パッとしない僕と進路相談がツラい夏

乃代悠太

第1話 あの夏をもう一度

 僕はおじいちゃんに会いに行くために、入院先の病院を訪れていた。

 なのに気がつくと、僕はまったく違う場所に立っていた。


 もう、心臓が止まるかと思った。

 僕はぎょっとして固まった。


 夕焼けに染まる空の下、港から、くの字に曲がる防波堤の先っぽで、僕は呆然と目の前の島を眺めていた。ここは僕が生まれ育った場所だった。

 日本海に浮かぶ小さな離島、小岐島おぎしまだ。


「何で帰って来たんだろう……」


 まばたきする間もなかった。まさに瞬間移動といった感じだった。まさか、いきなりこんな遠くの島に、放り出されるなんて……。

 しかも季節は冬から夏に逆戻りで、ダウンジャケットを羽織っていたはずの僕は、ポロシャツに短パン姿で、沈む夕日に向き合っていた。


 肌を焦がすような鋭い日差しと、潮の匂い。夢を見ているのとはまったく違う、生々しい感触……。


 僕は目を細めて考える。


 どうやら、僕は過去に飛ばされたようだ。僕にはこの光景に見憶えがあった。それは高校二年生の夏休み。久しぶりの里帰りだった日のことだ。

 僕はここで小岐島の漁協で働きたいと、おじいちゃんに打ち明けた。それが、僕が自分で決めた進路だった。


 たしかに、この日、この場所だった。

 僕はこの防波堤の上で、おじいちゃんといっしょに釣りをしながら、自分の人生の一歩を踏み出したのだ。

 それは、この先ずっと忘れないであろう、僕の大切な思い出だ。


 どうやら僕がここに甦ったのは、そのシーンを再現するためのようだ。そうしないと元の世界には帰れなさそう。


 早速、僕は頭の中にあるシナリオを確認した。

 このシーンの流れはこうだ。


 東京から帰ってきた孫の僕が、島で騒動を起こしていたおじいちゃんを、諌めるところからはじまる。原因はおじいちゃんが作っていた芸術作品だ。そのトンデモナイものに僕や家族は頭を抱えていた。

 結局、説得は失敗に終わるけど、逆に僕はおじいちゃんの熱意に刺激され、将来の進路を打ち明けるのだ。

 何だか取りとめのない話だけど、再現するのはそんなシーン。


 僕はゆっくりと後ろを振り返った。


 するとそこには、元気だった頃のおじいちゃんがいた。どっかりと胡座をかいて釣り糸を垂れる姿は、貫禄があってかっこよかった。褐色の肌に白い髭。いつも通り、お気に入りの麦わら帽子を被っていた。

 おじいちゃんの準備はすでに整っているようだ。静かに僕の登場を待っている。


 では、さっそく物語をはじめることにしよう。


 僕は足元にあった釣竿を手に取ると、おじいちゃんの隣に腰を下ろした。

 そして、あの日と同じように振る舞う。

 眉根を寄せ、いぶかしむような表情を作ったあと、おじいちゃんの顔を覗き込んで、僕は尋ねる。



「ねえ、あの作品まだ作ってるの?」


「ああ、もちろん日課だよ。やっと半分ってとこだな」


 おじいちゃんは飄々と答えた。


「正直、何考えてるのかわからないよ。みんな心配してる。彩音あやねだって、気が気でないみたいだし」


「心配はいらん。完成すれば皆わかってくれるはずだ。だからこそ頑張らなくちゃならんのさ」


 孫の忠告にも、おじいちゃんはどこ吹く風といった具合だった。


 僕にはまったく理解できなかった。その奇妙な理屈に、ただ驚かされるばかりだった。竿先を見つめるおじいちゃんの目に、いったい何が映っているのか……。僕は少し狂気のようなものを感じた。


