第22話

 微睡から意識が覚醒する。

 最初に視界に映ったのは青白くなりつつある空。それを見て、今は太陽が昇り切っていない朝方だと判断する。

 横には燃え切った後の焚火があった。

 ここは一体何処なのだろうか。もしかして、セルシアやエトアの戦争などなくて、全ては私が見ていた夢なのか。


 周囲を見渡しても人影はいない。

 ヌレイアも闘人族もいないし、街も見えない。

 旅人が歩く道が一本目の前にあるだけだ。

 思えば、ここは街に辿り着く前に一夜を明かした場所と似ていなくもない。つまり、先程の光景は夢だということ。


「もう一回寝よ」


 母様に会いたくて変な夢を見てしまったのだろう。しかし、それなら夢でも母様に会わせろよ。死ぬ覚悟をする夢なんて見せるなよ。

 小声で文句を垂れながら、毛布に包まる。

 枕元には剣と外套があった。うん、夢だね確実に。だってあの一撃を受けたら死ぬしかなかったし、生きていたとしても敗者にこんな扱いをするのは可笑しい。


「ほうほう、何とも肝が据わっとる幼子だ」


「——!?」


 寝ようと瞼を閉じた時、間近に人の気配が現れる。

 有り得ない。これでも私は一人で旅を続けて来たんだ。周囲を警戒する術は知っている。

 瞼を閉じていようと耳は最大限音を拾えるようにしていたし、周囲を見渡した時には人影すらないのはしっかりと確認した。

 なのに、まるで最初からそこにいたかのようにその人物は現れた。


「お前は——~~~~ッ」


 夢の中で私を拳一つで叩きのめした闘人族を見て、意識が切り替わる。急ぎ、剣を取ろうとするが、勢いよく体を捻った瞬間に内部から鈍い音が響いた。


「おいよせよせ。お主はまだ傷が癒えておらんのだぞ。また傷が開いたらどうする」


「きゅ、きゅぅ……」


 背骨が砕けるような痛みが奔り、思わず剣を落として蹲る。

 蹲る背中に大きな手が当てられる。

 どうやら心配してくれているようだ。案外良い人なのかもしれない。

 痛みが治まってから私たちは向き合う。

 赤い肌、六本もある腕、巨人と見間違う大きな背丈。間違いなく夢——だと思っていた——に出て来た闘人と同じ人物だ。


「……夢じゃなかったのか」


「どうした?」


「何でもない。それよりも、状況を説明して欲しい」


「ふむ、確かにその通りだな。だが、まずは名乗っておこう」


 闘人の男が歯を見せて笑う。


「我が名はデレディオス。各地を当てもなく旅をしているデレディオスである」


「森人族。ヴェネディクティアの娘、名をリボルヴィア」


「そうかそうか。リボルヴィアと言うのか。では、リボルヴィアよ。お主は我に敗北した」


 やっぱり夢ではなかったらしい。分かっていたけど。

 外の世界での敗北は初めてだ。しかし、その相手があの闘人族ならば悪い気はしない。


「何か要求するつもりか? だったら、私にあげられるものはないぞ」


「ガッハッハ!! 小娘から物を取り上げようとは思わんよ。だが——」


 デレディオスがジッと私を見つめる。

 ——まさか、この体が目当てか? だとしたら本当に軽蔑する。あのクソ野郎と同列だ。


「お主にはこの我の弟子になって貰おうか!!」


 違った。ごめんねデレディオス。うん、あのクソ野郎と同列に扱いかけたことを謝罪しよう。言葉にはしないけどね!!


「弟子?」


「そう弟子だ。あの戦場において最も伸びしろのある者はお主だった。戦いを生き甲斐とする闘人族の一人として、あのまま殺すのはあまりにも勿体ない。それにお主は森人族。森人族が剣を持つなど滅多に聞かぬ話だ。だからこそ、我が手で育て、どのような戦士になるのかを知りたいのだよ」


