第20話

 私の名はヌレイア。

 平民の出でありながらも、セルシアの部隊を率いる隊長として任命された翠級すいきゅう剣士だ。

 私の故郷は巨大な山々に囲まれた土地にできた小国セルシア。

 小さいながらも幸せに暮らしていた人々の日常を私は愛していた。それを壊したのは隣国エトアの身勝手な言動だった。


 七十年前の行いに対しての賠償金が支払われていない。などという簡単に嘘だと分かる言い訳を口にして来た時は遂に頭まで可笑しくなったと思ったのは私だけではないだろう。

 彼等の行いはここ数年間で酷くなる一方だった。

 領土への無断侵入。村での略奪。文化の起源説の勝手な発言。根も葉もないことを自信ありげに口にし、否定すれば差別だの何だのと怒り狂う。

 本当にやっていられない。

 そして、今回の戦争だ。

 賠償金が払われていないと言うが、その根拠は何なんだと言いたい。賠償金が支払い終わったという証明書はこちらに存在しているのだ。それも両国の印付きで。

 それなのに、奴等は侵略して来た。

 これほど怒りが湧き出たことは人生でそうない。


 怒りを抱いたのは私だけではない。

 同僚も、上司も、村人も全員が怒りを抱き、エトアの軍を追い返すためにこの街に来た。

 この先には一歩も進ませないと戦った。

 奴等の軍はこちらの軍の規模と同じ。街を囲む防御壁を利用すれば少数で倍の人数相手に戦うことができる分こちらが有利だった。

 一日目はそのおかげで圧勝だった。

 二日目は街の門を破壊されかけたもののそこから押し返せた。

 三日目は首都から来た援軍と物資も加わり、壁にすら寄せつかせなかった。


 勝てる。誰もがそう思い込んだ時だ。

 貴族がしゃしゃり出て来たのは。

 アロガティア・パルボス・キャリードス。

 三日目に援軍に来た軍を指揮していた人物だ。初めは街の館に引き籠っていた癖に戦況が優勢だと分かると館から出て権力を笠に指揮権を奪い取った。

 そこからだ。戦況が一気に可笑しくなったのは。

 防御壁の外に軍を展開して戦うよう指示したり、守りを疎かにして自分の周囲に無駄に兵を配置したり、攻めねばならぬ所で自分が流れ矢に掠ったからと撤退をさせたり。

 少しずつ戦況がエトアの方向へと傾き始めてしまう。

 そして、遂に昨日は街の中に入られる事態となってしまった。

 奪われることにはならなかったものの、戦力は大幅に減ってしまった。私を庇ってアロガンティアが来るまで指揮を執っていた軍の指揮官も戦死してしまった。


 このままでは負けてしまう。しかし、貴族には逆らえない。この戦いに勝っても、アロガンティアは恨むだろう。

 貴族に恨みを持たれたらどうなるか分からない。

 私一人で済めば良い。だが、家族だけは巻き込めない。


 わざわざ兵士に運ばせた大層な椅子に座りながら果実に噛り付くアロガンティアを見て絶望していた。

 その時だった。


 体を覆う外套を身に纏い、顔をフードで隠した旅装束の子供が天幕に入って来たのだ。

 街の子供ではない。子供がごっこ遊びで使う新品の旅装束ではなく、その装束は使いこなされていた。


 フードを外し、顔が露わになった所で更に驚く。

 何とその少女は森人族だった。

 大森林から滅多に姿を現さないと言われているのに森人族、しかも子供がこんな物騒な場所に一人で何の用なのか。

 話しを聞けば、その理由にも納得できた。


 人攫いに攫われた母親を探しにここまで来た。と少女は言ったのだ。