「必ず成し遂げてみせる」


 そう意気込むおじいちゃんの作品こそが、騒動の原因だった。


 最初は雑木林の一角ではじまった。

 そこにあった小さな倉庫が、アトリエになった。何を作るのかは完全に秘密。でき上がってからのお楽しみだそうだ。

 僕はそんなおじいちゃんに気もそぞろ。おばあちゃんは首をかしげるばかりだし、妹の彩音はボケちゃったんじゃないの、なんて言いようだった。

 なにせ、おじいちゃんは元船長だ。船乗り一筋だった男に、創作の心得があるとは思えなかった。お楽しみと言われても、家族は誰も本気にしなかった。

 まあ、本人が元気でいてくれれば、それでいいかなって感じで、僕たちはしぶしぶ見守ることにしたのだが。


 これが、まったくの誤算だった。

 作品は僕たちの想像を、遥かに超えるものだった。

 こつこつと作り続けたおじいちゃんのそれは、いつの間にかアトリエを飛び出して、島の裏山を占拠するほど、巨大なものになっていた。


「元気すぎるにもほどがあるよ」


「何言ってる、まだまだ大きくなるぞ」


 のちに作品は島民に発見され、島は大騒ぎになった。これが、おじいちゃんが起こした騒動の顛末だ。


「明日、船で資材が届いたら、作業再開だ」


「僕の話聞いてる? おじいちゃん、島の笑い者になってるんだよ」


「構わんさ。笑いたいやつには、笑わせておけ」


 おじいちゃんは素知らぬ顔。周囲の喧騒も、まったく意に介す様子はなく、「何だか、人気者になった気分だよ」と、豪快に笑い飛ばしていた。


 ここまでの話なら、僕も笑って済ませたところだけど、事はそう簡単ではなかった。おじいちゃんが熱くなるのには理由がある。


 それは、この島の未来だ。


「このままだと、島は無くなってしまうぞ。年寄りばかりじゃ早々立ち行かなくなる。指をくわえて見ているわけにはいかん」


 ご多分にもれず、この島にも高齢化の波が押し寄せていた。すでに年寄りが支えていると言ってもいい状況だった。

 島の主要産業は漁業だけど、若い担い手が見つからない。外から人を迎え入れようなんて空気もなく、島は緩慢な死に向かっていた。


「島は変わらなくちゃならんのさ」


 この信念が、おじいちゃんを突き動かしていた。


 島に変化が必要な事は、僕も同意する。僕だって誰にも負けないくらい、島のことが好きだった。島が無くなってしまうなんて考えたくもない。

 でも、それでも僕は問うのだ。


「その答えが、あの作品なの?」


「ああ、そうさ」


「あれじゃなきゃだめなの? 他のものでもいいじゃない。そうでなくても、もっと小さく作るとか」


「いやいや、そうはいかんさ。作品にはコンセプトってのがあるんだよ」


「コンセプト……」


 何だか、みぞおちが痛くなってきた。

 誰にも出せなかった解答に、おじいちゃんは胸を張って答える。でも、それが正解かどうかはわからない。

 ここまで散々もったいぶっておいて申し訳ないけど、今はまだおじいちゃんの作品の正体は明かせない。それがわかるのはもう少し先の話だけど、作品は常人には理解できない規格外な代物なのは間違いない。

