見えるデレディオスへと行く。
なるほど、素敵な出会いとはあれか。恋、というやつだろう。だが、残念かな。私は結婚というものに憧れてはいるものの、今の所で合う男に対し恋愛感情を持ったことはない!
「ない、あれはない。あれだけは絶対にない」
「そんなに否定しなくても。てっきり、強い人が好きなのかと思ったのに。ほら、窮地を救ってくれる人なんて素敵じゃない?」
そう口にするフェリクスの視線はデレディオスの隣にいる男へと移った。
馴れ初め何て聞いていないけど、少しだけ察する。あの男がフェリクスを救ったのだろう。
「私は救われるだけの
「あら、じゃあ何が良いの? 英雄と肩を並べて戦う相棒?」
「ううん、私が最強になって私の後ろを歩かせる」
「リア、あなたのそれは魔王の考え方よ」
少しの笑い声が部屋に木霊する。
懐かしい雰囲気だ。母様と会話をするほどではないけれど、フェリクスと話す時も温かな気持ちになれる。
「というか、まだあの男との関係を聞いていない」
「あ、バレたか。そうね、結婚はしたいと思っているけど、結婚はしていないわよ」
「そんなあっさり……」
今の今まで話をはぐらかされていることに気付き、指摘すればフェリクスはあっさりと関係を告げる。
しかし、したいと思っているのにしていないとはどういうことか。というか、子供は結婚してからではないのか。
「結婚はしていないのか?」
「えぇ、彼はここの村の出身だから、結婚式を挙げるのなら、この村で何だけど。ここは異種族には厳しいからね。彼の親族からも私は嫌われているの」
「……もしかして、村から離れている所に家があるのもそう言う理由?」
フェリクスは私の問いに笑顔を見せる。
答えのない答えに私は自分の口にした言葉が合っていたのだと直感した。同時に村人に対し、怒りが湧いてくる。
「どうする? 処す?」
「やめなさい。剣を抜かなくて良いから。それよりも、あなたのことを聞かせてよ。何で里から出てきたの? 任務でも言い渡された?」
あぁ、そうだった。
フェリクサの言葉で私は重要なことを思い出す。
私の近況を報告していなかった。
そして、近況を報告するならば、言わなければならないこともある。私にとって最も辛い、思い出さない様にしている記憶についても。
「——うん、分かった」
できれば、この楽しい気持ちのままでいたかった。
でも、聞かれてしまったのなら、答えなければならない。
心を静めて語り始める。
知らない間に母様が人攫いに誘拐されたこと。
アルバ様も誘拐され、罰として私が追放されたこと。
獣人族の里で捕まったこと。
只人族の国で戦争をしたこと。
それから——ようやく出会えた母様は既に息を引き取っていたこと。
「——そう」
静かに、フェリクスが唇を結ぶ。
「あなたも、辛かったわね」
「うん、あれは言葉にはできないものだ」
目の前が真っ暗になった。何をして良いのか分からなくなった。
あの状態から動けたのは、認めるのは癪だがデレディオスのおかげだろう。本人は発破をかけたつもりはないだろうが、デレディオスの言葉がきっかけになったのは確かだ。
「ねぇ、フェリクス」
「何?」
「あなたはこれからどうするつもりなんだ?」
「私はここで過ごすつもりよ。村人からは時折嫌がらせみたいなものを受けるけど、子供と旦那様と離れたくはないもの」
「只人族と寿命の長さは違うぞ。何時か必ず一人になる」
「知っている。でもね、私は今、あの人たちと一緒にいたいの」
その言葉からは強い意思が感じられた。
きっと彼女は今幸せなのだろう。不自由のある暮らしをしていても、それを上回る幸福があるのだろう。
純粋に羨ましく思う。
「そう言うあなたはどうするの?」
「私? 私はこれからも奴隷になった森人族を探し続けようと思っている」
「……これからもって、まさかこれまでずっとやってきたの?」
「うん、だって助けなきゃいけないだろ」
フェリクスの問いに首を傾げる。
森人族が攫われたのだから、助ける。それは当然のことのように思える。
何で分かりきったことを聞くのだろうか。
「ねぇ、リア……」
「何?」
「何故、あなたは奴隷になった森人族を助けようとしているの?」
「それは、どういうことだ?」
意味が分からず、また首を傾げてしまう。