 森人族は美しく、奴隷に売られていれば即完売するほど人気だ。だからこそ、人攫いに狙われる。

 あの少女の住んでいた場所も人攫いに襲われたのだろう。そして、母親がその犠牲になった。

 義憤と共に哀れみを感じる。

 こんな場所まで大変だっただろう。その想いは立派だろう。しかし、ここにはそれが分からない者もいるのだ。


 案の定、アロガンティアは子供であろうと容赦なく罰を下そうとした。

 予想外だったのは少女が天幕を守る兵士を地面に転がしたことだ。彼のことは知っている。

 才能はないながらも、経験は豊富な兵士だ。

 素人相手に転ばされるなど決してない。つまり、あの少女はそれなりの使い手だと言うこと。

 考えれば、大森林からセルシアまで一人で旅をして来たのだ。それぐらいの実力はあるのだろう。

 アロガンティアの命令に従い、私は柄に手を置いて前に出る。


 子供を斬るつもりなどないが、これ以上抵抗されたら兵士を更に呼ばれて怪我では済まされないことになる。その前に私が押さえよう。そう考えて——。

 だが、私はあっさりと負けた。

 一太刀で済ませるはずが、躱され、背後から剣を鞘に入れた状態で逆に一太刀で意識を刈り取られた。


 その動きは正しく風のようで、足運びに剣術、どれもこれもが私を超えていた。

 悔しさすら湧かないほどに私に負けを突き付けた。

 意識を取り戻した時、私はその少女がこの戦争に力を貸してくれると話を耳にした。

 その瞬間、この戦争に勝てるかもしれない。そんな予感が私の中に湧き上がった。





 女の兵士を叩きのめし、アロガンティアともう一度交渉を行った結果、彼は母様を探すのを手伝ってくれることになった。

 脅したのではない。かなり青い顔をして体が震えていたけどきっと見間違いだ。こんなに小さくて可愛い森人が怖がられるはずがない。

 それに対価として戦争への参加を表明したし、彼は内心嬉しがっているはずだ。うん。


 そんな訳で私は防御壁の上で兵士たちと一緒に待機していた。

 と言っても歓迎されている様子はない。遠巻きにこちらを見ては、ひそひそと小声で語り合っている。

 時折、子供が——何故森人が——と言う会話が耳に届いた。

 今の私はフードで顔を隠していない。だから、森人族の象徴である長い耳が露出しており、一目で私が森人だと分かる状態だ。

 小声で話し合っている者たちは私の事情を知らないのだろう。

 追い出そうとする者もいないので気にせず私は木箱の上に座ってジッとしている。戦いが始まるまでここで待つつもりだ。


「スチェ、ルクニェヤムノソサカマツ、カキコニェヤハェカホムヒェ!!」


 と思っていたのだが非常に面倒くさい者に絡まれてしまった。


「ワワユ、マイテトハェマウカカユェキソウェユスカニェ!! ラハェモヒミメ!!」


 唾を飛ばしながら顔を真っ赤にして怒鳴り散らす頭が寂しいことになっている老人。

 身なりからして……うわ、異種族差別の激しいバリエル国家じゃないか。あれ、今はバリエル聖国だったか。

 何でこんな人物がセルシアにいるんだよ。


「マワタウカホムハ、チカキェソツマソチェリイモキキコニェヤソ。マイテハェワムミツカホワクワニロモトツヒカシホエェキェソヤスムヒェニェ!!」


 駄目だ。何を言っているのか分からない。

 只人族の言葉は国の数だけあるからなぁ。学んでいるのは共通語のみだ。大森林を出てから尋ねた街では貿易の街なだけあって共通語が常識だったから話が通じた。この街でも共通語が使われているから言語の壁は感じなかった。

