第24話

 地を這う獣が木々の間をすり抜けて迫って来る。

 地面を抉る大きな爪に、毒の牙。触れるだけで皮膚を斬る刃の毛皮。それが一匹ではなく数十匹となって襲って来る。


「シッ——」


 牙を剥いて襲い掛かって来る所に合わせて剣を振るう。が、相手はひらりと身を翻し、剣を躱す。その直後、続いて襲って来た獣が牙を剥いて来た。

 最初に襲って来た獣の影に隠れていたせいでほんの少し反応が遅れる。


「クソ、この犬が!!」


「フハハハハ! 翻弄されているなぁリボルヴィアよ!!」


 私を中心にして円を描くように展開している獣の名はキャニス。見た目だけなら狼のような風貌をした怪物である。

 森人族の里にはいなかった怪物だ。

 斬ろうにも毛皮は想像以上に硬く、一個体のように連動して動くので非常に動きが取り辛い。


「三匹目!!」


 真上に飛び、落下速度を利用して剣を突き立てる。

 だが、深く突き立てたせいで今度は剣が抜けなくなった。その間に怪物たちは襲って来る。

 毒牙が私に届きそうになった瞬間、大きな拳が怪物の頭に落とされた。


「ふむ、今日はこんなものか」


 今日もまた、私は目標を達成できなかった。

 焚火を挟んで座り、食事の支度をする。

 デレディオスの傍には鶏肉が置かれており、私の傍には山菜の山が置かれていた。


「お主に必要なのは、第一にもっと強力な肉体だな」


 旅を始めて三日。セルシア王国、今はエトア王国か。エトア王国の国土を抜けて私たちはロンディウム大陸中央地方を目指しつつ、修行をしていた。

 バリエル聖国の方面にも行こうかという意見はあったが、速攻打ち捨てた。

 バリエル聖国は異種族差別が激しい国だ。只人族以外は無能、無価値、無意味としか思わない連中が多い。

 そんな所に闘人族と森人族が行けばどうなるか考えるまでもない。説法をされるなら良いだろう。罵倒もまだ良い。狩りが行われるのなら森人を探す処ではない。

 そんな訳でバリエル聖国の方面ではなく、中央地方へ行くことになった。

 中央地方には最大の国ルクリア王国もある。そこでなら何か情報を得られるのではないかと考えてのことだ。


 しかし、真っすぐルクリア王国を目指している訳ではない。その道中に森人族のことを探すために周辺の村々を回っているのだ。

 無論、道中での修行も欠かさない。

 今一番の悩みはその修行だろう。


「強力な肉体かぁ。それは森人に求めるのは無理がない?」


「お主は剣士を目指すのだろう? ならば、肉体の強化は必須だ」


「そう言われても……」


 デレディオスの言葉に山菜を齧りながら自分の腕を見る。

 細い腕だ。筋肉もあまりついておらず、余計な肉も付いていない。


「筋肉負荷訓練でもするか」


「いや、お主が訓練しても筋肉は今のままではつかん。まずは食生活を見直さねばな。こいつを食べるが良い」


 目の前に差し出されたのは鶏肉。しっかりと焼かれているが、残念ながらそれは私の好物ではない。


「何がという訳なんだ……ご飯ならここにあるけど」


「これも修行よ。森人族が肉類を好まぬのは知っているが、剣士になるならば肉を喰わんとな。でなければ筋肉は付かん」


 思わずしかめっ面をする。

 森人族が肉や魚を食べないと知っているのに食えと言う何て酷過ぎないか。本当に食べなきゃ筋肉は付かないんだろうか。

 クソ野郎並みに筋肉が付いた自分自身を想像する。強くなるのは良いけど、あれみたいになるのは嫌だ。クソ野郎と同じと言うのが気に食わない。

 ちらりとデレディオスの顔色を伺う。相変わらず圧が凄い。本人はその気はないだろうが、顔で食えと言っているようだ。


「……はむ」


 覚悟を決めて鶏肉を頬張る。

 表面は黄金色に焼かれ、串からは脂が滴っている。闘人族には美味しそうに見える光景だろうが、残念ながら森人族にとっては鳥肌が立つ光景だ。

 肉を噛み千切り、嚥下しようとして、思わず吐き出す。


「おぐぇっ!? ご、ごれきっつ!!」


「ふぅむ……好き嫌いというよりも体が受け付けなくなっているか」


 感覚的には泥が口の中に入って来たようなものだろうか。いや、それ以上にどろどろとした何かだ。その得体の知れなさに体が拒絶反応を起こして吐き出してしまう。

 山菜を掴んで思いっきり頬張り、口直しをする。


「これ、本当に食べなきゃダメ?」


「食べねば強くなれんぞ。筋肉を付けるという意味でも、魔力、いや森人族は輝力と言うのだったな。それの流れを良くするという意味でもな」


 ん?どういうことだ?