「……それを断ったらどうなる」


「断ったら? う~む、そうだなぁ。特に何もないな」


「ないんだ」


 つまり、弟子になっても良いし、ならなくても良い。

 都合の良すぎる二択だ。

 だが、騙すのならばこんな二択を選択させる理由があるのだろうか。デレディオスは私の傷を治そうとしてくれた。

 売り飛ばすのが目的でも、体が目的でも全て寝ている間にできることだ。目を覚ますまで待つ必要はない。

 だから、弟子にするという目的に嘘はないと思う。

 ならば、考えるのは弟子になるかならないかだ。

 二択で考えるのなら、弟子になる一択だ。

 指導者がいるのといないのとでは成長速度は違う。

 デレディオスと戦って私よりも強い人物は確かに存在するのを知った。なら、これから旅を続けるのなら力は付けておいた方が良い。

 何より、母様を守れ——。


「そ、そうだ!!」


「ん? どうしたリボルヴィアよ」


「街に戻らなきゃっ。私はあそこに母様を探しに来たんだ!!」


「ほう、そんな理由が……しかし」


「助けてくれたことには礼を言う。だけど、今は母様の所へ行かせて貰う!!」


 荷物を持って駆け出す。

 傷の痛みも忘れていた。

 街までの距離はそれほど離れてはいなかった。朝日がほんの僅かに山よりも高くなる頃には街に辿り着く。


 既に街にはエトアの旗が立てられており、セルシアが敗北していることを暗に告げていた。

 門前でエトアの兵士に止められかけるが、銀貨を数枚握らせることで黙らせ、押し通る。


 男共に群がられ、戦利品となっている女兵士を横切る。建物の上へと登り、馬小屋を探す。建物の上へと登り、馬小屋を探す。

 アロガンティアは馬小屋に入れたと言った。ならば、探すのは馬小屋以外に他はない。


「違う。ここじゃない」


 高い場所に登っては馬小屋を探し、見つけたら藁をひっくり返してでも探す。途中、馬と喧嘩をすることになったが、黙らせた。仕返しとばかりに傷口に蹴りを入れられたけど。あの馬本当に馬だったんだろうか。実は只人が化けているとかないよな。最後笑っていたのを見たぞ。


「ここっでもない!!」


 街の片っ端から探し回る。

 宿の馬小屋から兵士が使う駐屯所まで。しかし、何処にも母様の姿はない。

 視線を街の中央へと向ける。そこにはるのは貴族の館。ほんの少し前までアロガンティアがいた場所だ。

 探していない場所はもうあそこしかない。


 太陽が真上を通り過ぎ、山へと顔を隠そうとしている時間帯に屋敷には辿り着いた。

 目の前には館を守るエトアの兵士たち。


「誰だあれは?」


「さぁな。おい! 貴様何処の出身だ。ここは最早エトアの領地。我らが王が支配する国だ。もうセルシアのクソ共がうろついて良い場所ではないぞ!!」


「ククッじゃなきゃあおじさんたちが怖いことしちゃうぞぉ!!」


 話しが通じそうにない。そう判断した私は裏に回って館を囲む塀を超えて中に侵入する。

 倒して正面突破も良かったが、デレディオスにやられたばかりだし、傷も治っていない。

 この状態で力押しは無理だ。走り回ったせいで体力も少ない。

 母様を守る体力は残しておかなければならない。


 目的の馬小屋は簡単に見つかった。そして、目的の人物も見つかった。

 裏に回って塀を飛び越えた所が丁度馬小屋の存在する場所だったのだ。

 首輪を嵌められ、手首と足首に枷を嵌められていた。

 艶のあった髪は荒み、肌には殴られたのか痣がある。


「母様っ」


 ずっと会いたかった人がそこにいた。


「母様!!」


 すぐさま母様の所へと駆け寄る。

 これから生きる時間に比べれば短い時間だったが、待ちわびていた。

 褒めて欲しい。頭を撫でて欲しい。抱きしめて欲しい。

 色んな思いが口から出ようとする。

 駄目だ。これでは駄目だ。私が戦士を目指したのは母様を安心させるためだ。ならば、ここは落ち着いた態度を取らなければいけない。

 森人族の里からここまで一人で旅をして来た。戦争にも参加した。あれほどの大きな争いは里ではなかったことだ。

 ヌレイアというセルシアの隊長にも頼りにされた。

 これはもう立派な戦士になったと言って良いはずだ。


 胸を張って教えたい。これほど私は立派になったと。できるようになったと。貴方の娘は一人でも立てるのだと。

 それを押し殺して強く手を握る。


「——母様?」


 手を握った瞬間に高揚していた気分は収まる。

 握った手は異様に冷たかった。

 呼びかけにも反応しない。

 私の中から一切の熱が消えた。


「————」


 眠っているように見える。違う。実際に眠っているのだ。頭の中に過った予想など見当違いだ。

 これから母様は私と一緒に過ごすのだ。旅をするのも良い。だから、嘘なのだ。これは間違いだ。

 鎖に手を掛ける。

 これがあるからいけない。体を清めていないからそう見えるだけ。

 一日二日休めばいつもの優しい笑顔を浮かべる母様に戻るはずだ。

 だから急いで——。


「やめておけ」


 その言葉は後ろから掛けられた。

 背後に立っていたのはデレディオスだ。


「すでにその森人は死んでおるぞ」


 目を逸らしていたことを口にされる。

 死んでいる。死んでいる?誰が?

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ——。認めたくない。

 だってそうだろう。私は母様に会うためにここまで来たんだ。立派な姿を見せたいからここに来たのだ。


 辛い目に遭ったのだ。

 母親を性的な目で見て自分の欲を満たすことしか考えていない男からは毎日殴られ続けた。

 里の同年代からは毎日嘲笑を受けた。いじめをされた。

 里の大人からは厄介者扱いされ、訓練の時に間違った情報を教えられて怪物のいる森に一人取り残された。

 父親からは相手にされず、仕返しをしたら私を酷く殴った。

 仕置きだと雪が降りしきる日に薄着で森に放り出されたこともある。


 何もかもを嫌になって放り出さなかったのは母様がいたから。母様がいたから良い子でいようと頑張った。

 なのに——その結果がこれなのか。


「嫌だ——嫌だよっお母さんっ」


 冷たい。

 胸に顔を埋めても頭を撫でてくれはしない。涙を拭ってはくれない。

 泣いて、泣いて、泣いて——悟る。

 あぁ、私は帰る場所を失ったのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る