 これで本当に島が変わるのか、僕にはもはや理解不能だった。


「大丈夫かなあ」


「心配いらん。万事うまくいくさ」


 なぜか、おじいちゃんは満面の笑みだった。



 こうして、おじいちゃんの暴走を食い止める僕の試みは失敗した。

 でも本音では、それでもいいと思っていた。

 僕は島での評判を気にする反面、ほんの少し応援したい気持ちも持っていた。騒動になるのはいただけないけど、島のためにがんばるおじいちゃんが羨ましかった。


 上京して二年目。

 僕は島への想いを募らせていた。

 進路選択を目の前にして、どうすれば僕は僕の人生を歩んでいけるのか、そのことをずっと考えていた。

 人生のレールをこのまま進むのか、それとも大きく外れるのか。僕がその答えを出せたのは、おじいちゃんの存在が大きかった。


 もしかしたら、ずっと前から決まっていて、おじいちゃんは僕にそれを気づかせてくれたのかもしれない。

 期待と不安、そして罪悪感をないまぜにして、僕は話を切り出した。


「おじいちゃんに聞いて欲しいことがあるんだ」


「ほう、何だ、言ってみろ」


「そろそろ進路を決めないといけないんだよ」


「もうそんな時期か。意外に早いんだな」


 僕が通う高校は進学校だった。

 そこそこ名の通った学校で、みんなが狙うのは有名な大学ばかりだ。生徒の中には超難関と呼ばれる大学を目指す子もいて、すでに大学受験に向けてスタートを切っていた。


「そうか。で、どこの大学にするつもりだ?」


「ううん、僕は……」


 緊張から一瞬、言葉に詰まってしまった。

 何とか息を継いで答える。


「僕は、小岐島で働きたいんだ」


「お?」


「漁協に入って、島のために働く。高校卒業したら帰ってくるよ」


 ついに、僕は打ち明けてしまった。僕は人生のレールを外れたのだ。この時を境に、僕の未来は大きく変わる。それは傍目には理解に苦しむ選択だろう。でも、おじいちゃんならわかってくれるはず。


「そうか……」


 と、おじいちゃんはぽつりとつぶやくと、何やら思いを巡らせはじめた。あご髭をいじりながら、難しい顔を作っている。


 賛成か反対か。いったいどんな答えが返ってくるのか。

 この先ずっと忘れない大切な瞬間を、僕は固唾を呑んで待ち望んだ。


「その時は、お嫁さんをいっしょに連れてこい」


 おじいちゃんは膝を打って、にんまりした。


「はあ? 何言ってんの。まだそんな歳じゃないよ」


 僕はムッとして返した。


「じゃあ、花嫁候補だな」


「それ、どういう意味? 賛成なの、反対なの、どっちなの? それじゃあわからないよ、ちゃんと答えてよ」


 何だかはぐらかされた気がして、僕はがっかりしていた。


「ねえ、ねえ」


 と、僕はおじいちゃんに詰め寄った。まるで子どもみたいに、おじいちゃんの腕を引いてせがんだ。

 

 僕の人生の決断は、何というか……、もっと真剣な雰囲気で、それでいて、胸に刺さるような……。あまりうまく言えないけど、とにかく、これは僕が想像していたものじゃない。

 おじいちゃんには、素直によろこんでほしかったのに……。


 そんな不機嫌な僕の横で、しばし高笑いのおじいちゃんだったけど、そのあとは、無言で何度もうなずいていた。


 そして僕に向き直ると、おじいちゃんは穏やかな笑顔で、こう告げた。


「ありがとう、直人なおと。楽しみがひとつ増えたよ。立派になって帰ってこい」




 その瞬間、僕は元の世界に戻ってきた。そこは病室の中だった。

 部屋は嗚咽で溢れていた。真ん中に大きなベッドがひとつ。それを囲むように大勢の人が集まっていた。家族や島の人、そして僕も、その輪の中にいた。


 皆がおじいちゃんの最期に向き合っていた。僕はこの現実に胸が張り裂けそうだった。


「本当は、島を離れたくなかったんだよ……」


 そっと指で触れたおじいちゃんの頬は、すでに冷たくなっていた。僕は悔しくて、ぐっと奥歯を噛み締めた。


 目を閉じると、おじいちゃんの笑顔が浮かんだ。


 それは、頬のしわがアーチを描いて、たくさん笑って見えた。あのやさしい笑顔が、今でも僕の胸を温かくする。


 ずっともらってばかりだった。今度は僕が返す番だ。ちゃんと伝えたいことがあった。大好きなおじいちゃんに、あの夏に、届いて欲しい。


「聞いて、おじいちゃん。島は僕が変える。僕がやるよ。おじいちゃんみたいに、頑張るから……。だから、見守っていてよ……」


 僕は堪えきれず、おじいちゃんの胸にすがりついた。

 そして赤子のように、声を上げて泣き続けていた。

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