 だけど、目の前の老人が口にしている言語はバリエル語。セルシアから更に北に離れた国の言葉だ。

 流石にそこまで行くと共通語も浸透していないのかもしれない。


 この老人と一緒にいても面倒になる。そう考えて木箱から腰を上げて移動する。のだが、何故かその老人は私の後を付いて来る。


「ロヒキムテタハトマタホハェカカ。カキコニェヤメ。マワタンムハ、マタヨ。クェワハツカラ!!」


 面倒だ。非常に面倒くさい。

 多分罵倒されてはいるんだろうけど、言葉が分からないから、どう返せば良いのか分からない。

 もういっそのこと拳で黙らせてしまおうか。そんなことを考えていると突如として老人の言葉が途切れた。

 振り返るとそこには取り押さえられている老人と天幕の中で見た女の戦士の姿があった。


「ハムキェソユロハェヤツムマオヤキェンヒェ。エェモカユコホイモンニェ、ヨサキェン」


「ハァ!?」


「連れていけ」


 老人が後ろにいた戦士たちに羽交い絞めにされて連行されていく。

 顔を真っ赤にして何かを喚き散らしているが、当然ながらその言葉の意味は分からない。

 バリエル語、学べば良かったかな。いや、でも多分罵倒だろうし。


「無事か。少女よ」


「ん、問題ない。でも、ありがとう。何を言っているか分からなかったから、困っていた」


「そうか。君の助けになれたのなら良かったよ。あぁ、そう言えば名前を名乗っていなかったな。私はヌレイア、しがない部隊の隊長さ」


「森人族ヴェネディクティアの娘、リボルヴィア。剣士」


「森人族で剣士、か」


「私は輝術が使えないから剣を使っている」


「ほう、輝術が得意な種族だと聞いていたが、そういう者もいるのか」


「馬鹿にするか?」


「まさか。私を剣で打ち負かした人物の剣を馬鹿になどできはしないさ」


「そっか。それは良かった」


 ヌレイアの言葉に頬が緩む。

 そんなことを言ってくれる人は初めてだ。思わずにやけてしまう。


「それにしても、何でここにバリエル人がいるんだ?」


「驚いた。彼の言語が分かったのかい?」


「ううん、服装で」


「なるほど。確かに彼等の服装は分かりやすいからな。彼等がここにいる理由としては布教のようなものだよ。ここだけじゃない。争いのある場所は信仰が広がりやすいからね。戦争地帯には必ず一人はいるよ」


「へぇー。もう二度と会うことはないけど一応覚えておこう」


「あぁ、そうした方が良い。彼等は只人族こそが至高の存在だと考えているからね。見かけたら距離を取った方が良い」


「貴方は? 只人族が至高だと思っている?」


「私? 私はそんなの考えたことが無いなぁ。軍で生きていくのに精いっぱいだったし」


「ふぅん……」


 ヌレイアの言葉に相槌を打っていると遠くの方で土煙が上がるのが目に入る。

 ヌレイアの方へ視線を向けると背の高い彼女の方も先に気付いたのか、既に近くにいた部下に指示を飛ばしている所だった。

 その後、けたたましい鐘の音が鳴り響く。

 何が来たのか。語るまでもない。


「殺せぇ!! 我らの全てを奪った卑怯者共を黒神の元に叩き落してやれ!!」


 エトアの兵士たちだ。


 静かだった街はすぐに剣呑とした空気に包まれる。

 兵士たちの声が鳴り響き、矢と石が飛び交う。

 あ、隣の人が矢に刺された。


「これが戦争か」


 初めての戦争だが、少し暇だ。

 背が小さいおかげで防御壁にすっぽり収まり、矢と石は当たらない。

 敵が梯子を出して乗り込んでくれば、忙しくはなるが、今は敵も飛び道具で応戦しているので私は待機しているだけだ。

 ちなみに私は弓矢も苦手なので使わない。というか使えない。里で試しに使ったことがあったが、狙っている方向の逆に飛んで行ったことがある。

 右とか左に狙いがズレるとかそういうレベルではない。

 前にある的を狙おうとしたら矢が急旋回して後ろに飛んで行くのだ。矢を撃った私も弓矢を使うように命じたクソ野郎も、見学していた母様も目を丸くしていた。

 いや、そうはならんやろ。あの場にいた者たち全員がそう思っただろう。私を含めて。


 一人の時ならば兎も角、こんな人が密集した場所で使えば同士討ちをしてしまうだけだ。よって私は敵が防御壁に登って来るまで待機となる。

 防御壁から僅かに顔を出し、敵軍の様子を見る。

 飛んでくるのは矢や石ばかり、輝術は一つも飛んでこない。それはこちらも同じだ。


「只人族には輝術師がいないのかな……」


 矢や石よりも有効な手段のはずだ。

 それなのに、誰一人としていないことに少し違和感を持つ。

 もっと後ろに配置されているのだろうか。


「それとも、これはまだ前哨戦なのかな」


 後ろに本命の軍がいるのか、と目を凝らして下で戦っている軍の後ろを見る。

 軍は待機されているが、全員が同じ格好をしており、見分けは付かなかった。もっと分かりやすく服で区別してくれれば良かったのだが。


「——ん?」


 観察していると一点だけ軍の中に異質なものを見た気がして首を傾げる。

 だが、それは一瞬のこと、すぐに見えなくなった。


「何だったんだ。アレ……」


 軍の中にポツンと存在した緋。

 一体あれは何だったのか。気になったが、旗か何かを見間違えたんだろう。そう思い込み、元いた場所へと戻った。

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