「筋肉を付けるのは分かるけど、輝力の流れを良くするってどういうことだ?」


「何だ。森人族では輝術について教えんのか?」


「それは、分からない。私輝術使えなかったし」


 輝力についても輝術についても教わったのは一週間程度。

 私は輝術の才能が全くないと分かってからは剣術を鍛えるのに集中だったが、もしかしたら、同年代の子は教わっているのかもしれない。


「そうか……お主、輝力についてどんな認識を持っている?」


「どんな認識って……それは、輝術を発動させるために必要な力とか、体を強くできる力とかかな……」


「概ね間違ってはいないが、それでは足りん。そうだな。まずは大前提から教えておこう。


「はい?」


 デレディオスの言葉に首を傾げる。

 流すことはできないってどういうことだ。母様も言っていたんだぞ。術式に輝力を流してーとか。というか流れるものってなんだ。

 意味が分からないと怪訝な顔をする私にデレディオスは肉を喰らいながら説明する。


「ようは輝力を自らの力で操ることはできないということだ。只人族や獣人族などは勘違いをしているようだがな」


「でも、母様は術式に輝力を流してーとか言っていたぞ」


「言葉の綾だろう。輝術に関して種族の中で飛び抜けて知識を持つ森人族が勘違いしているとは思えん」


「むぅ……」


 そう言われてしまうと、そうなのではと思ってしまう。母様は輝術の腕は確かだが、少し抜けていた。説明不足だったのかもしれない。そんな所も美点だったけどね!!


「輝力の流れは常に一方通行、。これが輝力の流れの常識であり、重要な所だ。覚えておけ。操ることは決してできない。輝術は、輝力がゼロに近い器の中に、大量に輝力を保有している人間が触れ、輝力が流れることで発動するのだ」


「何で操ることができないの?」


「循環だよ。雨が降り、川へ流れ海へ行き、空へと還るように自然の造りだからだ。人に止められるものではない」


「もし、操ろうとしたら?」


「無駄な努力だな。お主はその身一つで川の水を塞き止められるか? 肉体の中にある血を逆流させることができるか?」


 できるはずがない。

 川は岩や木材を使えばできるだろうが、一人で作業をすればとかそういう問答ではないだろう。

 血液の方だって、そもそも体の中にある血液の流れをどう認識すれば良いのか分からない。

 輝力とは操るものだ。そういう認識だったけれど、今この瞬間にその認識は消える。


「それじゃあ、輝力を纏うのはどうやるんだ?」


「その認識も違うのだが、余所からすれば鎧のように見えるので仕方がないか。我も鎧と言っているしな。あれは輝力の流れに淀みのない者にある特徴と言って良い。完全なる循環は完全なる個を示し、そして完全なる個は外界から独立する。その法則が淀みのない者を守っているのだ。輝力を纏っているのではない」


「……それは私にもできる?」


「できると思うぞ。目には見えんものだが、輝力は全てのものに流れているからな」


「でも私は剣を弾いたりできないけど……」


「それについては条件を満たしていないだけだ。言ったであろう。物体を強く弾くためには輝力の流れに一切の淀みがないことが条件になる」


「その条件を達成するにはどうすれば良い?」


 気になるぞ。肉体が最強じゃないと会得できないなんてことはないよね。だとしたら私は相当会得が困難になる。


「先程も言ったように食事だな。それに睡眠に、自然な呼吸、自然な歩法。それだけだ」


「え、何それ」


 デレディオスの答えに眉を顰める。

 何と言うか曖昧だ。もっとハッキリとした条件はないのだろうか。自然な呼吸や歩法って。私は今でも呼吸しているし、歩いているぞ。


「どういうこと?」


「まぁ、意味が分からなくとも無理はない。自然な呼吸やら歩法やらは我も最初はどういう意味か分からなかったからな。それについては我が後々調してやる。教えても出来ないことだからな」