フェリクスは私をじっと見た後、問いかけて来る。
「森人族についてあなたが思っていることを教えてくれる?」
「え? 分かった。輝術に優れているけど、打たれ弱い。傲慢、自分たちは綺麗だと思っているけど内面はそんなに綺麗じゃない」
「彼等のことは好き?」
「好きじゃない、むしろ嫌い」
「……嫌いなのに、森人族のことを助けるの?」
そう問いを投げられて、言葉を失う。
森人族と言われて思い浮かぶのは、私を嗤った、罵った、蔑んだ連中だ。
人攫いに攫われた者たちの中にも、そんな連中はいた。
だけど、私は彼、彼女たちを助けた。助けなければならないと思っていた。
フェルクスに指摘され、今になって疑問に思う。何故、私はあの人たちをあんなにも助けようと思っていたのか。
「あなたはさっき追放されたと言った。ヴェネディクティアも無くなった今、あなたは本当の意味で自由になった。やれることは他にもあったはずよ。なのに、何で一番最初にあなたをあんなに虐めた森人族を助けようと思ったの?」
「……えっと」
「ごめんね。意地悪をしようとしてるんじゃないの。少し心配なの。人間って嫌いな人間や無関心な人間が酷い目に遭ったとしても、自分さえ良ければって考える人が普通だから。なのに、嫌いな人たちを助けるために、あなたは自分から危険な場所に飛び込もうとしている」
自分さえ良ければ、か。確かに当てはまるな。セルシア王国の軍の司令官は思いっきりそれに当てはまる。そして、それは私にも言えることだ。
フェリクスの言葉を咀嚼し、意味を理解していくにつれて、自分の行動が分からなくなっていく。
可笑しい、私は何でこんなことをしていた?
あんな奴等を助けたいと思ったのは何故?
憐れに思ったとか、そんなことを感じる優しい性格じゃないのは私自身が一番知っている。
「————」
「リア……」
心配そうな目をしてフェリクスが私の手を握って来る。
重ねられた手から、ほんのり暖かさが伝わった。
長い沈黙の末、私は言葉を絞り出す。
「アルバ様が心配、なの……だから、私が助けなきゃ」
輝力がなくて、体力もないあの人がどうなっているのか。
里ではアルバ様とは気さくな仲で、相手をするのが楽だった人だ。彼女を私は助けるために旅をしている。他の森人族はおまけだ。
私はそう自分自身に言い聞かせた。
「おかあさんっ」
「あ、こらリコッ」
丁度その時、リコが扉を開け放ち、フェリクスの懐に飛び込んだ。後ろからは男が着いて来ている。
母親に甘えたくて我慢できなかったのだろう。フェリクスに甘えるリコの表情はこれまで甘えられなかった分を取り戻すかのようにグリグリと頭をお腹へと押し付けており、小さな手は放すまいと衣服を皺くちゃに掴んでいた。
「むー」
涙目でリコが私を睨んでくる。これ以上、母親を独占するなとでも言いたげだ。
「フェリクス、これ以上お邪魔したら悪いから私はもう出るよ」
「え、もう行ってしまうの!? 一晩だけでも泊まったら良いのに……」
「いや、やめておく。私はその年頃の子を泣かせたくはない。母親の独占はできる時にした方が良いからな」
荷物を纏め、腰に剣をぶら下げて扉へと向かう。
この家に泊まるのも良いが、それは迷惑だろう。私とデレディオス二人の寝る場所もないし、生活環境を見る限り、今フェリクスたちはギリギリの生活をしているように見える。
負担になって、フェリクスの幸せを崩したくはない。
「あ、ちょっと待って。これ、持って行って!」
扉を出た所で呼び止められ、足を止める。
渡されたのは包みだ。中からは懐かしい匂いがした。
「これって——もしかして果実?」
「そ、あなたこれ好きだったでしょ。旅の最中にでも食べて」
「良いのか? こんなに」
「えぇ、せめてこれぐらいはしたいの。あなただって私の家族だもの」
「——ありがとう」
家族という言葉に頬が緩む。
暖かさを感じられる場所があるのはとても良いことだ。
短い別れをして歩き出す。
離れるのは寂しいが、私たちは森人族だ。
長い年月の中でまた出会えるだろう。そう思うことにして、後ろに生きそうになる足を前に進ませた。
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