「そんなことない。私なら出来る」


「自信があるのは結構だが、まずはその肉を食ってから言え。山菜と肉、魚。それらをバランス良く食べることが大事なのだ」


「うげぇ……」


 太い指で鶏肉を指差される。

 嫌だなぁ。でも強くなるためには必要だから食べなきゃいけない。

 プルプルと震えつつ、私は鶏肉に噛り付いた。

 翌日、私は体調を崩した。





 石畳の通路。白い壁の家。指で数字を示し、異国の言葉を話す大人たち。

 里にいた時とは比べ物にならないほど粗末な衣服、いやこれは衣服ではない。布切れだな。

 布切れで最低限の体を隠して私は壇上の上に立っていた。首には枷が嵌められている。


「ヂㇾヌザオサバ。ヨイオ、ルクリアシオサベバツド!」


 異国の言葉が耳に入る。

 確か、共通語だったはずだ。「十金貨だ。無論、ルクリア金貨で出すぞ!」か。

 金貨は腕の良い商人でも滅多に手に入らないもののはずだ。恐らくはあの男、貴族という者なのだろう。

 鎖を引っ張られて前に出される。男たちの視線が私の顔、胸、尻、足へと集まった。

 気持ち悪い。気持ち悪い。

 特に胸と尻への視線が酷い。

 森人族の中でも私は胸が大きな方だ。だから、彼等も色欲が強く出ているのだろう。

 リリィからも胸を睨みつけられたりしたことはあるが、これに比べればあんなのマシだった。

 ネバつくような視線に体が震える。その途端、下卑た笑い声が空間に響いた。私の恐れはどうやらこの場において奴等を下心を満たすだけらしい。


 奴隷商会。

 今私がいる場所だ。森人族の里が襲われ、街から街へと移され続けて私はここにいる。

 こんなことになるのならば、リアと離れるんじゃなかった。

 そうであればこんなことにはなっていない。


 白い髪は里長の血族の証と知っているからか、私は他の奴隷以上に健康には気を使われた。

 檻には入れられ、外に出ることは許されなかったが、毎日三食は必ず出されたし、体を清めるための水も用意された。

 だが、ちっとも嬉しくはない。

 なんなら、他の奴隷と同じように食事も抜かれて意識が朦朧とするまで弱らせてくれて良かった。その方がこんな酷い光景を見なくて済んだ。


「リア……」


 小さく呟く。

 私の友人。あちらは私を友人と思ってはいないだろうが、私は友人だと思っている。

 彼女は一体どうしているだろうか。私を心配してくれているだろうか。探してくれているだろうか、と考えてそこでやめる。

 流石にそれはない。

 彼女にとって一番大切なのは母親だ。

 あの騒動で私の元に真っ先に来てくれなかったのも母親と一緒にいたからだろう。


 寂しい。

 里ではずっと一人いたはずなのに寂しく感じる。

 異国の言葉、異国の風景、見も知らぬ只人族に囲まれているからだろうか。私の胸は不安で一杯になる。


 何もしていない。悪いことなど何もしていない。

 なのになぜこんな目に遭わなければならないのか。これからずっと只人族の奴隷として過ごさなければならないのか。

 そんなのは嫌だ。鎖に繋がれて只人の欲を満たすためだけの人形に何てなりたくはない。


 誰でも良いから助けて——。

 そう願った時だった。


「ルクリア金貨二十枚だ。彼女は僕が貰う!!」


 人混みの中で大きく手を挙げて少年が叫ぶのが見えた。

 手には大きく膨らんだ小袋がある。

 口にした数は先程の男の二倍だ。


「お、おいあれって……」


「あぁ、間違いない。ここルクリア王国で現れた勇者だ」


「何? あのトゥルス平野にいた巨人を討伐した勇者か!?」


「トルト国の港で魚人共を返り討ちにしたって聞いたぞ」


「例の魔人王に対する切り札か——」


 騒然としていた商館が静かになる。

 目の前の少年はそれほどの人物なのかと少しばかり意外に思った。

 なんせ、視界に映っていたのはあまりにも平凡な顔つきだったから。


「魔人王が世界を脅かそうとしている。そのために僕は力に目覚めた!! だけど、一人じゃ悪しき魔人王を倒すことは出来ないっ。頼む、僕に力を貸してくれ!!」


 勢いよく差し出される手。

 私は思わずその手を握っていた。

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